「願生」北条裕子。
「死んでしまった母と無数の死者たちに」との副題がついている。
雨の中で「腐っていく草の葉 ちいさな芽 蕾たち ぶつぶつしたもの」を思っている。「雨が降ると 生きていることを休んでいいよと 言われているようで」私は身をまるめているのだ。そうすることによって、すでに死んでしまったものたちが私の周りにやってくるのだろう。生と死の境界が低くなって、二つの世界を分けなくてもよいと許されているような雰囲気がここにはある。
しかし、それらはやはり遠いところにいるものなのだろう。
境内にたっている太い欅の老木 風が光りながらその中を通り過ぎていく 傷口は埋
められることなく かすかに開いて 死んだ母の声を吸い取ってゆく 纏わりつくこ
とで ふたたび たちあがることができると 生きているものと死んでいくものたち
が 風で仕切られて 遠くの空へ散らばり 別れ 別去れ またの逢瀬を願う
もうどこにもいないことが判っているからこそ、「どこにいるの/どこにいるの」とあたりを見わたしているのだろう。そこには冷たく見つめきってしまおうとする覚めた意識も感じられる。
だから最終連の1行、「鳥も私もきりなく啼き続けて」にあらわれる希求する声が鋭く響くのだ。
「死んでしまった母と無数の死者たちに」との副題がついている。
雨の中で「腐っていく草の葉 ちいさな芽 蕾たち ぶつぶつしたもの」を思っている。「雨が降ると 生きていることを休んでいいよと 言われているようで」私は身をまるめているのだ。そうすることによって、すでに死んでしまったものたちが私の周りにやってくるのだろう。生と死の境界が低くなって、二つの世界を分けなくてもよいと許されているような雰囲気がここにはある。
しかし、それらはやはり遠いところにいるものなのだろう。
境内にたっている太い欅の老木 風が光りながらその中を通り過ぎていく 傷口は埋
められることなく かすかに開いて 死んだ母の声を吸い取ってゆく 纏わりつくこ
とで ふたたび たちあがることができると 生きているものと死んでいくものたち
が 風で仕切られて 遠くの空へ散らばり 別れ 別去れ またの逢瀬を願う
もうどこにもいないことが判っているからこそ、「どこにいるの/どこにいるの」とあたりを見わたしているのだろう。そこには冷たく見つめきってしまおうとする覚めた意識も感じられる。
だから最終連の1行、「鳥も私もきりなく啼き続けて」にあらわれる希求する声が鋭く響くのだ。