昔に出会う旅

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奇跡的な「安土城天守閣」再現と、信長の似顔絵

2009年04月27日 | 近畿地方の旅
「安土城考古博物館」の次に安土城天主「信長の館」に行きました。

ここには安土城天守閣の五階・六階が再現され、その豪華な美しさにとても感動しました。



展示館一階には八角形の城天守閣の五階部分が再現されています。

パンフレットによると、この天守閣の再現には加賀藩の大工さんの家に伝わった図面の発見によるものだそうで、奇跡的な発見だったようです。

■パンフレットの説明文を転記します。
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1579年(天正7年)「織田信長」の命によって建築された安土城は日本で最初に天主閣を備えた城であっただけでなく、世界で初めての木造高層建築であった。
その高さ46メートルの壮大で絢爛豪華な様をキリスト教宣教師が「ヨーロッパにもあるとは思えないとても壮大なもの」と絶賛した。
しかし、1582年「本能寺の変」後、半月たらずのち筑後以来わずか3年で安土城は焼失し、長年の間その外観、構造は解明されず「幻の名城」と呼ばれてきた。
近年になり加賀藩の御抱大工に伝わる「天主指図」が発見される。
元・愛知県産業大学学長内藤昌氏により「信長記」「信長公記」などの史料との照合や遺跡発掘・実測調査の結果「安土城」であることが解明された。
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五階の奥には弟子たちに囲まれた釈迦が描かれています。

信長が考えた天守閣は、単に豪華賢覧な建物ではなく、深い宗教世界を描いていたようです。

近江の寺院を焼き尽くした信長とは信じられないものです。

■パンフレットの説明文を転記します。
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天界をイメージした5階黄金の間
天主5階は仏教の世界観による理想郷を象徴しています。
宇宙空間を表す八角形、約30坪(99㎡)の空間。
金箔の壁と釈迦説法図の襖絵に囲まれた総朱漆塗りの床の中央に2枚の畳が置かれています。
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頂いたパンフレットにあった五階の説明図です。

各部分の絵の意味は分かりませんが、仏教をはじめ中国から伝わった様々な思想が反映されているようです。



最上階の屋根を見上げた様子です。

壁の一面が金色に輝き、屋根の先端にも金色の模様の瓦が並んでいます。

この豪華な天守閣を見上げた人々は、新しい天下人の登場を強く意識したものと思われます。

■パンフレットにこの天守閣の再現についての説明文があり転記します。==========================================================================
400年余りも経た1992年「スペイン・セビリア万国博覧会」の日本館のメイン展示として安土城天主の最上部5階6階部分が、東京大学・東京芸術大学・京都市立芸術大学の指導あって内部の障壁画と共に原寸大にて忠実に復元された。
博覧会期間中には最も多い入場者を記録し、人々の日本文化への関心の深さが示された。
万博終了後その「天主」を安土町が譲り受け解体移築し、新たに5階部分に、発掘された当時の瓦をもとに焼き上げから再現した「庇屋根」、天人の飛ぶ様を描いた天井「天人影向図」[てんにんようこうず]、6階部分に金箔10万枚を使用した「外壁」「金箔の鯱[しゃちほこ]をのせた大屋根」が取り付けられた。内部には当時信長が「狩野永徳」を中心に描かせた「金箔障壁画」も再現している。
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階段の上り口付近に「信長の似顔絵」が展示されていました。

織田家宗家に家宝として伝わり、礼拝していたとあります。

この似顔絵は、まさしく歴史に登場する信長のイメージに思えます。

■似顔絵に説明文があり、転記します。
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宣教師が描いたと言われる織田信長の肖像画(天童市三宝寺蔵)
この肖像画は、当時の宣教師が描いたもので、信長に最も似ていると天童織田家に伝えられてきたものです。
天童織田家は、信長の次男信雄(入道常真)にはじまる。信長が本能寺で非業の死を遂げ、長男信忠も死亡した。それで信雄が宗家を継ぐことになる。
その天童織田藩庁の記録、「御在所御容人御役控帳」(「天童市史編纂資料第二七号)」)に
 天保四癸巳年 正月 御太祖様画像拝礼、従当年被仰付候事
 天保八丁酉年 元日 御服中二付 御太祖様尊像拝礼無之
の記録がある。織田家宗家に家宝として秘蔵されてきた肖像画を、正月に電柱に飾り、拝礼された事が明らかになった。

今もこの画像は三宝寺の御霊屋に掲額されており、信長はじめ歴代藩主の位牌も安置され、供養法要がつづけられています。

写真は、平成十三年八月五日 日本テレビ「知ってるつもり」で放映されたものを提供いただきました。
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六階の建物下部の様子です。

はじめて見るような構造です。



階段を登りきると六階の見学通路がありました。

窓からのぞき込むようになっています。



六階の様子です。

金色の壁、金色の襖絵は、豪華ですが、重厚さもあります。

秀吉が、金の茶室を造ったのは、この部屋の影響かとも思えます。



パンフレットにあった六階の図面です。

この時代、古代中国の文化がベースにあったことが伺えます。



最上階の屋根を仰ぎ見た様子です。

破風には、城郭建築らしい引き締まった豪華さがを感じます。