1月3日の尾道市因島観光の続きです。
今回の「因島水軍城」が、因島最後のスポットです。
「因島市史料館」の横に「因島水軍城」へ登る道があります。
カラフルな武将姿の記念撮影用の人形が置かれていました。
大きな貝の飾りの付いた兜の下には顔を出す穴があり、村上水軍の大将の気分で撮影出来ます。
そう言えば、山頂の水軍資料館にも大きな貝の飾りの付いた本物の兜が展示されていました。
記念撮影用の武将人形のそばに因島中庄地区の案内図がありました。
中央の山の上に「因島水軍城」があり、その山の中腹に「因島市史料館」「金蓮寺」があります。
かっては深い入江だったものが、埋立てられて耕地になったようです。
■案内図と並べて立てられた案内板の説明文です。
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中庄地域のうつりかわわり
今から約700年昔京都加茂神社の荘園で、中御荘と呼ばれた中庄は、古くから因島の中心として発達し、南北朝期から戦国期にかけて村上水軍の本拠地として広く海外に名をとどろかせました。
往時の中庄は入江が深く入っていて浜床(現在外浦)付近や地蔵鼻から宝大寺の石灯籠、山口の常夜灯あたりまで海岸であったといわれて。います(灯籠は他へ移動している)
関ヶ原の合戦後、村上氏が防長に移ってからは平和な一農村としての歩みを続けました。まず農村経営の基礎になる土地について、天正元年(1573年)土生新開を始め鼠功新開貞享2年、前新開元禄年間、油屋新開元禄年間、蘇功新開文政年間など次々海面を埋立て耕地を開拓して来ました。時代は移りその土地に学校や工場、民家ができ現在に至っております。
尾道市教育委員会
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「因島水軍城」への坂道を登り始めた山の斜面に船の錨が展示され、植え木を刈り込んだ文字が造られていました。
植え木の文字は、丸の中に「上」、下段に「水」「軍」です。
中世のイメージの水軍城に「ストックアンカー」と案内された近代的な錨の展示には少し違和感があります。
水軍時代の錨の絵や、造船の島「因島」の説明が欲しいところです。
■中央の錨の説明板です。
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ストックアンカー 4,590Kg
船舶用(1万トンクラス)
タンカー・コンテナ船数隻に使用。
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■向かって左にある小さな錨の説明板です。
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ストックアンカーA型 2,000Kg
船舶用及び港湾用・作業船に使用(3,000トンクラス)
マストの高さ、●の重さなどにより、いかりの重さが違ってくる。
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坂道の途中に城門がありました。
水軍城に向う雰囲気が出てきます。
頂上に近い急な石段です。
丸に上の字のマークが付いた村上水軍の赤い幟がありました。
櫓の中は、船の資料館で、古代から近代までの世界の船の模型が展示されていました。
宇宙戦艦ヤマトや、美しい帆船などが印象的でした。
櫓の最上階から見た「因島水軍城」の本丸です。
山頂に建つ櫓の窓からは、周囲の中庄の集落や、周囲の山々の景色がよく見えます。
■本丸の入口付近に説明板がありました。
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因島水軍城
この水軍城は昭和五十八年十二月一日に築城された全国でただ一つの水軍城です。
水軍のふるきと因島にふさわしいものと歴史家奈良本辰也氏の監修により再現したものです。
二の丸(六十六平米)は展示室、隅櫓(一二四平米)は展望台、本丸(二七一平米)は水軍資料館として一般に公開されています。
水軍資料館には大塔宮令旨(重要美術品)村上家相伝の由緒ある台紫緋糸段縅巻、村上家伝来文書、金蓮寺在銘瓦、源平合戦屏風、水軍船の模型、相伝の太刀、水軍旗、甲等水軍に縁りのある品が展示してあります。
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頂いた「水軍資料館」のパンフレットにあった大阿武船[おおあたけぶね] の写真です。
水軍資料館の入口付近の中央に展示され、村上水軍が実際に使っていた船を再現、その1/12模型だそうです。
1997年に因島で再現された大阿武船は、全長25m、幅約10m、重量約100トンで、NHK大河ドラマ毛利元就でも登場して話題になったようですが、2006年には解体されています。
これも「水軍資料館」のパンフレットにあった因島村上氏の第6代当主「村上吉充[よしみつ]」の写真です。
「村上吉充」は、厳島の戦いで毛利元就に味方して勝利に導いた他、木津川口の戦いで織田信長の九鬼水軍と戦うなど村上水軍が天下に名を馳せた時代の当主です。
又、このブログ<白滝山「観音堂」と、開山の由来>でも書きましたが、因島の白滝山に観音堂を建立したのもこの「村上吉充」でした。
この他、「水軍資料館」には多くの展示物がありましたが、撮影禁止で、ほとんど記憶に残っていません。
文化財などを撮影禁止コーナーに切り分けて、その他は撮影を許可して欲しいものです。
「水軍資料館」の隣の建物を覗いてみると、座敷に5体の武士の人形がありました。
(後方に座る二体の人形がかくれています)
絵図面を見て、戦いの作戦を考えているようにも見えます。
建物を造り、特別に作った人形を展示していますが、説明書もなく、何の場面かまったく分からない謎の展示でした。
「因島水軍城」から山の尾根に沿って「金蓮寺」まで続く、のどかな遊歩道があり、歩いて行きました。
振りかえって撮った景色ですが、山の斜面にたくさん黄色いミカンが輝いています。
お正月休みの因島観光は、天気に恵まれて良い想い出になりました。
