昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

北海道旅行No.2 「神居古潭」散策

2010年07月26日 | 北海道の旅
北海道旅行2日目、今日は旭川市から稚内市までの約250Kmをレンタカーで走り、明日の利尻島、礼文島観光に備える予定です。

とは言え、せっかく旭川に泊ったので、朝から自由に行ける「神居古潭[かむいこたん]」に行きました。



旭川市街地から石狩川沿いに約10Km下った「神居古潭」に着いたのは朝早い7:15頃でした。

白く塗られた吊り橋「神居大橋」が石狩川に架かり、向こう岸に「旧神居古潭駅舎」が見えます。

「神居古潭」は、石狩川沿いの景勝地で、近くに「神居古潭竪穴住居遺跡」もあります。

「神居古潭竪穴住居遺跡」は、擦文時代(北海道の歴史区分、7世紀・飛鳥時代~13世紀・鎌倉時代後半)の集落遺跡で、9世紀後葉から12世紀頃の家の跡219軒が残っているようです。

ちなみに9世紀後葉は、菅原道真や、坂上田村麻呂が活躍していた時代で、ここでどんな生活が営まれていたのか大変興味のあるところです。

■旧神居古潭駅舎裏のプラットホームに「神居古潭」の説明板がありました。
==================================================================================
神居古潭
Kamui-Kotan
 神居古潭は、アイヌ語で「魔神が住む所」という意味です。両側から山が迫り、石狩川の川幅が急速に狭まるこの地では、川は渦を巻く激流となり、最深部は70メートル以上になります。古く、人々の交通手段が川を下る舟であった頃、ここでは多くの舟が激流にのまれ、このため、魔神が住んでいると怖れられていました。
 旭川地方に伝わるアイヌの伝説では、この魔神はニチエネカムイといい、様々な災いを起こして人々を苦しめたため、英雄神サマイクルによって滅ぼされたということです。また、神居古潭を中心に南北にのびる「神居古潭変成岩帯」は、大昔、北海道が形成されたとき、北海道の西半分と東半分がここで衝突し、つながったことを示すものとして、地質学上、世界的に貴重なものとされています。
==================================================================================



「神居古潭」周辺の地図です。

「神居古潭」は、国道12号の神居古潭トンネルを迂回する石狩川沿いにあり、駐車場も道沿いにありました。

石狩川に架かる「神居大橋」の右手が上流で、左手の下流側と比較して川幅が狭く表現されています。

石狩川は、大雪山系を源にし、鮭など豊かな恵みと、全国第3位の長さを誇る河川です。

地図左下隅に「穴居跡」とあるのが「神居古潭竪穴住居遺跡」のある場所と思われます。



「神居大橋」の上流側です。

両岸には、岩の岸が続き、流れも速いようです。

■「神居古潭」の駐車場にアイヌ語地名表示板がありました。
==================================================================================
アイヌ語地名表示板
カムイ・コタン 神居古潭[かむいこたん]
Kamui-Kotan
神 ・ 村
 舟が唯一の交通手段だった時代、両岸から奇岩怪石が迫る激流のこの地は、神(カムイ)に祈りを捧げて通らなければならない所でした。
 アイヌ民俗にとっては、大地も水も火も動植物もすべてが神様を宿す存在でしたが、通行人を苦しめる難所だったことから、ここでのカムイは魔神(ニッネ・カムイ nitne-kamuy)を意味するという説も有力です。
  旭川市教育委員会
==================================================================================



「神居大橋」の下流側です。

川幅が広く、流れもゆったりとしています。。

■「神居大橋」のたもとにアイヌ語地名表示板がありました。
==================================================================================
アイヌ語地名表示板
パラ・モイ
Para-moy
 広い ・ 湾

  旭川市教育委員会
==================================================================================



「神居大橋」のたもとの柱に「神居大橋」の銘板や、鳥の飾りがありました。

向こうの山の頂上付近には「神居岩」の岩壁が見えます。

■「旧神居古潭駅舎」の中にあったアイヌ伝説をガラス越しに見たものです。
==================================================================================
神居古潭のアイヌ伝説
神居古潭には、多くのアイヌ伝説が残されており、10数話ほどもありますが、ここではそのなかでも代表的な「サマイクル伝説」をご紹介します。 むかし、神居古潭にニッネカムイという凶悪な魔人が住んでおり、アイヌの人々を苦しめていた。あるとき、この魔人が、大岩を石狩川のいちばん狭いところに投げ込み、アイヌの人々を溺死させようと企む。これを見ていたヌプリカムイの熊は、アイヌの人々を救おうと岩を取り除いて水を流した。魔人は怒って熊に襲いかかるが、文化神サマイクルが現れ、格闘となる。遂に魔人がは力尽き、逃げ出すが、足を泥に取られたところをサマイクルの刀で切倒される。
==================================================================================



