1月3日に行った尾道市因島の続きです。
「尾道市因島史料館」の隣に因島水軍家村上氏の菩提寺「金蓮寺」がありました。
正式には「宝鏡山金蓮寺」[ほうきょうさんこんれんじ]と呼ばれているようです。
金蓮寺」の参道です。
境内は立派な塀で囲まれ、突当りの石段を登ると山門です。
参道の両脇には珍しい仁王の石像が見えます。
参道の植木が葉を茂らせる季節には折角の仁王像は、ほとんど見えなくなってしまうと思われ、残念です。
境内に入り、横から見た山門です。
とても立派な建物で、ちょっと見とれていました。
後ろに見える建物は、鐘楼です。
金蓮寺の境内から山頂にそびえる「因島水軍城」がよく見えます。
参道入口に「因島八景 金蓮寺から見る因島水軍城」と書かれた石柱があり、ここは「因島八景」の一つのようです。
正面の坂道を登ると「因島水軍城」で、左手の民家の軒下には野菜の無人販売所がありました。
民家の前では、付近の畑で採れた野菜が売られていました。
この季節は、柑橘類が大半です。
因島の各所でも道路端に野菜の無人直売所があり、新鮮で安い買い物が楽しめます。
「はれひめ」「レモン」を買いました。
因島のレモンは、果汁が多く、とても重宝しました。
初めての「はれひめ」は一見ミカンのようでしたが、食べるとオレンジのようでした。
柑橘類も品種改良が進んでいるようです。
ひっそりとした金蓮寺本堂です。
写真にはよく見えませんが、立派な瓦屋根が印象的でした。
■森本繁著「村上水軍全紀行」にあった金蓮寺の説明文の一節です。
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金蓮寺
宝鏡山金蓮寺[ほうきょうさんこんれんじ]は因島水軍家村上氏の菩提寺である。
『因島村上家文書』の金蓮寺棟札写によると、文安六年(一四四九)八月吉日に宮地妙光[みょうこう]と子息大炊助資弘が願主となって建立したことがわかる。
宮地妙光は備後鳴滝城主宮地弘躬[ひろちか]の嫡男で、鳴滝城が木頃[きごろ]石見守経兼[つねかね]に攻められて落城したとき、因島に逃れて村上備中守吉資を頼ったことはすでに述べたが、宮地氏は主君吉資のために村上氏の菩提寺の建立を思い立ち、外浦[とのうら]にあった金蓮廃寺を現在地に移して再興したのである。したがって水軍時代には寺域も広大で立派な堂宇が建ち、近郷随一の寺格を誇っていた。~
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宮地氏は、尾道市吉和町の海に近い山城「鳴滝城」を居城とし、当時から海運などに影響を持つ一族だったと言われています。
因島村上水軍の傘下となって瀬戸内海の海運や、明との貿易などで活躍し、近郷随一の金蓮寺を造る財力を得るまでに成長したようです。
本堂の前に木がそびえていました。
白い案内標識に「尾道市天然記念物」「金蓮寺のモッコク」と書かれていました。
モッコク(木斛)は、ツバキ科のようですが、ツバキの葉を細長くした感じです。
モッコクは、非常に成長が遅いため、この大きさでも珍しい大木とされるようで、市の天然記念物です。
金蓮寺の裏に村上水軍の墓とされる石塔が並んでいました。
向って左側に金蓮寺建物があり、山の斜面に墓地が造られています。
最前列と、次の列の石塔は、「宝篋印塔」と呼ばれているものです。
後ろ三列目からは「五輪塔」と呼ばれる石塔です。
「五輪塔」は、五個の石から構成され、下段から四角い地輪、丸い水輪、屋根のような火輪、半球形の風輪、丸い宝珠形の空輪が重ねられています。
■最前列の「宝篋印塔」の前に案内板がありました
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村上水軍の墓地
かって深い入江であった中庄町の北、因島村上氏の菩提寺金蓮寺にある。かって金蓮寺は中庄町の東南、外浦町ま谷間にあったが、その後現在地に移りそれまで分散していた石塔類を金蓮寺裏山に集めたと伝える。
そのため各石塔について誰の墓塔であるかはわからなくなっている。
瀬戸内海地域における中世の武将が宝篋印塔をその墓石とした例は多いが、この墓地には宝篋印塔十八基のほか五輪塔が多数ある。因島村上氏の一族及びその家臣を含めた墓石群と伝えられている。
尾道市教育委員会
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裏山の頂上にある村上水軍城から金蓮寺を見下ろした景色です。
中央に見える金蓮寺は、三方を山で囲まれています。
約400年前、因島村上水軍は、関ヶ原で敗れた毛利氏に従い、山口に移って行きました。
かっては多くの堂宇が建ち、村上水軍の栄華を見つめてきた金蓮寺も、今は静かにたたずみ、歴史を伝えています。
