瀬崎祐の本棚

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詩誌「左庭」 56号 (2024/07) 京都 

2024-08-28 10:32:38 | 「さ行」で始まる詩誌
20年続く詩誌で、現在の同人は7人。36頁。

「六月」冨岡郁子。六月は一年のちょうど半分の時期で、砂時計も真ん中でくびれている。そのくびれを砂が流れており、その砂時計のガラスに煙草の火が映っているようなのだ。

   そんな
   煙草の先の灰が
   白くくずれてゆくのを
   じっと
   眺めている

これに続く最後の一行は「そういう「愛」の形もある」。半分に分かれる状態がもたらす執着、諦観、そんなものを感じさせて、軽い感じの比喩に支えられたなんとも洒落た作品になっている。

「潜熱七夜」岬多可子。月曜から日曜までの七夜がそれぞれ3行程度の詩句で詩われている。その詩句ははっきりした意味は取りにくいものの、鮮やかなイメージを差し出してくる。たとえば月曜では「五月のエーテルで/燻蒸されていた 海の肉」が詩われ、火曜には鍋底から沸くきみどり色の粘土がまぶたを封緘するようなのだ。

   金
   砂漠の底を移っていく ひそやかな水場のように
   あらわれては きえる ばら色の発疹図
   なまみでの こと

潜熱とは、状態を変化させるのに温度は変わらない熱のこと。秘やかな、それでいて莫大なエネルギーを孕んでいるような作品だった。

「わすれもの」山口賀代子。何かが心配で、つい追いかけてしまう。かといって、さがしものがあるわけでもない。何かをわすれているのか、何をわすれたのかをわすれてしまったのか。

   わすれものが わすれものを追いかける
   抜いたり 抜かれたりしながら
   どこまでいっても
   わすれものはわすれものなのだった

感覚的によく伝わってくるものがあった。”わすれもの”と名指された時点で(中身は不明であるにせよ)その存在は忘れられていないのだな。

5人が「さていのうと」として各1頁のエッセイを書いている。交遊、社会情勢、感慨など、各自の生身が感じられて楽しい頁である。
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