瀬崎祐の本棚

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掌詩集「白昼暗翳」 岬多可子 (2021/01) 私家版

2021-01-11 13:45:15 | 詩集
新年に年賀代わりにということで届く掌詩集。きれいな糸で綴じられた葉書大12頁に、13~15行の作品12編が静かに置かれている。今年が9冊目で、毎年届くのを愉しみにしている。

 まず感覚を捉えるものがやって来る。「若い鳥」では、熱風の吹く突端で自分の羽を毟っている鳥をみている。実景なのか否かはここでは問題にはならないだろう。作者が感じたのは「熱風」であり、その場所は「突端」であり、鳥が「飛びたい羽/飛べない羽 を/自分で 毟っている」のが”見えた”のだ。これからの自分の生には不要となったものを自ら取り除いているわけだ。当然のこととして痛みは襲ってくるのだろう。視ている存在だった話者にそんな鳥の姿が重なってくる。4連からなる作品の3連目は、

   けれど 痛む膚よりも
   棄てた羽が
   ほんとうの 自分かもしれない

 こうして、外部に在ったものと話者の内側に在ったものが溶け合って、静かだがきりりと鋭いものを孕んだ作品となっていく。

 「沿線跛行」では、「誰も乗らない電車が往く」。すると景色はその表面が剥がれて、それまで隠されていたものが露わになってくるようなのだ。「なにかがおかしい」との呟きのあとに、

   顔を塞ぎ
   感情じゃないところから
   涙が落ちる

 「死着」では、「燃える藁の舟に はこばれて」いくものがある。岸辺には「散ることのない紫陽花」があるのだが、「小さな火は つまさきから灼き始め」話者からも遠ざかっていくのだ。運ばれていくものは何だったのか。それは命あるものだったのか。どれほど思いが募っても、ここにはただ見送ることしかできない哀しみがある。最終連は、

   この日々の どの季節にも
   選べることなど もう なにも
   残ってはいなかった

 奥付けに拠れば160部のみの制作とのこと。これまでの掌詩集からの何編かは昨年の詩集「あかるい水になるように」に収められていたが、残りの詩編もぜひもっと多くの人の目に触れて欲しい。
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