昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
何気ないものに意外な歴史を見つけるのも
旅の楽しみです。 妻の油絵もご覧下さい。

北海道旅行No.13 根室「金刀比羅神社」に立つ高田屋嘉兵衛の銅像

2011年07月27日 | 北海道の旅
北海道旅行3日目 6/5(日)「春国岱[しゅんくにたい]」から根室港を見下ろす丘に建つ「金刀比羅神社」へ行きました。



根室「金刀比羅神社」の社殿です。

「金刀比羅神社」は、江戸時代後期の1806年(文化3)に豪商「高田屋嘉兵衛」より創建された神社です。

北海道南部では記録に残る歴史が多くありますが、道東では数少ない歴史スポットとして訪れました。



オホーツク海に面した根室港周辺の地図です。

「金刀比羅神社」は、根室港の東にある丘にあり、根室港の西には「弁天島」が浮かんでいます。

地図の左下にある赤丸印は、日本で一番遅く桜が咲くとされる「清隆寺」です。

途中、道路から見ると花が散っているようで、立寄らずに来ました。



駐車場から神社境内に入る門で、境内側から見た風景です。

門の脇に観光客の記念写真用に顔の部分に穴が開いた「高田屋嘉兵衛」の人形がありました。



社殿正面にある神門です。

道東では由緒のある神社だけに立派なものです。



「高田屋嘉兵衛銅像」と書かれ、門の向こうに矢印で示した案内板のある門がありました。

駐車場側の門からこの門まで、社殿前の参道を横切る道があります。



門を出ると道の脇にたくさんのタンポポが咲いていました。

6月始めの北海道は初めてで、咲き乱れる黄色のタンポポの花に癒されました。



社殿横の広場にそびえる「高田屋嘉兵衛」の銅像です。

右手の建物は、門の脇にあり、手水舎と思っていましたが、違うようにも見えます。

■銅像前にある黒い石碑の碑文です。
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高田屋嘉兵衛銅像建立之趣意
一、金刀此羅神社の創祀者である事
一、北方領土及び根室地方開拓の功労音である事
一、日露両国の紛争解決に挺身し、その修好に尽力した功労者である事
一、北方領土返還願いの標として

道東地方及び千島の開拓には多くの人々の心血が注がれました。
中でも高田屋嘉兵衛は開拓当初の極めて厳しい時代にその先駆者として航路開拓、産業開発、民生安定に尽し、また日露両国の修好に尽力しました。
当神社創祀百八十年記念祭に当り彼の銅像を建立してその偉大な功労を讃え、更に之を標として、日ソ修好と北方領土の返還を期するものであります。
 昭和六十一年八月
  金刀比羅神社奉賛会
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「高田屋嘉兵衛」(1769年~1827年)の銅像です。

このスタイルや、顔もそれなりに調べて作ったものと思われますが、背の低さに強い印象を受けます。

測って見ると5頭身でした。



数年前の函館旅行で見た「高田屋嘉兵衛」の銅像です。

あまりに違う嘉兵衛の姿に戸惑いを感じます。

函館山を背にして立つこの武士のような姿には廻船業で財をなした豪商のイメージはあまり感じられません。

「高田屋嘉兵衛」の出身地淡路島は、徳島藩の支配下で、映画「北の零年」で城代家老の稲田家が実質支配していたことを知りました。

翌日は、「北の零年」の物語の舞台となった静内を見たいと、襟裳岬経由で苫小牧までのコースとしました。



銅像の横にあった根室港を見下ろす展望台です。

土を盛り、階段と、柵が取り付けられた珍しいもので、初めて見ました。



沖に弁天島が浮かぶ、穏やかな根室湾の風景です。

島に見えるのは弁天島神社のようで、赤い屋根の神社は、北海道でよく見かけます。

「高田屋嘉兵衛」は、弁天島に守られた良港の根室湾から国後島、択捉島にかけて漁場を開発したとされています。

展望台から見るこの根室湾の風景は、記憶に残るものでした。



展望台から根室湾の南側を見た風景です。

「高田屋嘉兵衛」が四国の金毘羅神宮から勧請した神社は、湾の向こうに見える街の中にあったようです。

穏やかな瀬戸内の淡路島に育ち、厳しい北の海へ乗り出し、やっと根室にたどりついた嘉兵衛の姿が想い浮かんできます。

海の安全を守る讃岐の金毘羅さんをこの根室の地に祀った嘉兵衛気持ちが少し分かってきました。