表紙も背表紙も黄色なら、中の頁もすべて黄色の用紙といった、徹底的に挑戦的な詩集。198頁に作品「ひな」ただ1篇を収める。
「ひな」の初稿は1987年の春ごろに書きはじめられ、12月までに7稿が書かれたとの記述がある。その後、10年の放置期間の後に8稿が書かれ、さらに10年余りが経って今回の9稿の形になったようだ。ということは、25年以上にわたって書き継がれた作品ということになる。
その制作期間にも驚かされるが、作品の形態にも呆気にとられる。作品は壱から四に分かれ、それぞれに「「ひな」のためのノート」という註が付いているが、それだけではない。作品自体にもゴシック体の註のような部分がいたるところに挟み込まれているのだ。それは詩行そのものの自注であったり、詩行が書かれた背景であったり、歴史的な考察であったりする。8稿にこのゴシック体の註を書き加えたものが9稿となっている。
その作業の結果、この詩集はあちらこちらで枝道が分かれた迷路のような姿となっている。枝道を進んで妙なところにワープしたり、あるときは枝道が袋小路となっていたりもする。秋山はゴシック体部分を「単なる注ではなく、これを含めた全体が「ひな」の作品世界なのだ」と言っている。
作品の内容についてはなんの紹介もしなかった。というのも、秋山がこの詩集で差し出そうとしているのは、おそらく”書く”という行為そのものなのではないかと思えたからだ。
この詩集には、秋山がこの作品とともに在った時間が封じ込められている。だから、その一部を抜き出してみてもまったく意味はない。詩集まるごと1冊を読まないかぎりはなにも始まらないのだ。
「ひな」の初稿は1987年の春ごろに書きはじめられ、12月までに7稿が書かれたとの記述がある。その後、10年の放置期間の後に8稿が書かれ、さらに10年余りが経って今回の9稿の形になったようだ。ということは、25年以上にわたって書き継がれた作品ということになる。
その制作期間にも驚かされるが、作品の形態にも呆気にとられる。作品は壱から四に分かれ、それぞれに「「ひな」のためのノート」という註が付いているが、それだけではない。作品自体にもゴシック体の註のような部分がいたるところに挟み込まれているのだ。それは詩行そのものの自注であったり、詩行が書かれた背景であったり、歴史的な考察であったりする。8稿にこのゴシック体の註を書き加えたものが9稿となっている。
その作業の結果、この詩集はあちらこちらで枝道が分かれた迷路のような姿となっている。枝道を進んで妙なところにワープしたり、あるときは枝道が袋小路となっていたりもする。秋山はゴシック体部分を「単なる注ではなく、これを含めた全体が「ひな」の作品世界なのだ」と言っている。
作品の内容についてはなんの紹介もしなかった。というのも、秋山がこの詩集で差し出そうとしているのは、おそらく”書く”という行為そのものなのではないかと思えたからだ。
この詩集には、秋山がこの作品とともに在った時間が封じ込められている。だから、その一部を抜き出してみてもまったく意味はない。詩集まるごと1冊を読まないかぎりはなにも始まらないのだ。