はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

安倍城址周遊コース

2014-11-04 17:25:07 | 低山歩き
 昨日安倍七観音の極楽峠(建穂寺~増善寺)で思いついた安倍城址周遊コースを歩いてきました。
コースは若干想定と違った所もあったが、はぼ想定通りでした。
歩行記録                            2014-11-3
歩行時間:9時間40分   休憩時間:1時間05分   延時間:10時間45分
出発時間:5時55分    到着時間:16時40分
歩  数:  42、625歩   GPS距離29.8km
行程表
 安倍川駅 0:50> 吐月峰柴屋寺 0:30> 歓昌院坂 0:40> 牧ヶ谷橋 0:35> 洞慶院 
1:30>
 安倍城址 0:25> 西ヶ谷峠 0:20> 増善寺 0:30> 極楽峠 0:15> 常住山 0:35> 千代緑の森
 1:30> 牧ヶ谷橋 1:00> 丸山花木展望台 1:00> 安倍川駅 

       
                                  安倍川駅から
 安倍川駅からの富士山がバッチリなので安倍城址からの景色に期待をかけて丸子川遊歩道を行く。
 
                  丁子家                          吐月峰柴屋寺
 丸子名物ととろ汁の丁字屋は、まだ開店前で雨戸が閉まっていた。
吐月峰柴屋寺は今川氏親が連歌師宗長に、当時の丸子今川館の中に草庵を建てたのが起源です。
宗長はここに居を置き、全国を歌会を催しながら流浪した歌人です。しかしその実態は氏親の密偵だったとの説も
ある人物です。柴屋寺にいるときは境内の竹で細工物を作り、中でも吐月峰の焼印を押した煙草の灰吹き(灰皿)は
有名で、灰吹きの事を吐月峰と云うほどだったと言います。
また、吐月峰とは柴屋寺境内の月見石から眺めて、月が昇る山の事で、現在の丸子富士のことです。
実は私の好きでない山の名前の筆頭が、この丸子富士で、本物の富士山と並んで見える場所にある貧弱な山が、
何故富士なのか不満でなりません。どうせなら吐月峰と命名すればと何度かブログに書いてきました。
先日徳川家康の最初の正室、築山殿(瀬名姫)を主人公にした「月を吐く山」(諸田玲子)を読んだのですが、その
中でこの月を吐く山の名を「東山」と書いてありました。これが正確だとは云いませんが、この小説家は本の題名に
するほど拘っている山なのに丸子富士の名前は使っていません。
今からでも丸子富士を吐月峰に変えませんかね。隣には同じく峰と名前の付いた満観峰もあるのですから。

 柴屋寺の月見石から丸子富士が見えるか確認しようと思っていたが、ここもまだ山門は閉まっていた。

      
         歓昌院の山門                        小さな五百羅漢                      
 天柱山吐月峰柴屋寺、天柱山歓昌院とどちらの寺も山号は天柱山を使っている。その天柱山がどの山の事か
分からないが、こうして歓昌院をみると裏に聳えている山が天柱山と思えてくる。
国土地理院の地図で調べると、この山は歓昌院坂の峠から西に登った242m最初のピークと思えるが、ピークより
西には313mの三角点、更に西は駿河峰(地図に山名表示は無い)はある。どうせなら駿河峰より天柱山の方が
良いとこれも以前から思っている。

 
             丸子富士                     水場(五臓の泉)
 歓昌院坂の山道は墓地の外側の林道との間に新旧の道標がっている。
山道が林道と再度合流した所から丸子富士が見えていた。三角形の山がそうですが、どうですか富士に見えますか。
 十字路になった峠は右(東)は梵天山を経て徳願寺。左(西)は駿河峰、大鈩山に延びている徳願寺の尾根だ。
今日は前進して峠を下る。
 この峠の下りは大崩山塊には珍しい岩場?いや岩が少しある道で、ロープなども設置してある。尤も意して歩けば
ロープは必要のない程度の道ですが。
この峠道には色々標識が立っていて面白い事も書いてある。道が林の中に入りなだらかになる所に「五臓の泉」
書かれた水場には「五臓(肝・心・脾・肺・腎)を元気にする お水です。あまり宣伝しないで!」書いてあった。
 立っている標識には「古代の東海道」と盛んに書いてあったが私は信用していない。よくて安倍川が増水して渡れない
時の上流の向かう道ぐらいだったと思っている。
 峠を下ったは遠いむかし官営の牧があったので牧ヶ谷と名づいたという。山から出ると平地は左右に広がるが
さらに進むと、今度はまた山が迫ってくる。言うなれば巾着袋の様に入口が狭くなっているので、馬を逃がさない柵は
短くて済む。広い平野に作るより管理が楽だったろう。
 更に進むと安倍川にぶつかり、先月の安倍七観音で渡った牧ヶ谷橋があり、相変わらず川の流れに挟まれた
木枯しの森がある。安倍川を眺めて前回と違うのは、橋より下流に釣り人の姿が沢山見える事で、どうやらアユの
友釣りではなく餌釣りをしているようだ。11月1日解禁になったのだろうか。そういえば歓昌院坂を下っているときに
猟銃の音を何回か聞いたが、こちらも1日に解禁になったのだろう。

