ミャンマーチーク屋さんのわが道を行く

日々の出来事と旅と愚痴と文句を勝手に語る日記。

ネガティブ妄想

2020-04-16 10:15:30 | つぶやき
いろんなことに飽きてくると、思考もネガティブになってくる。

ウイルス収束後の世界である。すでにウェブ上では「アフターコロナ」なる言葉も飛び交い、不況下をいかに生き延びるか、テレワークに特化した働き方の模索といったことが話し合われている。間違いなくこれを機に棚ぼた的に「働き方改革」も進むだろう。

けれど私にとっての関心ごとのひとつは国家間の移動にまつわること。おそらくこれを機に現在のグローバル化は否定せずとも、いくらか針を戻して少なからず人の流れを規制しようという動きが出てくるのではないかということ。出入国にビザを課したり健康診断書を求めたり、または保険税などという名目である程度の額を徴収したりすることが行われることになるような気がするのだ。

そのくらいで済めばまだいい。グローバル化で世界は身近になったが、国を越えて入ってくるのは、人、モノ、金だけでなく疫病もやってくるということをどの国も思い知った。それなら極力、国を閉ざしていたほうがいいのではないかと考える人々、国が出てくるのもまた自然だと思う。

1930年代、当時世界恐慌を乗り切るために、多くの国は通貨圏ごとにブロック化し国を閉鎖した。コロナ終息後、本格的にやってくる大不況では、皆、他国を気にかける余裕などなくなっているはず。アメリカは今よりはさらに内向きになり、EUもコロナの疲弊で存在感は薄まり、日本も瀕死状態。かろうじて中国だけが元気で、今こそチャンスとばかりに存在感を高める。世界中でインバウンドは縮小し、旅行や留学という行為も縮小し、グローバリゼーションから反転してのブロック化、こうして世界恐慌の再来、というネガティブ妄想が止まらない。

これからは暗黒の時代がやってくるのではないか?
2020年が終わりの始まりなのではないか?

そう思いながらも、どこだったが外国の経済学者の記事が目に留まった。

世界中の人々はコロナウィルスにおいて多くの自粛を強いられている。近代において戦時中以外でのこのような大規模の自粛はかつてない不自由を人々に与えている。これが終息した後の人々の外に向かうエネルギーは、大規模な形で経済に恩恵をもたらすだろう。人は我慢を強いられれば強いられるほど、解放された時の反動は大きくなる。自由を満喫するための確認活動として、消費という形で体現しようとする。

つまり終息後は、戦後の復興特需のように経済は上向きになるだろうという予測…?

まぁ、本当のところはどうであれ、ちょっとだけ勇気づけらるものであるのは確かだ。

まだまだ頑張らねば…。
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家籠り

2020-04-14 20:55:45 | つぶやき
連日、自宅に籠っている。

買い物や散歩、ウォーキングに自転車で…と1日一度は外に出で陽に当たるようにはしている。テレビを付けるとめげて来るのでなるべく観ないようにしている。仕事が無くなり毎日、家にいる生活。これでお金が有り余るほどあれば、完全なリタイヤ生活である。仮に金は無くとも、例えば国がベーシックインカムなどの制度をやってくれるのであれば、完全な怠け者生活にもなる。

コロナウィルスの自粛生活は、私たちにリタイヤ生活かちょっとした怠け者生活の疑似体験をさせてくれる貴重な時間ともいえる。健康で仕事がない状態で生活すること。多くのサラリーマンは定年退職後にそれが現実のものとなるが、私のような弱小自営業者にとっては、なんとなく死ぬまで働かないといけないような強迫観念に駆られており、よほど余裕があるか、または廃業するか体を壊すかなどの理由がないと、そんな時間はないんじゃないかと思ったりする。なので今の間ちょっとだけ、それを楽しんで味わっておきたい。

ダラダラするのは簡単だし楽だが、正直、ちょっと飽きてもくる。やはりある程度規則正しい生活をした方がいいような気がしている。

明日からちょっと真剣に何か考えようと思う。





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平時が大事

2020-04-12 17:02:19 | 時事(国内)
自粛と休業補償はセットで…。

大阪の府知事さんは、大阪は東京と違ってと財源がないので、同じようにはできませんと言っていた。正直な発言で一定の理解を得ていた。でもこれが国の国会議員の人からはまったく聞かれない。本当は日本の国単位だってお金がないのに…。

