岩手県奥州市「えさし藤原の郷」のつづきです。
「えさし藤原の郷」へ入場するとまもなく「義経館」があり、続いて「弁慶館」があります。
「弁慶」は、「武蔵坊弁慶」といい、最期まで「源義経」に仕えた僧兵です。
ナギナタをかまえた弁慶の人形がありました。
この人形の構えは、なんとなくぎこちない感じです。
後ろに擬宝珠(ぎぼし)のついた高欄があり、おとぎ話にある牛若丸と闘った五条の橋の場面でしょうか。
「弁慶の薙刀と鉄下駄」という体験コーナーがありました。
さっそく薙刀(なぎなた)を手に取り、鉄下駄を履いてずっしりした重さを体験しました。
安宅の関のセットがありました。
こちらは出口です。
安宅の関は、石川県小松市の海岸近くにあったとされていますが、実在を否定する説もあるようです。
有名な勧進帳の安宅関の場面です。
京都から平泉への逃避行を続ける義経一行が、安宅の関で関守の富樫左衛門に正体を見破られそうになった時の場面です。
弁慶は、山伏のリーダーとして新米の山伏「義経」を金剛杖で叩き、疑いを晴らした話は有名です。
「伽羅御所」のセットの建物の中に「笈(おい)」、と弁慶の下駄が置かれていました。
案内には「弁慶の小道具、記念撮影にお使い下さい」と書かれていました。
翌日、「中尊寺」を拝観しました。
月見坂を進んでいくと「弁慶堂」に上る石段がありました。
「弁慶堂」は、神社のような建物でした。
「弁慶堂」の正面左におみぐじの自動販売機が置かれていたのでこちらから撮りました。
消火栓の赤いボックスなら法律もあり、仕方ないのでしょうが、おみぐじの自動販売機の設置場所は、雰囲気を考慮して欲しいものです。
弁慶堂の中をのぞいてみました。
義経、弁慶、二体の木像が安置されていました。
義経はともかく、僧兵姿を見慣れている弁慶の鎧姿は、異様にも見えます。
二人は、ややうつむき、死を覚悟した場面にも見えてきます。
■入口にあった案内板を転記します。
この堂は通称辨慶(べんけい)堂という
文政九年の再建である。
藤原時代五方鎮守のため火伏の神として本尊勝軍地蔵菩薩を祀愛宕宮と称したそばに、義経と辨慶の木像を安置す
辨慶像は文治五年四月高舘落城とともに主君のため最後まで奮戦し衣川中の瀬に立ち往生悲憤の姿なり更に宝物を陳列国宝の馨及安宅の関の勧進帳に義経主従が背負った笈(おい)がある代表的鎌倉彫である
写真に向って右側に北上川が流れ、左側には新幹線の高架が続き、その先は衣川を渡る橋になっています。
義経や、弁慶が最期を迎えた場所はこの場所から見えているものと思われます。
「えさし藤原の郷」へ入場するとまもなく「義経館」があり、続いて「弁慶館」があります。
「弁慶」は、「武蔵坊弁慶」といい、最期まで「源義経」に仕えた僧兵です。
ナギナタをかまえた弁慶の人形がありました。
この人形の構えは、なんとなくぎこちない感じです。
後ろに擬宝珠(ぎぼし)のついた高欄があり、おとぎ話にある牛若丸と闘った五条の橋の場面でしょうか。
「弁慶の薙刀と鉄下駄」という体験コーナーがありました。
さっそく薙刀(なぎなた)を手に取り、鉄下駄を履いてずっしりした重さを体験しました。
安宅の関のセットがありました。
こちらは出口です。
安宅の関は、石川県小松市の海岸近くにあったとされていますが、実在を否定する説もあるようです。
有名な勧進帳の安宅関の場面です。
京都から平泉への逃避行を続ける義経一行が、安宅の関で関守の富樫左衛門に正体を見破られそうになった時の場面です。
弁慶は、山伏のリーダーとして新米の山伏「義経」を金剛杖で叩き、疑いを晴らした話は有名です。
「伽羅御所」のセットの建物の中に「笈(おい)」、と弁慶の下駄が置かれていました。
案内には「弁慶の小道具、記念撮影にお使い下さい」と書かれていました。
翌日、「中尊寺」を拝観しました。
月見坂を進んでいくと「弁慶堂」に上る石段がありました。
「弁慶堂」は、神社のような建物でした。
「弁慶堂」の正面左におみぐじの自動販売機が置かれていたのでこちらから撮りました。
消火栓の赤いボックスなら法律もあり、仕方ないのでしょうが、おみぐじの自動販売機の設置場所は、雰囲気を考慮して欲しいものです。
弁慶堂の中をのぞいてみました。
義経、弁慶、二体の木像が安置されていました。
義経はともかく、僧兵姿を見慣れている弁慶の鎧姿は、異様にも見えます。
二人は、ややうつむき、死を覚悟した場面にも見えてきます。
■入口にあった案内板を転記します。
この堂は通称辨慶(べんけい)堂という
文政九年の再建である。
藤原時代五方鎮守のため火伏の神として本尊勝軍地蔵菩薩を祀愛宕宮と称したそばに、義経と辨慶の木像を安置す
辨慶像は文治五年四月高舘落城とともに主君のため最後まで奮戦し衣川中の瀬に立ち往生悲憤の姿なり更に宝物を陳列国宝の馨及安宅の関の勧進帳に義経主従が背負った笈(おい)がある代表的鎌倉彫である
写真に向って右側に北上川が流れ、左側には新幹線の高架が続き、その先は衣川を渡る橋になっています。
義経や、弁慶が最期を迎えた場所はこの場所から見えているものと思われます。