110頁に31編が収められている。「あとがき」によれば、前詩集「エス」では父との葛藤をテーマとして、本詩集では母親との確執が焦点となっているとのこと。
悲しいことがあって床下に住んでいる友人に電話をするという作品「床下の友人」。自宅の電話は通じなくて、街の白い公衆電話からかける。友人の声は、
悲しいことがあると、おれは数の子にしきりに会いたくなるよ。数
えきれない数の子を、繰り返し何度も数えたくなるんだ。繰り返し、
繰り返しね。床下の友人は、数えるために自分の指を折っていった
らしい。けれど、友人の指は折っても折っても、なくならないのだ
った。悲しみとはそういうものなのさ。
はっきりとした形にはならない感情を具現化している。アレゴリーといったようなことを越えて、構築されているものが美しい。それが大切な事だと思う。
「避暑」。避暑地の温泉から帰宅しようとしているぼくと母は荷造りをしている。大きい箱には「まだ息をしそうな父が押し込まれていた」。その父のことを「母は獲れたてのマグロだと言」のである。荒れ果てた一軒家の床下にはなんでも流れ着いて来るのだろう。
あたしはおまえを守るために、襲いかかったマグロを殺っちまった
だけなんだ。そうだね。おかあさん。でも、このマグロ息をしてい
るよ。そうかい。来年の夏まであたしたちはまた休めないんだね。
災いをもたらすものとしての父。そして息子への愛情からの母の歪な行為。その行為はこれからも母にのしかかってくる歪な思いを吐露させている。
もちろん作品であるからには描かれたことは虚構であり、作者の実像との関連を考える必要はまったくない。夢の要素が含まれていることもあるわけだが、夢の解釈をする必要もない。作品は、ただ作品として差し出されている。
「夜のバスさん」については詩誌発表時に感想を書いている。
悲しいことがあって床下に住んでいる友人に電話をするという作品「床下の友人」。自宅の電話は通じなくて、街の白い公衆電話からかける。友人の声は、
悲しいことがあると、おれは数の子にしきりに会いたくなるよ。数
えきれない数の子を、繰り返し何度も数えたくなるんだ。繰り返し、
繰り返しね。床下の友人は、数えるために自分の指を折っていった
らしい。けれど、友人の指は折っても折っても、なくならないのだ
った。悲しみとはそういうものなのさ。
はっきりとした形にはならない感情を具現化している。アレゴリーといったようなことを越えて、構築されているものが美しい。それが大切な事だと思う。
「避暑」。避暑地の温泉から帰宅しようとしているぼくと母は荷造りをしている。大きい箱には「まだ息をしそうな父が押し込まれていた」。その父のことを「母は獲れたてのマグロだと言」のである。荒れ果てた一軒家の床下にはなんでも流れ着いて来るのだろう。
あたしはおまえを守るために、襲いかかったマグロを殺っちまった
だけなんだ。そうだね。おかあさん。でも、このマグロ息をしてい
るよ。そうかい。来年の夏まであたしたちはまた休めないんだね。
災いをもたらすものとしての父。そして息子への愛情からの母の歪な行為。その行為はこれからも母にのしかかってくる歪な思いを吐露させている。
もちろん作品であるからには描かれたことは虚構であり、作者の実像との関連を考える必要はまったくない。夢の要素が含まれていることもあるわけだが、夢の解釈をする必要もない。作品は、ただ作品として差し出されている。
「夜のバスさん」については詩誌発表時に感想を書いている。