アメリカやドイツなどと比べて同じような補償ができないのは、そもそも日本の財政に余裕がないからだ。ずっと長い間、借金頼みの国家運営をしてきたせいで、こんな時に弱さが出てしまうもの。でも、こういう時に嫌われることを言う政治家がいない。それはどうかと思う。

今回も国が国債を発行し、日銀が大量の円を刷る。借りたものは、絶対いつか返さないといけない。どんなに先送りしても限界は来る。そうなれば円の価値がなくなり、ちょっと前のアルゼンチンやジンバブエのようにハイパーインフレになり、円は紙くずに…。

そういう説明もしないと、国民は「補償、給付、減税」をもっともっと求めて来る。

今回は致し方ない状況かもしれない。ただ国は収まった後、コロナで負担した分を震災時の特別税の徴収と同じように負担を求めてくるはず。

今の現役の政治家は、未来の破綻日本の時には、おそらく誰もいないだろう。だからこそ平時からもっと国の借金を国民と政治家が意識していかないといけない。

いつか借金をしなくても国を回していける政党が政権を取らないといけない。
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マオ君

2020-04-11 18:06:52 | つぶやき
西表島のキャンプ場で東京から来たニューヨーク在住の母子に出会った。

マオ君4歳とそのお母さん。お父さんはアメリカ人でNY市警の警察官。3月に母子で一時帰国中にコロナ騒動に巻き込まれ、アメリカに帰国できなくなってしまったとのこと。お母さんの実家は東京にあり、そこには疾患をお抱えるおじいちゃん一人が住んでいる。

帰省中に東京の患者数も増え続けていく中、ニューヨークでも感染が増大し、家には疾患持ちのおじいちゃん。もし感染させてしてしまったらという不安もあり、考えた挙句、沖縄へコロナ避難ということになったようだった。

NY在中のお父さんからは、毎日、携帯へ電話が来る。お父さんは日本語もできるので、私たちもテレビ電話で話をさせてもらった。NYの状況は相当酷いようで、警官であるお父さんの仕事は、今や在宅で亡くなった人を運び出す仕事になってしまっていると、また同僚の感染もかなり出てかなりきていて、マオ君とお母さんに、当分、帰れる状態ではないだろうと話していた。

で、4歳になるマオ君、お父さん似でくるくる天然パーマがとてもかわいい。キャンプでは子供に出会うことがなかったせいか、うちの娘の後を追い回し、どこに行くにもついてくる。食事も一緒、出掛けるのも一緒、完全にうちの家族と同化してしまった。

マオ君らは、あとひと月は西表や石垣、その他のキャンプ場を点々するらしい。

マオ君のお母さんは逞しいなと思いきや、やはり昔、バックパッカーだった。アウトドア系でテントとシェラフを持ちアフリカや南米を何年もフラフラしていたらしい。山も好きでケニア山やキリマンジャロ、南米のアコンカグアなども登ったそう。20年以上前だが、ちょうどコロンビアにいた時期が重なっていたので、どこかで会っていたかもしれないと盛り上がった。聞けば年齢は私たちとそう変わらない。マオ君のお父さんは36歳なので、一回り以上若い旦那さんを捕まえたことになる。馴れ初めは聞かなかったが、結局、落ち着いたのはアメリカだったとのこと。

旅後の人生も人それぞれだ。

昨日、朝、メールが来ていた。

今は石垣島のキャンプ場(1泊400円)に移り、しばらくはここにいるつもりらしい。けれどキャンプ場には誰もおらず、マオ君も毎日、退屈なんだとか。コロナ避難も、長期でキャンプとなるとそれはそれで大変だろうなと思う。