「神居岩」です。

地図には233mの標高が表示され、「旧神居古潭駅」の少し西から登山道が始まり、周囲を一周する道もあるようです。

「神居岩」は、「神居古潭竪穴住居遺跡」からも望めるものと思われ、古代から祭祀場となっていたものかも知れません。



「神居大橋」を渡り、坂道の途中に石碑がありました。

案内板によると大正時代の歌人「九条武子」さんが詠んだ「神居古潭」の歌碑とあります。

九条武子さんのことを少し調べてみました。
<1887(明治20)年~1928(昭和4)年>
浄土真宗西本願寺の第21代宗主の次女で、九条男爵へ嫁いだ後、歌人としての活躍以外に慈善活動や、現京都女子大の創設など幅広く活躍され、42歳の太く短い生涯だったようです。

又、「大正三美人」の一人と言われ、ここを訪れ神居古潭の急流を詠んだ姿は、気品ある美しいものだったと思われます。

■石碑の横にある案内板を転記します。
==================================================================================
九条武子 歌碑
 九条武子(明治20年~昭和3年)は大正期を代表する女流歌人のひとりで、九条良致[よしとも]男爵夫人として貧しい人々の巡回施療などに尽くした名流婦人として知られています。主な歌集として「金鈴」「白孔雀」等があります。
 旭川には大正11年と昭和2年に訪れ、神居古潭でこの歌を詠んでいます。
 書は、上田桑鳩によるものです。

 たぎつ波 ましろう白う 岩にちる
      神居古潭の くもれる真昼
==================================================================================



坂道を上ると「旧神居古潭駅舎」が見えて来ました。

蒸気機関車の車輪が展示され、明治の中央に便所の建物もあります。

茶色の屋根、黄緑色の壁が、森の緑に感じよく映えていました。



「旧神居古潭駅舎」の正面玄関です。

なつかしさや、親しみを感じる建物でした。

7:30頃で、鍵が掛けられて中には入れませんでしたが、中にはパネル展示がされていました。

■駅舎建物の脇に案内板がありました。
==================================================================================
旧神居古潭駅 旭川市指定文化財

 明治23年、北海道の内陸開発の拠点として旭川村が設置され、明治31年7月16日には空知太(現在の滝川)から旭川まで鉄道が開通した。
 当駅は、明治34年12月3日に神居古潭簡易停車場として設置、明治36年5月15日に神居古潭駅となった。
この駅舎および便所は、明治43年に建設された。その後、大正末期から昭和初期にかけて一ないし二度の増改築が行われたと推定されるが、建設当初の遺構はよく残されている。
 昭和44年9月30日、函館本線の納内~伊神居古潭駅駅間がトンネル化されたことにより、神居古潭駅は廃駅となったが、明治期の数少ない駅舎建築として貴重であることから、平成元年に神居古潭廃駅当時の姿形をもとに復元を行った。
建物は、典型的な小規模駅舎建築であると同時に、明治期における西洋建築意匠導入の特徴を残す数少ない現存例であり、道央・道北の鉄道発展史を考える上でも貴重な例である。
    平成3年3月31日指定
    旭川市教育委員会
==================================================================================



「旧神居古潭駅舎」の建物後方にはかつての両面プラットホームがあり、線路のあった部分は舗装されています。

駅舎建物の後方入口には「サイクリングロード休憩所」の看板があり、線路跡は転用されているようです。

プラットホームにはかつての表示板が残され、「神居古潭駅」の名と、前後の「納内駅」「伊納駅」の駅名が表示されていました。

■左手のプラットホームにあった付近の名所案内です。
==================================================================================
名所案内
神居古潭竪穴住居遺跡 西へ1.5Km国道12号沿い
 (北海道指定文化財)
神居古潭おう穴群   石狩川周辺吊橋から上流へ1.4Km下流へ0.2Km
 (旭川市指定文化財)
神居古潭ストーンサークル群  対岸神居山中腹 徒歩30分
夢殿観音       対岸トンネル上 徒歩15分
カムイスキーリンクス 高速ゴンドラリフト 2,400m
           全日本スキー連盟A級公認コース
桜・紅葉
==================================================================================



「旧神居古潭駅舎」への坂道を上がった左手に三連結のSLが展示されていました。

一番前には「29638」、次に「C57」、後ろは別名「デゴイチ」の「D51」です。

「29638」は、大正時代に造られた車両で、その他の2両も昭和初期に造られているようです。



「神居大橋」の少し上流の道路脇に「オオウバユリ」と思われる花が咲いていました。

アイヌ文化を紹介するDVDで、旧暦5月にはアイヌの女性達が丸い根の部分を採取し、デンプンを取る様子を見たことがあります。

この花を見て、「オオウバユリ(大姥百合)」の根を掘る古代の人々の姿を思い浮かべました。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。