前詩集は「人名」だったが、今度は「怪獣」だ。「電人アロー」も出てくるし、「がらもん」も「ラドン」も登場する。B6版の、39頁に33編を収める。
作品はすべて下揃えの行分け詩で、30行前後でほいと世界を切りとってみせてくれる。それはテレビや漫画の世界であるような荒唐無稽さなのだが、妙に身につまされる深刻な状況を提示したりもしてくるのだ。
「D坂の殺人事件」は江戸川乱歩のおどろおどろした推理小説から来ている。「大人たちは/増殖するじぶんの坂にこっそり耐えている」というのだが、では、大人たちが抱えこんでいる坂とはいったいどんなものなだろう。きっと読者である小学生にはちっとも分からないのだろう。
夕方のくらがりへ
そっと
家族の思い出をすてにいく
わかってほしくないこともあるのだ
というように
死んだひとがどの路地にもいて
お茶の間をじっとのぞいている
坂のあたりは自分以外の人たちは納得して生活している場でもあるようなのだが、「近所のおしりのしろい奥さんも/「世界」がないという/そのことにすら気づいていないのだ」と、作者は描いてきた世界そのものもひっくり返してしまうのだ。
「ジャミラ」は宇宙に捨てられた飛行士が怪異なものに変身してしまった怪獣である。親に捨てられれば人は誰でもジャミラになるのだろう。そんな人は仕事帰りにコロッケを買っていく。
でもどうして今でも四つなのか
四つでかなしくないのか
そのひとは
わたしたちみんなの親だが
そのことすらもう覚ええいないのだ
この詩集ではもちろん怪獣が描かれているのだが、それは作者そのものであったり、対峙している他者であったり、自在に変化する。この理屈ではない発想の自由奔放さがたまらなく面白い。
(おことわり:引用部分は詩集では下揃え表記です。)
作品はすべて下揃えの行分け詩で、30行前後でほいと世界を切りとってみせてくれる。それはテレビや漫画の世界であるような荒唐無稽さなのだが、妙に身につまされる深刻な状況を提示したりもしてくるのだ。
「D坂の殺人事件」は江戸川乱歩のおどろおどろした推理小説から来ている。「大人たちは/増殖するじぶんの坂にこっそり耐えている」というのだが、では、大人たちが抱えこんでいる坂とはいったいどんなものなだろう。きっと読者である小学生にはちっとも分からないのだろう。
夕方のくらがりへ
そっと
家族の思い出をすてにいく
わかってほしくないこともあるのだ
というように
死んだひとがどの路地にもいて
お茶の間をじっとのぞいている
坂のあたりは自分以外の人たちは納得して生活している場でもあるようなのだが、「近所のおしりのしろい奥さんも/「世界」がないという/そのことにすら気づいていないのだ」と、作者は描いてきた世界そのものもひっくり返してしまうのだ。
「ジャミラ」は宇宙に捨てられた飛行士が怪異なものに変身してしまった怪獣である。親に捨てられれば人は誰でもジャミラになるのだろう。そんな人は仕事帰りにコロッケを買っていく。
でもどうして今でも四つなのか
四つでかなしくないのか
そのひとは
わたしたちみんなの親だが
そのことすらもう覚ええいないのだ
この詩集ではもちろん怪獣が描かれているのだが、それは作者そのものであったり、対峙している他者であったり、自在に変化する。この理屈ではない発想の自由奔放さがたまらなく面白い。
(おことわり:引用部分は詩集では下揃え表記です。)