背中、痛いだろうな…と。

一番、それが気になっている。


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今から…

2020-04-10 09:34:01 | つぶやき
気づけば、4月も初旬。花粉症のピークも、もうじき終わりだ。

11月から花粉症の舌下免疫療法を始めて、およそ5か月。今年は例年に比べて花粉は少なめなどと言われているので、そのせいかもしれないが効果てきめんだった。今年は家族3人、一度もくしゃみ、鼻みず、鼻づまり、目のかゆみに悩ませられることはなかった。一度だけ奈良公園に行った時、その症状が出たが、軽めの薬を併用することで無症状で済んだ。。

ただあと2年半は飲み続けないといけない。それでもこんなに楽になるのならもっと早く始めていれば良かったと思うほど。けれど子供で(特にスギ花粉の症状が重い方)は無償でできるので絶対、やった方がいい、いや、やってあげるべきだと思う。

大人はひと月2800円くらいの薬代がかかるが、本当に花粉症の時期なんだろうかと疑うくらい、改善されるので、個人的には非常にお勧め。ただ2割の人には効果が見られない、ということもあるらしいので、そこをどう判断するのかだとは思うけれど…。

今日、愛知県と岐阜県に独自の緊急事態宣言が出た。

普段、繁華街に出ることなど、ほとんどないのでどのくらいの効果があるのかは不明だが、ある程度はすでに自粛している感はあるので、何がどう変わるのかはちょっとわからない。私は家籠り派なので、とにかく外出しないことがベースになる自粛自体には何の苦痛もないが、家にいると余計なモノをあまり自覚なしに食べ過ぎてしまうので、健康には良くないなと思う。

いろいろなことが今から始まるんだなと。

終わりが見えないことが何よりもしんどい。
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このばばぁ!

2020-04-09 20:48:35 | つぶやき
この2日ほど、催事の準備に追われていて、ようやくほぼ終わりが見えてきた。
そして今日、主催者のオーナーさんから朝一で電話があった。

オーナー:「あのね、やっぱりどうなのかなと思ってね…」

わたし:「えっ、あっ、やっぱり辞めようかなということですか?」

オーナー:「そうなの、だって、マズいでしょう!」

わたし(心の声):「おいおい、だからこの前、それを確認するために連絡したんだよ。それでもやるって言ったのは、あなたでしょ!。それを今さら辞めるっていうのは、どういうつもりだよ!」

わたし(本当の声):「あー、そうですか?その方がいいですよね。このタイミングだと多分、お客さんも敬遠しそうですもんね…」

オーナー:「あなたもそう思うのね。じゃぁ、辞めるわね。また夏か秋によろしくね。ガチャ…」と切れた。

わたし:「ふざけんなー、このばばぁ!、どこかでコケてスネでも打ってのたうち回れ!」

この人の辞書には「すみません」のひと言がない。本当に世の中にはいろんな人がいる。

ということで催事も中止になった。まぁ、当然と言えば当然なのだが、準備に費やしたこの二日間を思うと、身勝手な主催者に本当に腹が立った。

そしてテナント側との話し合いで、19日までのおおよそ半分程度の店の休業許可が出た。もっとも開けていても人はいないので、基本、仕事にはならない。今月はまだ先月分の収入があるが、来月からはほぼ無収入となる。これは大変、困ったことである。

そこで妻から我が家に、緊急緊縮財政発令が出された。

ささやかだが、トーストと牛乳のランクを2ランクダウン。フルグラも果実分の少ない低価格のやつにする。コーヒーもライオンコーヒーからお徳用大容量タイプへ一気にダウングレード。でもバターをマーガリンに…というのはどうしても受け入れられないなどの意見が出た。そもそもお肉はあまり食べないし、魚も大衆魚が多いのでここはほぼ変わらず。米の玄米も現状維持ということになった。

こうやって振り返ると、うちは別段、何一つ贅沢をしていなかった。ただひとつレジャー費を除いて…。「本来ならここにメスを入れないといけないのでは…」という話になった。もっともな話だ。生活が苦しくなるというのに食費やその他を削って、レジャー費に回すというのはどこか間違っているし、そもそもおかしな話だ。

