昔に出会う旅

歴史好きの人生は、昔に出会う旅。
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「因島市史料館」で見た様々な民衆の祈り

2010年02月02日 | 山陽地方の旅
「尾道市因島史料館」の続きです。



「因島史料館」の玄関脇に石灯籠と、白い立札がありました。

■白い立札の説明文です。
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盃状穴[はいじょうけつ]
此の灯明台は、盃状穴のあるものです。
この穴の発生は古代からで、再生・子宝・安産・豊作・病気平癒などを願ったものとされ、庶民の呪術、信仰を知る重要な民族文化財です。
右下に置いてある盃状穴も同様なものです。
(元重井町一本松にあったものです。)
 尾道市教育委員会
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石灯籠の台石にいくつかの丸い「盃状穴」が彫られていました。

中央に見える二つの大きな穴以外に、浅い穴、小さな穴も見えます。

これらの穴は、石灯籠の広い笠から見ても、雨だれの穴ではなく、やはり人の手で彫られたものと思われます。

「盃状穴」については様々な説があるようで、「盃状穴」を彫る風習が途絶えた現代では謎の穴となっているようです。



灯篭の脇にも盃状穴が見られる石が置かれています。

こちらの穴はかなり深く彫られているようです。

「盃状穴」は、神社の手水鉢[ちょうずばち]の縁や、参道の石段などでも見かけたことがあります。

「盃状穴」のある様々な場所から推察すると、神官・僧侶によるものではなく、参拝者が彫ったものと推察されます。



広島県福山市新市町戸手にある「素盞嗚神社」の参道入口です。(2008年10月26日撮影)

「百度石」と書かれた石柱の横に、ここにも「盃状穴」が彫られた石があります。

「百度石」は、様々な強い願いを神仏にお願いする時、この石から本殿(堂)まで百回(又は百日間)往復して祈る「百度参り」の起点となる石です。



石を上から撮ったもので、大小無数の「盃状穴」が彫られ、雨水がたまっていました。

「百度石」と並ぶこの石を見ていると、この石の穴も百度参りと同じように強いお願いを神仏にする時、彫られた穴ではなかったのではないかと思いはじめました。

貧しかった昔の民衆が、病気が治るよう、子宝を授かるよう、その他様々な願いを神仏に強く真剣に願っている証しとして、このような穴を削る風習があったのではないかと推察しています。

その昔、「百度参り」と、「盃状穴」を彫る風習が、合わせて行われていたのか、並行して行われていたのかは分かりません。

しかし、堅い石にあれだけの穴を彫る風習は、信仰の形が次第に簡略化される歴史を考えると、先に消滅する運命にあったのかも知れません。



「因島史料館」に風変りなものが展示されていました。

板の額に広島県福山市鞆町「沼名前神社」[ぬなくまじんじゃ]のお札、「龍神」と書かれた札、赤い着物の紙人形、古銭、髪の毛の束が飾られています。

人型の紙人形は、現在でも神社などで配られますが、名前を書いて身体をこすり災難の身代わりとなってもらう風習と思われます。

昔、藁人形に人の名を書いて釘を打ちつけて呪い殺す風習と少し似ているようですね。

下の説明文では「奉納された髪の毛」とされていますが、この額が絵馬として奉納されていたものかどうかよく分かりません。

■額の下にある説明文です。
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奉納された髪の毛
弁財船の航行中、海が荒れたとき、乗組員全員が断髪して海の平安を祈願する風習があった。
無事帰港の際、切った髪を絵馬にして奉納した。
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しめ縄に様々な貝が、吊るされ、魔除けとされているようです。

この魔よけが、実際にどのような場所にどのように飾られていたのか説明が欲しいところです。

■額の下にある説明文です。
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魔よけの貝
漁家の戸口につるす。はやり病や災難を、とげのある貝で退散させるという魔除け。
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■魔よけの貝の少し下に「海の信仰」の説明文がありました。
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海の信仰
板子一枚、下は地獄といわれる海の男たちは、いつも生命を張って海に出る。
波静かな海もいつなん時、波乱地獄となるかも知れない。たえず不安にさらされているのが海の男たちである。
ワラをもつかむ心境は、有名無実の神仏に加護を祈るのである。
一見たわいない海の男たちの信仰は、見栄や体裁とは無縁の海のきびしさと生活に根差しているのである。
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石垣島「八重山民俗園 旧牧志邸」の南側の軒先に魔よけとして吊り下げられていた「クモ貝」の貝殻です。

2007年05月07日、沖縄の「魔よけ」 軒下に吊るされた「クモ貝」でも掲載しました。

沖縄本島から更に南の石垣島と同じような風習が、因島にあったことに驚きました。

弥生時代・古墳時代の遺跡でも沖縄地方の貝殻が発掘されており、これら類似の風習も交流があったことによるものでしょうか。