昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
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イタリア旅行No.2 水の都ヴェネツィア サン・マルコ広場

2010年11月22日 | 海外旅行
11/10 イタリア旅行2日目、今日からヴェネツィア観光の始まりです。

撮ってきた写真と、ガイドさんの説明を思い出しながら想い出をたどっていきます。



ヴェネツィア最初の観光は、サン・マルコ広場から始まりました。

出発前日、インターネットで見たヴェネツィアの天気予報では「雨後曇り」でしたが、幸運にも晴天です。

サン・マルコ広場に入ると、「大鐘楼」が青銅色の屋根に、レンガ色と、白のおしゃれな壁がそびえていました。

広場の正面にはヴェネツィアを代表する建物「サン・マルコ寺院」が見えています。

残念ながら、「サン・マルコ寺院」の屋根の一部や、「鐘楼」の基礎部分がご覧の通り補修工事で、「世界一美しい広場」といわれる広場の美しさは今一つで、広場半分が浸水していました。

有名となったヴェネツィアの冬の高潮「アクア・アルタ(acqua alta)」が広場を襲っていたのです。



前回も掲載したイタリアの地図の下部に「ヴェネツィア本島」周辺の地図と、上部にヴェネツィアの「サン・マルコ広場」の地図を挿入しました。

「ヴェネツィア本島」は、下部の地図に橋でつながった黄緑色の島で、そこに赤い点がある付近が「サン・マルコ広場」の場所です。

「サン・マルコ広場」の地図では、「サン・マルコ寺院」の南側に「ドゥカーレ宮殿」が続き、その前が「サン・マルコ小広場」です。




「サン・マルコ寺院」の正面です。

建物の前には仮設の橋が作られ、高潮「アクア・アルタ」に備えていました。

西日に美しく映えると言われるこの建物も、朝日の時間帯では日陰となり、美しい輝きを見ることは出来ません。

私達のツアーは、正面中央の玄関横の入場口に作られた仮設橋の上に列を作り、一番の入場を待ちました。

「サン・マルコ寺院」は、「聖人マルコ」の遺骸を安置した教会で、エジプトのアレクサンドリアから二人のヴェネツィア商人が遺骸を持ち帰ったことから教会が建設されたそうです。

「聖人マルコ」は、「新約聖書」に四つある「福音書」の一つを書いたとされる1世紀頃の人です。

その遺骸が7世紀以降にイスラム勢力圏となったエジプトで、9世紀まで保存されていたことや、それを秘かに持ち帰り、莫大な費用をかけてこの建物を建設したことなど、実に驚くべき話です。



「サン・マルコ小広場」から見た「サン・マルコ寺院」です。

二段に重なった丸い屋根が、縦横中央と五連、十字にそびえ、尖った三角屋根と、豪華に装飾された外壁がそれを囲んでいます。

東ローマ(ビザンチン)帝国の勢力下にあり、広く交易を行っていたヴェネツィアは、中世西ヨーロッパのロマネスク文化や、イスラム文化の影響を受けて素晴らしい建物を造り上げたようです。

「サン・マルコ寺院」の中は、撮影禁止でしたが、高い丸屋根の下に描かれた黄金に輝くモザイク画や、荘厳な祭壇などに圧倒される感動を受けました。



「サン・マルコ寺院」を背にして見た「サン・マルコ広場」の景色です。

「サン・マルコ寺院」の見物中、次第に水位が上がり、寺院前などでは仮設橋無しでは歩けない状況になっています。

下水口から水がわき出ているのがあちこちで見られます。

向って右の建物は旧政庁、左は新政庁で、広場に面した一階は、回廊でつながれ、部分的に浸水があったものの歩ける状態でした。



新政庁建物の「サン・マルコ寺院」側に「時計塔」の建物がそびえています。

「サン・マルコ寺院」への入場を待つ行列が続き、その下には高潮の水位が上がっていました。

塔の最上部にはムーア人(アフリカのモロッコ辺りの人)のからくり人形が9時の時を告げる鐘をついています。

その下には翼のある白い獅子像が広場を見下ろしていました。

翼のある獅子像は、「聖人マルコ」の象徴として描かれたものだそうで、「サン・マルコ広場」の各所に見られます。

新約聖書の福音書を書いたとされる四人の聖者には、それぞれ象徴とする姿があり、キリストの「誕生」から「昇天」までのプロセスに対応するものだそうです。
「マタイ」=「人(天使)」(誕生)
「ルカ」=「雄牛」(死刑)
「マルコ」=「獅子」(復活)
「ヨハネ」=「鷲」(昇天)



獅子像の下にある「時計塔」の文字盤です。

ローマ数字では、I.II.III.IV.V.VI.VII.VIII.IX.Xと進みますが、時計の文字盤ではIV(4)は、IIIIと表示され、IX(9)は、VIIIIと表示されるのが一般的です。

写真ではVIIIと、VIIIIの中間に太陽のマークがあり、9時頃を指しているようです。

又、12星座を見ると24時の牡羊座から時刻とは逆方向の順に描かれており、時刻と星座の関係はよく分かりません。

普通、3時の位置に24時(XXIIII)があることも謎で、見慣れない時計を興味深く眺めていました。

ガイドさんの説明では文字盤にはヴェネツィア独特の表示があると聞きましたが、どの部分だったのかも聞き漏らしてしまいました。



「サン・マルコ寺院」を背に左手の「サン・マルコ小広場」を見た景色です。

「サン・マルコ寺院」へ入場待ちをする行列が続いていました。

鐘楼の左手の建物は「マルチャーナ図書館」、その向こうには大運河が広がっています。

仮設の橋から水面に映るレンガ色の鐘楼が美しく見えていました。

この景色も高潮「アクア・アルタ」で出来た水の都ヴェネツィアの新たなの美しさなのでしょうか。

「アドリア海の女王」と言われる美しいヴェネツィアは、地盤沈下、海面上昇などでいつの日か水没してしまう恐れがあるようです。



「鐘楼」の上に「時計塔」にもあった翼の獅子像があります。

黄金の王冠も見られ、ここにもヴェネツィアの守護神、「聖マルコ」への強い信仰心がうかがえます。

この下の階が展望台です。



「サン・マルコ小広場」に面し、「サン・マルコ寺院」の隣に建つ「ドゥカーレ宮殿」です。

この建物は、ヴェネツィア共和国の総監が政務を行った建物だそうで、内部は素晴らしい絵画、装飾などがあり、午後の自由時間に入場を勧められましたが、結局見ずじまいでした。

ヴェネツィアの主要な観光は、とても一日ではムリでしたが、観光案内の本を見ても少し実感をもって見ることができるようになった気がします。



「サン・マルコ小広場」の大運河に近い場所に二つの石柱があり、その上に興味深い像が立っていました。

左手は「聖マルコ」を表す「翼の獅子像」、右手は聖マルコ以前の守護聖人「聖テオドロス像」です。

569年ランゴバルト族の侵入で、周辺の人々がラグーナ(潟)に逃げ込み、始まったヴェネツィアの町の建造は、遠浅の海に守られ、海運・交易で次第に繁栄の道を進んで行ったようです。

かつて、この辺りにヴェネツィアを訪れる船の全てがここに係留されたと言われ、13世紀後半には父に連れられた17歳のマルコポーロもここから旅立ったようです。

海の彼方での戦いや、嵐などの危険を乗り越えて活躍したヴェネツィア人のしたたかさは、この守護聖人に見守られた自信によるものだったのでしょうか。