瀬崎祐の本棚

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詩集「新・四時刻々」 本多寿 (2024/07) 本多企画

2024-07-20 11:07:16 | 詩集
2年前の詩集「四時刻々」に繋がる詩集で、150頁に31編を収める。

日々の作者は自然の営みの中に身を置いて、草木や小さな生きものの息吹を感じている。そこから生まれた作品が集められていて、肩の力が抜けた自然体のものとなっている。
「青葉木菟」。森では鳥や虫たちが死に、獣たちが眠っている。そんな森の中で青葉木菟が鳴きはじめる。その声は、

   語り得ぬものに向かって
   ついに返答しないものに向かって
   銀河を越え
   星の林を超えていく

星が流れ、それは「投げ返された美しい問いのよう」なのだ。そして「その問いこそが/美しい解であった」のだ。自然の営みと交感している話者がいる。いや、その営みの中に溶けこみ、営みの一部になっている話者がいる。

生があればまた死もある。「つまづきの石」では、いつもの散歩道に犬の死骸があって「その死につまづいた」のである。それは慣れ親しんだ日常に紛れこんできた事件だったわけだ。その死骸は片付けられたのだが、「わずかに道は窪んでいた」のだ。

   その窪みで 死は
   尖ったかたちの
   白い小石になって光っていた
   犬のかたちをした雲の影が
   かたわらに蹲っていた

死が日常の中にころがるものとしてあらわれて、ふいに我が身に迫ってきている。

その他にも、「蟬の死」では七日のあいだ鳴きつづけて亡骸となったアブラゼミを詩っている。散らばった死は地中に埋葬し、「すでに消えてしまった/その鳴き声は/空中に埋葬してやる」のである。抗うことのできない自然の摂理としての死をただあるがままに受け入れて、そして悼んでいる。

私(瀬崎)と同年である作者はあとがきで「生死一如である身」としている。その思いに支えられた詩集であった。
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