今回の「因島水軍城」が、因島最後のスポットです。
「因島市史料館」の横に「因島水軍城」へ登る道があります。
カラフルな武将姿の記念撮影用の人形が置かれていました。
大きな貝の飾りの付いた兜の下には顔を出す穴があり、村上水軍の大将の気分で撮影出来ます。
そう言えば、山頂の水軍資料館にも大きな貝の飾りの付いた本物の兜が展示されていました。
記念撮影用の武将人形のそばに因島中庄地区の案内図がありました。
中央の山の上に「因島水軍城」があり、その山の中腹に「因島市史料館」「金蓮寺」があります。
かっては深い入江だったものが、埋立てられて耕地になったようです。
■案内図と並べて立てられた案内板の説明文です。
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中庄地域のうつりかわわり
今から約700年昔京都加茂神社の荘園で、中御荘と呼ばれた中庄は、古くから因島の中心として発達し、南北朝期から戦国期にかけて村上水軍の本拠地として広く海外に名をとどろかせました。
往時の中庄は入江が深く入っていて浜床(現在外浦)付近や地蔵鼻から宝大寺の石灯籠、山口の常夜灯あたりまで海岸であったといわれて。います(灯籠は他へ移動している)
関ヶ原の合戦後、村上氏が防長に移ってからは平和な一農村としての歩みを続けました。まず農村経営の基礎になる土地について、天正元年(1573年)土生新開を始め鼠功新開貞享2年、前新開元禄年間、油屋新開元禄年間、蘇功新開文政年間など次々海面を埋立て耕地を開拓して来ました。時代は移りその土地に学校や工場、民家ができ現在に至っております。
尾道市教育委員会
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「因島水軍城」への坂道を登り始めた山の斜面に船の錨が展示され、植え木を刈り込んだ文字が造られていました。
植え木の文字は、丸の中に「上」、下段に「水」「軍」です。
中世のイメージの水軍城に「ストックアンカー」と案内された近代的な錨の展示には少し違和感があります。
水軍時代の錨の絵や、造船の島「因島」の説明が欲しいところです。
■中央の錨の説明板です。
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ストックアンカー 4,590Kg
船舶用(1万トンクラス)
タンカー・コンテナ船数隻に使用。
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■向かって左にある小さな錨の説明板です。
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ストックアンカーA型 2,000Kg
船舶用及び港湾用・作業船に使用(3,000トンクラス)
マストの高さ、●の重さなどにより、いかりの重さが違ってくる。
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坂道の途中に城門がありました。
水軍城に向う雰囲気が出てきます。
頂上に近い急な石段です。
丸に上の字のマークが付いた村上水軍の赤い幟がありました。
櫓の中は、船の資料館で、古代から近代までの世界の船の模型が展示されていました。
宇宙戦艦ヤマトや、美しい帆船などが印象的でした。
櫓の最上階から見た「因島水軍城」の本丸です。
山頂に建つ櫓の窓からは、周囲の中庄の集落や、周囲の山々の景色がよく見えます。
■本丸の入口付近に説明板がありました。
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因島水軍城
この水軍城は昭和五十八年十二月一日に築城された全国でただ一つの水軍城です。
水軍のふるきと因島にふさわしいものと歴史家奈良本辰也氏の監修により再現したものです。
二の丸(六十六平米)は展示室、隅櫓(一二四平米)は展望台、本丸(二七一平米)は水軍資料館として一般に公開されています。
水軍資料館には大塔宮令旨(重要美術品)村上家相伝の由緒ある台紫緋糸段縅巻、村上家伝来文書、金蓮寺在銘瓦、源平合戦屏風、水軍船の模型、相伝の太刀、水軍旗、甲等水軍に縁りのある品が展示してあります。
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頂いた「水軍資料館」のパンフレットにあった大阿武船[おおあたけぶね] の写真です。
水軍資料館の入口付近の中央に展示され、村上水軍が実際に使っていた船を再現、その1/12模型だそうです。
1997年に因島で再現された大阿武船は、全長25m、幅約10m、重量約100トンで、NHK大河ドラマ毛利元就でも登場して話題になったようですが、2006年には解体されています。
これも「水軍資料館」のパンフレットにあった因島村上氏の第6代当主「村上吉充[よしみつ]」の写真です。
「村上吉充」は、厳島の戦いで毛利元就に味方して勝利に導いた他、木津川口の戦いで織田信長の九鬼水軍と戦うなど村上水軍が天下に名を馳せた時代の当主です。
又、このブログ<白滝山「観音堂」と、開山の由来>でも書きましたが、因島の白滝山に観音堂を建立したのもこの「村上吉充」でした。
この他、「水軍資料館」には多くの展示物がありましたが、撮影禁止で、ほとんど記憶に残っていません。
文化財などを撮影禁止コーナーに切り分けて、その他は撮影を許可して欲しいものです。
「水軍資料館」の隣の建物を覗いてみると、座敷に5体の武士の人形がありました。
(後方に座る二体の人形がかくれています)
絵図面を見て、戦いの作戦を考えているようにも見えます。
建物を造り、特別に作った人形を展示していますが、説明書もなく、何の場面かまったく分からない謎の展示でした。
「因島水軍城」から山の尾根に沿って「金蓮寺」まで続く、のどかな遊歩道があり、歩いて行きました。
振りかえって撮った景色ですが、山の斜面にたくさん黄色いミカンが輝いています。
お正月休みの因島観光は、天気に恵まれて良い想い出になりました。