瀬崎祐の本棚

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詩集「幻力」 一色真理 (2020/10) モノクローム・プロジェクト

2020-11-13 21:43:08 | 詩集
 第11詩集。100頁に24編を収める。
 作者の作品のざっくりとした感想といえば、悪夢のような、ということになるのだろう。しかし、ここにある作品が異様なほどに気味が悪いのは(褒め言葉です、念のため)、悪夢となる事柄をもたらしている理由があるからだ。悪夢にはそれを観る理由もあるわけで、それが実は気味が悪いことなのだ。これまでの作品でも重要のモチーフとなっていた父母は、通奏低音のように横たわっている。母は浴槽や池で溺れて死に、「ぼくは父を殺して、便器の水に沈め」るのだ。

「鱗」、「黒子」は詩誌に発表されたときから大変に印象に残る作品だった。体に鱗が生えているきみ、そして顔全体(いや、体全体か)が黒子である黒子。なぜ、そのような体の一部に目に見える異常が発生したのかは判らないままに、そのために世間とは馴染めず、疎外もされている。もちろん、話者自身もそうなのだ。「鱗」では、

   とうとう最後の鱗を失ったとき、いつのまにかぼくは鱗がなくても
   生きていける者に、自分が変わってしまったことに気づいた。

   おれが「父親になる」ということだと、ぼくも遠い昔に父親から告
   げられたことがあった。

作者のこれまでの父親が登場する作品と読み合わせるとき、鱗が生えていること、それを失うことが血脈と絡みあいながら迫ってくる。

 詩集の終わり近くに「河野くん」が登場してくる作品が3編ある。ボーイズ・ラブの衣装を纏った官能的な作品なのだが、そこでは少し捻れた感情が不安定に揺れている。ぼくは河野くんに憧れたりしていて、二人はそっくりなのに「鏡に写したように/何もかも反対」なのだ。もしかすれば、河野くんは話者に寄りそうもう一人の自分なのかもしれない。河野くんがなにかを引きうけてくれていることによって、ぼくがここに立っていられるのかもしれない。

   どっと子どもたちの歓声が上がった。泣き腫らした片目が、白黒の
   夜空にころがっている。二つに引き裂かれ、河野くんに見捨てられ
   た半分だけの野苺みたいに。
                         (「野苺」終連)

表紙カバーには「幻力」という詩集を見上げている目が描かれている。そしてカバーを捲ると、その詩集は青空の遙か高みへ遠ざかっているのだ。作者もこの詩集の作品を自分の手の届かないところへ放したのだろう。
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