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詩集「さみしいファントム」 塚本敏雄 (2023/05) 思潮社

2023-10-13 21:52:26 | 詩集
第5詩集。91頁に21編を収める。

「さみしいファントム」は、「路上を行くひとに/影がない/転写が生の速度に追いつかないのだ」と始まる。ファントムは「時間の規範を失」い、愛しさだけが「影となって溶け出」しているのだ。この世界にはそんなものがいたるところにあふれているのだろう。

   さようなら さみしいファントム
   歪む街路 痺れが広がっていく夕暮れの街
   そして
   影をなくした
   路上のひとびと

「霧の夜」の世界は夢幻である。風に揺れる船では若いころの母の顔の人が、「船はいつ出ますか/と尋ねて」きたりする。そして、わたしが「船はもう出てますよ/そう答えると/驚いた様子」をするのである。おそらく、どこに向かう船なのかは誰も問わなくて、そのことは誰もが知っているのだろう。背後ではまたひとつ重い扉の閉まる音がして、

   風は変わらずに吹きつのる
   転ばぬようにと気をつけて
   手すりにつかまり
   必死に歩くうちに
   長い年月が経ってしまった

「ともしび」や「祝祭の夜に」などでは、詩集のタイトル通りに、生者と死者が少しおずおずとした佇まいで共に存在している。そこには、互いのことを気遣いながらも、もう触れあうことはできない相手なのだと観念しているようだ。ファントムそのものもそうなのだろうが、そんな関係そのものがもたらす寂しさが漂っている。

詩集後半のいくつもの作品にあらわれる「妻」「つま」「あなた」にも、両方の世界の端境に佇んでいるような雰囲気がある。
「秋の入り口で」の妻は「しきりとクラゲが見たいと言う」のだ。そんな妻と縁側で月見をしていると、妻は「ねえ もう死んでもいい?」と尋ねる。わたしが「ダメだよ/秋は始まったばかりだよ」と答えると、「いまは秋なの?」と言う。最終部分は、

   わたし 歩くの遅いから
   先に行っていいよ
   だいじょうぶ
   ちゃんと追いつくまで待ってるから
   秋はまだ
   始まったばかりだから

ちょっとでも誤ればその存在を壊しかねない相手を、そっと護ってやろうとしている思いやりが切ない。

「あたらしい不完全さで」については、「あたらしいぞわたしは」の題で詩誌発表された時に簡単な感想を書いている。
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