7月にロシアへ行くことになっている。もちろんそれまでに収束していなければ、そもそも行けない。そういうことならキャンセルするしかないしお金も戻るのでなんら問題ない。しかし、ある程収束し、行けるような状態にはなったが、仕事は元に戻っていない場合、さてどうするのか?という話だ。この旅行も2人分はマイレージなので、旅費の面ではかなりの削減旅行なのだが、ただこういう雰囲気の中、気分は重いが財布は軽いというのが問題だ。ただ熟慮した結果、思うところはあったが、やはり行けるうちに行っておこうということになった。ちょうどパラオ旅行のホテル代と、一人分の航空券代が戻るので、その範囲に収めて持ち出し厳禁で行こうということに落ち着いた。

生きていくうえで必要なものは人それぞれである。

そして優先順位も、人それぞれだ。

こういう時だからこそ、ギスギスせず、穏やかに過ごしたい。


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西表島 カヌー編

2020-04-08 20:39:00 | 旅行(国内)
西表島でカヌーに出かけた。

両側にマングローブが生い茂る河を登っていくことおよそ2時間。両腕がパンパンになったころ上流に着いた。今度はそこから山の上層部にある滝に向かって、ぬかるんだ細い道をトレッキングする。歩いて小一時間で滝に到着。緑色の苔がびっしりの岩と石が広がる場所に滝があった。滝の上に上るとそこに流れる水辺に天然の大ウナギがいた。

西表島にはちょっと日本離れした大自然があった。

ガイドさんは兵庫県から西表に来て6年目の女性だった。生き物や植物に詳しく聞くとなんでも答えてくれる生き物博士のような人だった。以前は水族館に勤めていたそうだが、こちらの自然に魅了され移住したのだとか。西表にはダイビング好きか生き物、または自然好きな人が移住者に多いのだそう。

わかるような気がするが、私には絶対に無理だと思った。まず虫が多すぎる。どこにでも何かしらの虫がいたりする。それがもう耐えられない。キャンプも嫌いではないが、夜眠るときに背中が痛くなるのがキツイ。理由はマットレスが薄いからだが、寝返りを打っても体中が痛く、3泊目には痛くて夜中に目覚めてしまったほど。フカフカのマットがないと連泊キャンプは辛いなとつくづく思った。

これは軟弱ということではなく、おそらく体質の問題だと思われる。

食材は石垣で買い込んで毎日、3食自炊をした。米を炊き、肉を焼きカレーを作ったり…、最初は楽しかったが、3日目には正直ちょっと飽きてくる。妻には言えなかったが、やっぱりキャンプは2泊で充分。いや、やっぱり旅館とか普通に宿に泊まる方が楽だし良く眠れるので、キャンプは体質的に向いていないのかもしれない。

西表島はもう十分。

やっぱり国外の方が楽しい気がした。



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取り付く島

2020-04-07 19:42:07 | つぶやき
入居している駅テナントの状況が激変ということで、皆で対策を練ることに…。

3月も激減ではあったが、それでもまだ人は歩いていた。それがやはり「志村けん」が亡くなった翌日くらいから、ピタリと止まったようだった。確かに今日もほぼ歩いていない。飲食街もさらに減ったように見える。

この際、施設全体で休業はできないだろうかと、緊急会議のような形で話し合いがあり、とりあえず賃料の減額要求と自主的な休業を認めることを運営側へ伝えた。すると時間後に賃料減額が認められた。なんとなくそこはすでに決まっていた様な気もしたが、休業は持ち帰って後日返答ということになった。

多くの店舗では、どうせ人が来ないのなら、期限を決めて完全に閉めたいと考えている方が多かった。もちろん私もその一人で、とりあえず19日までは閉めてもいいと思っている。できれば開けるも閉めるも各店舗の自主性にお任せしてくれると、なお、ありがたいと思う。

今月は、来週から催事の予定が入っていた。
先月の催事は当然のごとく中止になったが、来週に控えているもう一つの催事からの中止の連絡は未だない。そこで催事先のオーナーに電話してみた。

わたし:「こんな状況ですが、どうですか?」
オーナー:「あなたの、お考えはどう…?」
わたし:「多くの催しはほぼ自粛になっているので、そちらではどうなのかなと思いまして…」
オーナー「どうもこうもないわよ、私がやると言えばやるの、それだけ…」
わたし:「来客数に影響などはありそうですか…?」
オーナー:「その心配はあなたには必要ないのよ、私がするから。」
オーナー:「売り上げの責任は持てないどね…じゃ、搬入よろしくね…」
オーナー:「ブチッ」と電話が切れる。