 藁科川の左岸の堤防を遡って行くと、いつの間にか堤防の上の道は洞慶院に続く久住谷川の堤防になっていた。
洞慶院はこの川に沿って行けば良いので分かりやすくてよい。
洞慶院には梅の時季に2回訪れているが、2回とも歩こう会の例会だった。団体だと他人の後ろを歩くだけなので
道の記憶はない。不思議なもので一人で歩けばある程度記憶に残るが、連れられて歩いた時は殆ど記憶に残らない。
車のカーナビで行った時は記憶に残らないと同じで、矢張り苦労しながら歩いた方のが記憶に残るのだろう。
また、途中で出合う石仏なども団体だと見る事も出きないが、一人だと自由に見る事もできる。

 
               洞慶院境内                        安倍城址ハイキングコース入口
     洞慶院の場所
 曹洞宗久住山洞慶院 通称「とうけんさん」。この寺の知識は梅園と昔の郷土玩具「おかんじゃけ」位の物だが
どちらも古くて今では余り人気はないようだ。梅は古木が多く幹には白い苔がつき花も余りついていないし、竹で
作った厄除け玩具は有名らしいが余り知られていない(?)。
洞慶院の案内板を読みたかったが、歩いた場所が悪かったのか、寺の説明を書いた物は無かった。

   
代わりに安倍城址ハイキングコースの地図を書いた案内板を見つけた。
今日のコースは洞慶院から安倍城址に向かうのだが、案内図には途中に33番石仏と久住砦があると書いてある。
途中に見る物があれば変化があって楽しく歩け、道が短く感じるので大歓迎だ。
安倍城址の手前とその先に増善寺に行く道が2本書いてあるが、今日は城址を通り越して「※急坂」と書いてある
道を下る。手前で下る道は極楽峠に行く道かと思ったが、どうやら違うようだ。増善寺から先の極楽峠から千代の
道は書いてないが、マー何とかなるだろう。

        
     1番石仏                  鉄の蜘蛛の巣             33番石仏
  ハイキングコースは良く歩かれ、道はしっかり踏み固まっていて歩き易い。途中にある丁目石(?)は平らな
石に線画で仏像が書いてあるが、はっきり見えない物が多かった。決して古い物ではなかったが。
だがその間隔が狭くて次々と現れる。33番が頂上ではない事は分かっていたが早い事はいいことだ。
33番石仏のある場所は少し平らで広くなっており、かって奥の院でもあったのだろうか、だが何の案内も無い。
 久住砦も案内に気が付かなかった。ただ2本目の鉄塔を過ぎた所に、人工物か自然の地形なのか分からないが
掘割のような凹みがあった。あそこが久住砦なのか?

 
                 安倍城址                        安倍城址から富士山
 標高435mの安倍城址に到着。山の名前は??? 三等三角点があるがその名前は「羽鳥村」らしい、
これでは役にたたない。城山か、それとも久住山か。マー山や岳が付かない山でもいいのかもな。

 山頂からの富士山の景色は期待外れだった。が下の写真はどうでしょう。

 
 一番手前の安倍川の流れに沿って、賎機の町並みと賎機山の連山。その向うの街は静岡市の住宅地から草薙、
清水にかけての町並み。その町並みの中に浮いて見えるのは谷津山で、その後ろは日本平だ。
更に後ろの駿河湾を挟んで見えるの伊豆の連山。写真左に見えるのは梶原山から高山の山脈だろう。
富士山の眺めは今一だが、この程度景色が見えるなら良しとしよう。

 
               西ヶ谷峠の鉄塔                     西ヶ谷峠から
 安倍城址から5分も下らない所に増善寺の分岐があった。直進すると西ヶ谷総合運動場や内牧に行き、増善寺は
ここを右折して案内に図に「※急坂」と書かれた所を下る。だが脅かされる程の急坂でもなく無事西ヶ谷峠に到着。
西ヶ谷峠は増善寺と西ヶ谷総合運動場の間にある鉄塔の建っている峠で、下からも見つけ易い場所にある。

 
                            西ヶ谷峠下の崩壊現場
 西ヶ谷峠から5分も下らない所で突然道が無くなってしまった。踏み跡が無くなったのではなく道が無い。
ウーン!先月歩いた時は何でもなかったが、その後台風が来た。我家の方は台風が通過したか割らない程度
だったが、清水では巴川が氾濫して浸水した家屋があるとニュースで見た。この辺りも大雨が降ったのだろう。
イヤそんな事はどうでも良い。問題はここをどう切り抜けるかだ。
 崩壊範囲は狭く、道自体の被害は5m程度だが当然ここは通れない。上を見ると斜面が急で横断するのは無理
そうだ。下を覗き込むと、周りは折れた竹や木が散乱していて、何とも頼りない状態で足の踏場がなさそうだ。
それより直接崩壊している個所を降りた方のが手っ取り早そうだ。と倒れている太い竹を掴んで降り始めた。
竹の次は剥き出しになった木の根を取っ手に出来たので思ったより簡単に下れた。上に上がる場所は問題なかった
ので、被害は手の平が汚れただけだった。アー良かった。

 危険な事が嫌いな私でもこの程度だったので、誰でも渡れると思うが、一応この場所が崩壊している事を考慮して
計画をたてた方が良い思います。どちらかと云えば増善寺側からの方が大変かな。      つづく

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