107頁に23編を収める。井坂洋子の栞が付く。
詩集全体に、どこかへ発つというイメージが基調として流れている。世界に対してというよりも、自分自身に対して挑戦的である作者は、常にここではない場所へ発とうとしてきた。前詩集「内在地」について、ある書評で私(瀬崎)は「内在するものに新しく出逢うために、また戻っていくのだ」と書いた。本詩集の「遊撃」は前詩集につながる雰囲気を残している作品だが、ここにも戦下のような状況でなお発とうとしている姿がある。
詩集タイトルが詩行として使われている作品「シリカゲル」では砦を発とうとしている。
そういう朝が あったなら
裳のすべてを断ち切って
晴雨兼用の傘をさし
ルオ-のキリストの涙まで
あたしを渡ってゆくだろう
夜の病院を訪れる「夜勤」。そこは死に向かう生の象徴的な場所である。「生まれはどちらですか」と訊ねているのだが、それはそのまま、今ここに在ることの意味を問いなおしていることだ。
生まれを知らないあたしだから
入って行かれる
過去へも 未来へも
犬が呼んでいるところならどこにでも
死んだ人は強いよ
強いよ
誰かと電話中の守衛がきっとそんなことを言っている
「紫」は美しい作品だ。「なぶられた者」がおこす非合法的な雰囲気を伴った暴力行為は反体制的であるようなのだ。「集会所を襲う」ために「花を壊すところから始め」ることにして「花を襲」うのだ。
花が血まみれだ
(略)
花の涙を舌に畳んで
僕は夜を牽引する
せめて花の屍に生の証を捧げるべく
僕はいつの日も夜を洗い続ける
決起はどこか哀しい決意だ。代償として自分が失うものがあり、それを覚悟しないかぎりはどこに発つことも出来ないのだろう。
本誌集の最後の作品「空を向く」でも、わたしは「本当の愛を埋めに」「どこかの目的地に向かってい」る。この詩集を経て、作者は次へ発とうとしている
詩集全体に、どこかへ発つというイメージが基調として流れている。世界に対してというよりも、自分自身に対して挑戦的である作者は、常にここではない場所へ発とうとしてきた。前詩集「内在地」について、ある書評で私(瀬崎)は「内在するものに新しく出逢うために、また戻っていくのだ」と書いた。本詩集の「遊撃」は前詩集につながる雰囲気を残している作品だが、ここにも戦下のような状況でなお発とうとしている姿がある。
詩集タイトルが詩行として使われている作品「シリカゲル」では砦を発とうとしている。
そういう朝が あったなら
裳のすべてを断ち切って
晴雨兼用の傘をさし
ルオ-のキリストの涙まで
あたしを渡ってゆくだろう
夜の病院を訪れる「夜勤」。そこは死に向かう生の象徴的な場所である。「生まれはどちらですか」と訊ねているのだが、それはそのまま、今ここに在ることの意味を問いなおしていることだ。
生まれを知らないあたしだから
入って行かれる
過去へも 未来へも
犬が呼んでいるところならどこにでも
死んだ人は強いよ
強いよ
誰かと電話中の守衛がきっとそんなことを言っている
「紫」は美しい作品だ。「なぶられた者」がおこす非合法的な雰囲気を伴った暴力行為は反体制的であるようなのだ。「集会所を襲う」ために「花を壊すところから始め」ることにして「花を襲」うのだ。
花が血まみれだ
(略)
花の涙を舌に畳んで
僕は夜を牽引する
せめて花の屍に生の証を捧げるべく
僕はいつの日も夜を洗い続ける
決起はどこか哀しい決意だ。代償として自分が失うものがあり、それを覚悟しないかぎりはどこに発つことも出来ないのだろう。
本誌集の最後の作品「空を向く」でも、わたしは「本当の愛を埋めに」「どこかの目的地に向かってい」る。この詩集を経て、作者は次へ発とうとしている