恐るべし梶芽衣子(似ているので勝手にそう呼んでいる)。取り付く島もなかった。

その後、友人から連絡あり。

友人:「給付金の申請だけど、出来るだけ早めに申請したほうがいいよ…」
わたし:「もう、申請基準、決まったんですか?」
友人:「おおよそね」
わたし:「どういう感じですか?」
友人:「今、メールで送っといたから、多分、若干の変更はあると思うけど…」
わたし:「すみません、大変、助かります」
友人:「こういうのはね、予算が無くなりそうになると、書類チェックが厳しくなるから…」
わたし:「そういうもんですか…」
友人:「そういうもんなの、世間知らず!」

ありがたいが、こちらも取り付く島がなかった。

名古屋市の小学校も、今日始業式だったが、結局、19日まで休校になった。その後はまだ未定だが、最大で5月6日まで伸びるかもしれないという話も…。

いろんなことが、だんだん面倒になってきた。

現実逃避がしたい…。

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西表島編

2020-04-06 19:29:00 | 旅行(国内)
石垣から船で40分、揺れもなく到着。西表島は沖縄県で本島の次に大きな島だったらしい。そんなこと全く知らなかった。石垣からの船は、便も多く一番栄えている南側の大原港か北側にある上原港のどちらかに着く。私たちはか大原港行きを選んだ。そこでレンタカーを借り宿泊地である上原港近くのキャンプ場を目指す。

西表の宿泊はキャンプにしてみた。

目指すキャンプ場には固定のテント、設備の揃ったキッチンに24時間使用可能のお湯シャワーがあり、寝袋と食材持参すれば手ぶらキャンプができる。これで一人1泊1000円×3人分で3000円。そこに固定テント代が1000円プラスされ、3人で1泊4000円になった。キャンプ代としては高い部類に入るとは思うが、設備を考えれば充分安い。しかも設備はどれもキレイでとても快適だった。

大原港からキャンプ場まで車で40分。結構、遠いので、あらためて島の大きさを実感する。道沿いには「イリオモテヤマネコに注意」の看板が至る所に設置されている。西表と言えば、とりあえずヤマネコだ。ただ夜行性なので地元の人でもめった見れないらしい。道は海に沿って1本しかないので、基本迷いようがないのだが、ナビを入れてその通りに走ったら、なぜか6キロ先の普通の民家に着いてしまった。不思議だ。民家の人に聞いてきた道を戻りようやく到着。

西表島は島のほとんどが手つかずの自然のまま。マングローブのジャングルや滝があり、まさにネイチャーアイランドそのもの。個人的には自然より街の方が好きなので、この島では妻が主導権を握り私は後から付いていくだけ。本当はキャンプ場でボーっと本でも読んでいたかったのだが、あまり「行かない!」を連発すると機嫌が悪くなるので、まぁ、仕方ない。妻は若いころ、この島で住み込みバイトをしており、ようやく再訪できたことに大喜びでテンションが高かったので尚更、素直に従うしかなかった。

同じ旅行好きでも、それぞれのスタイルがある。そこを合わせるのはなかなか大変で、これはもうどちらかが合わせるしかない。今回は私が先に与那国に付き合わせてしまったにので、後は私が合わせる番だった。

そういえば、今日の夕方、石垣と西表と与那国の八重山の3町がちょうど来島の自粛を発表していた。あまりにもタイミングが良すぎてちょっと微妙な気分。

そしてようやく緊急事態宣言。周囲に押されての宣言というのは、ちょっとどうなのか?。

で、なぜ、愛知県は入れなかったのだろう…?
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与那国島編

2020-04-05 20:05:19 | 旅行(国内)
石垣島から50人乗りのプロペラジェット機でおよそ30分。水平飛行はごくわずかであっという間に日本最西端の島へ到着。乗客は8人のみだった。通称「ゲロ船」と呼ばれる船も石垣ー与那国を週3便から4便、およそ4時間半で結んでいる。こちらは往復で7000円弱と経済的だが、時間の都合と船酔い体質もあってここはビューんと飛んでしまった。