「尾道市因島史料館」の隣に因島水軍家村上氏の菩提寺「金蓮寺」がありました。
正式には「宝鏡山金蓮寺」[ほうきょうさんこんれんじ]と呼ばれているようです。
金蓮寺」の参道です。
境内は立派な塀で囲まれ、突当りの石段を登ると山門です。
参道の両脇には珍しい仁王の石像が見えます。
参道の植木が葉を茂らせる季節には折角の仁王像は、ほとんど見えなくなってしまうと思われ、残念です。
境内に入り、横から見た山門です。
とても立派な建物で、ちょっと見とれていました。
後ろに見える建物は、鐘楼です。
金蓮寺の境内から山頂にそびえる「因島水軍城」がよく見えます。
参道入口に「因島八景 金蓮寺から見る因島水軍城」と書かれた石柱があり、ここは「因島八景」の一つのようです。
正面の坂道を登ると「因島水軍城」で、左手の民家の軒下には野菜の無人販売所がありました。
民家の前では、付近の畑で採れた野菜が売られていました。
この季節は、柑橘類が大半です。
因島の各所でも道路端に野菜の無人直売所があり、新鮮で安い買い物が楽しめます。
「はれひめ」「レモン」を買いました。
因島のレモンは、果汁が多く、とても重宝しました。
初めての「はれひめ」は一見ミカンのようでしたが、食べるとオレンジのようでした。
柑橘類も品種改良が進んでいるようです。
ひっそりとした金蓮寺本堂です。
写真にはよく見えませんが、立派な瓦屋根が印象的でした。
■森本繁著「村上水軍全紀行」にあった金蓮寺の説明文の一節です。
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金蓮寺
宝鏡山金蓮寺[ほうきょうさんこんれんじ]は因島水軍家村上氏の菩提寺である。
『因島村上家文書』の金蓮寺棟札写によると、文安六年(一四四九)八月吉日に宮地妙光[みょうこう]と子息大炊助資弘が願主となって建立したことがわかる。
宮地妙光は備後鳴滝城主宮地弘躬[ひろちか]の嫡男で、鳴滝城が木頃[きごろ]石見守経兼[つねかね]に攻められて落城したとき、因島に逃れて村上備中守吉資を頼ったことはすでに述べたが、宮地氏は主君吉資のために村上氏の菩提寺の建立を思い立ち、外浦[とのうら]にあった金蓮廃寺を現在地に移して再興したのである。したがって水軍時代には寺域も広大で立派な堂宇が建ち、近郷随一の寺格を誇っていた。~
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宮地氏は、尾道市吉和町の海に近い山城「鳴滝城」を居城とし、当時から海運などに影響を持つ一族だったと言われています。
因島村上水軍の傘下となって瀬戸内海の海運や、明との貿易などで活躍し、近郷随一の金蓮寺を造る財力を得るまでに成長したようです。
本堂の前に木がそびえていました。
白い案内標識に「尾道市天然記念物」「金蓮寺のモッコク」と書かれていました。
モッコク(木斛)は、ツバキ科のようですが、ツバキの葉を細長くした感じです。
モッコクは、非常に成長が遅いため、この大きさでも珍しい大木とされるようで、市の天然記念物です。
金蓮寺の裏に村上水軍の墓とされる石塔が並んでいました。
向って左側に金蓮寺建物があり、山の斜面に墓地が造られています。
最前列と、次の列の石塔は、「宝篋印塔」と呼ばれているものです。
後ろ三列目からは「五輪塔」と呼ばれる石塔です。
「五輪塔」は、五個の石から構成され、下段から四角い地輪、丸い水輪、屋根のような火輪、半球形の風輪、丸い宝珠形の空輪が重ねられています。
■最前列の「宝篋印塔」の前に案内板がありました
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村上水軍の墓地
かって深い入江であった中庄町の北、因島村上氏の菩提寺金蓮寺にある。かって金蓮寺は中庄町の東南、外浦町ま谷間にあったが、その後現在地に移りそれまで分散していた石塔類を金蓮寺裏山に集めたと伝える。
そのため各石塔について誰の墓塔であるかはわからなくなっている。
瀬戸内海地域における中世の武将が宝篋印塔をその墓石とした例は多いが、この墓地には宝篋印塔十八基のほか五輪塔が多数ある。因島村上氏の一族及びその家臣を含めた墓石群と伝えられている。
尾道市教育委員会
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裏山の頂上にある村上水軍城から金蓮寺を見下ろした景色です。
中央に見える金蓮寺は、三方を山で囲まれています。
約400年前、因島村上水軍は、関ヶ原で敗れた毛利氏に従い、山口に移って行きました。
かっては多くの堂宇が建ち、村上水軍の栄華を見つめてきた金蓮寺も、今は静かにたたずみ、歴史を伝えています。