与那国島。

台湾までおよそ110キロ、フィリピン北端の島までも480キロと東京ー大阪間よりも近い場所に位置している与那国。もしこの島から船でも出ていれば国境の島として、もう少しは栄えていると思われるが、実際は特に何もない。海底遺跡とハンマーヘッドシャーク目当てのダイバーと野鳥好きのおじさんが時々訪れる程度らしい。

車を借りて島内を走る。一周しても40分程度の島だった。島は3つの集落があり、それぞれ民宿と雑貨屋さんと飲食店と郵便局が数件あるだけであとは何もない。銀行もコンビニもスーパーもない。しかも人も少なく、滅多に遭遇しない。途中で食堂に入り与那国そばを食べ、日本最西端の碑の前で写真を撮る。1年のうち数回だけ台湾が見えるという場所から台湾を眺めるが、当然ながら見えない。与那国空港に台湾が見えた日の写真が飾ってあり、その写真にはすごく近くに大きく見えた台湾があった。あんなに大きく見えるのに、どうしていつも見えないのか不思議だった。

それから「Dr コトー」の撮影が行われた診療所跡へ行ってみたり、普通に道端に歩いている馬や牛を近くで眺めていた。何もないが、天気も良かったので牧場のような景色と人のいない風景がとても気持ち良かった。

宿泊は民宿の素泊まり。泊り客は大きなキッチンで自炊ができるようになっている。そこには大きなテーブルもあり宿泊客が集えるようになっている。ちょうど野鳥おじさんとダイバーのお客さんが一人泊まっていた。夕食前に皆で話をする。こういう民宿に泊まるのが初めてだった娘は
普通のホテルより楽しいと喜んでいた。

さらに民宿のおじさんともいろいろな話をした。本土はコロナ一色なのに、与那国ではマスクをしている人は皆無だった。聞けば、コロナの影響で少なからずキャンセルがあり、島の経済には大きな打撃なんだとか。おじさん曰く、島を完全に封鎖しない限り、いずれはやってくるだろうと島の誰もが思っていると言っていた。けれど島の経済の多くは観光業と繋がっていることから、自粛で誰も来なくなることも本意ではないとのこと。役人と年金生活のお年寄りは来てほしくないと思っているのは、まぁ、当然かもしれないが、立場によって人の意見は様々だ。

石垣島に本土からコロナ避難で多くの人が押し寄せているという記事がネットに掲載されていた。石垣には一泊、しかも夕方着いて、翌朝出てしまったので良くわからないが、島民のマスク着用はほぼ皆無。しているのは外から来た観光客のみという感じだった。夕飯を食べに街に出かけたが、自粛もほぼ皆無。入った地元民と観光客が半々という居酒屋もすぐに満席に…。しばらくすると三線を持った店長が島唄を歌い始めて大盛り上がりという展開に…。店員さんに「自粛とかはないんですか?」と聞くと、「地元の人は、ほとんどないですね。でも観光客の方はいつもよりは随分少ないですよ…」と。なんとなく、石垣に押し寄せる的なネットのニュースとは、ちょっと違うような気がした。

自粛は必要だろうと思う。ある程度の移動制限も。ただ完全かつ強制的にやれないなら、立場によって考え方が微妙に異なるのではないかと思う。強制なら諦めもつくし、とりあえず補償も出るだろうし、あとはひたすら耐えるだけになる。本当は国が強制的に一定の期間、経済活動を含めた移動と外出制限をやれるならそれがベストなのかもしれない。

けれど自粛はあくまでも自粛で強制ではない以上、補償だって当てにはならないし、結局は自己責任で生きていかないといけない。離島で観光客相手で生きている人達にとって、誰も来なくなるのは死活問題だ。本音は可能な限り気を付けて来てくれるのが一番だということ。これは現在、場所に関わらず、すべての商売において言えることだと思う。コロナは怖いが、仕事はしないと生きてはいけない。

理想的な批判ばかりでは、本質的に何も解決しない。

日本の一番西の端で、志村けんの死とこんなことを考えていた。
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