はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

遠江四十九薬師霊場1-5

2014-03-16 17:14:44 | 遠江49薬師
歩行記録
歩行時間:6時間30分   休憩時間:3時間15分   延時間:9時間45分
出発時間:7時00分   到着時間:16時45分
歩  数:  41、403歩   GPS距離29.8km

行程表
 磐田駅 0:15> 1番 0:20> 2番 0:10> 3番 0:20> 5番 0:30> 6番 0:25> 7番 0:40> 8番
 0:05> 9番 0:25> 10番 0:35> 11番 0:35> 12番 0:30> 13番 0:10> 14番 1:05> 16番
 0:20> 15番 0:05> 高塚駅

                         14番成金寺(馬頭観音)
 14番成金(じょうきん)寺は馬込川の左岸にある寺で遠州33観音の札所にも指定されている。そう聞けば
何やら古刹を思い浮かべるが、実際は寺名の別読みの「なりきん」寺の方がイメージに合う感じがした。
何しろ冠木門を潜り境内に入ると右側に半跏座の地蔵が鎮座している。その地蔵の名前は「財宝地蔵」とある。
成金寺の財宝地蔵とくれば一攫千金を夢見る金の亡者の信仰を集めそうだ。地蔵さんを良く見れば前回来た
時には無かった金色の鐘が増えている。これは大儲けして成金になった信者が寄進したのかも。(ご免なさい)

 沙弥壇の上には薬師三尊と十二神将、他にも多聞天や広目天、増長天、持国天などの四天王も並んでいる。
後で知ったのだが、この寺には他にも馬込川から出土した一木造の観音像も安置してあるという。残念ながら
見過ごしてしまった。

 
               成金時山門                         薬師三尊                  
               成金寺の地図
 この寺は昭和29年に火災にあった以後、昭和50年代に本堂が建てられるまでは荒れ放題の寺だったという。
それが今では本堂もさることながら、境内に置かれた数々の石像。それにも増して立派なのは境内左手にある
「七観世音堂」だった。その中には千手観音を初め、馬頭、十一面、聖、如意輪観音など七観音が安置してある。
それも自然石をくり抜き、浮かし彫をしてある石像で見応えがある。中でも馬頭観音は、ここの馬頭観音と道端で
良く見かける馬頭観音とは、まるで違う観音様のように見える。
馬頭観音を調べると「像容は忿怒相で体色は赤、頭上に白馬頭を戴き、三面三目八臂」(ウィキペディア)とあるが
ここの馬頭観音は彩色こそ施されていないが後はその表現通りだった。普通道端の馬頭観音は頭上に馬の顔が
あるので馬頭観音と分かるが、観音さんの顔立はおとなしい感じのものが殆どだ。しかもその設置する目的は、
当時、馬は移動や運搬に使われる貴重で高価な財産だった。その馬が死ぬと馬頭観音を祀り供養をしていた。
故に顔立ちは他の観音と同じように、穏やかな表情の方が似合っていたのだろう。
 しかし本来の馬頭観音は「衆生の無智や煩悩、諸悪をまさに大食の馬の如く食らい尽くす菩薩である」らしい。
それなら忿怒相なのも納得できる。だがあの小さな石仏に怒った顔の観音さんを彫るのは難しかったのだろう。

 
               七観世音堂                         馬頭観音

                         16番富春院(竜宮城)
 16番富春院の山門は竜宮城の門を思わせる感じがする。こんな山門を四国霊場でも見た事がある。そうだ
土佐の津照寺(しんしょう)だ。何故記憶にあるかというと、あの寺の住職が特徴がある人で、納経帳に記入
しながら常に1番札所霊山寺の悪口を言っていた。曰く「遍路は1番からやらなくてもいい」とか「お礼回りは
1番ではなく高野山に行けばよい」
などと。聞いていると面白が時々話を振ってくるので油断はできなかったが
ここ富春院はどうだろう。
 この門のような形は楼門と呼ぶのだろうか、それとも鐘楼か。いや2階には鐘が見えないので楼門ではないか
など自問自答しながら境内に入ると、この寺の境内も石仏にオンパレードだった。
その中の「高祖弘法大師像開眼供養塔」と書かれた像は、弘法大師お馴染みの網代笠をかぶった像だった。
こんな像があるならこの寺の宗派は真言宗だろうと思っていたら、何と臨済宗だった。本当によく分からない
何故臨済宗が真言宗の教祖の像をお祀りするのだろう。

 
               富春院山門                         富春院本堂
               富春院の地図
 境内には石仏が多かったが本堂の中にも仏像が所狭しと並べられていた。余りに多すぎて雑然と感じがして
結局薬師如来の印象は無くなってしまった。果たして拝観したのかどうか-----

 
                              富春院の仏像達


                         15番地蔵院
 15番地蔵院はこの霊場の一番西に在りJR高塚駅の近くにあった。今日の予定は地蔵院も入れて後4寺
残っている。時間は4時25分でここをお詣りすれば4時半を回ってしまう。さてどうしよう。
ご朱印を貰うには5時までには札所に着かなければならないが、とても3寺は廻りきれないだろう。と言って
1寺行くにしても高塚駅から離れて浜松駅に近づいてしまう。そうなると次回は今日帰る道をまた浜松駅から
歩かなければならなくなる。エイ!止めた。今日はここで打ち止めにしよう。

 山門前には旧可美村で建てた案内板があった。それによると地蔵院は臨済宗方広寺派で、徳川家康の正妻で
家康の嫡男の信康を産んだ築山殿の守り本尊「築山御前腹篭地蔵尊」があるとなっている。
この霊場巡りでは信康が切腹をさせられた二俣城の横を歩くので、時間があれば寄ってみたい気はしている。
そしてその信康の母親の持っていた地蔵尊なら、お詣りして行こうと思った。
 山門も本堂も庫裏も完成間際のように新しく、その所為か境内までは手が回っていず芝生を張ってあるだけだ。
それが却ってスッキリした感じがした。でも続けて石仏が一杯ある寺を見てきた目には、少将淋しい感もしたが。

 
               地蔵院山門                          地蔵院本堂
               地蔵院の地図

 本堂に入り薬師三尊の閉められている厨子の前でお詣りをしていると住職が厨子の扉を開けてくれた。
姿を見せた三尊は金色の仏像でこれも新しい仏像のように見える。私の購入した「薬師のあるふるさと遠江」
には、「むかし浜の猟師の網に掛かった薬師如来」となっているが、とてもそのような代物には見えない。
マーそれはそれとしてこの薬師三尊にお詣りしよう。
 住職に日光と月光の像の違いを聞くと「私どももよく分からないので持ち物で判断しています」との事だ。
要は菩薩が持つ蓮の葉の上の部分が、如来の側に行くように並べるらしい。蓮の葉の上にある光輪の中に
三足烏や兎が描かれていると言う説もあったが、ここからでは光輪の中は小さくて見えなかった。

  
         月光菩薩              薬師如来               日光菩薩

 天狗のお面が置いてあり、その立札には「半僧坊大権現」とある。これは地蔵院が方広寺派の臨済宗なので、
本山の奥山方広寺の守り神、半僧坊もお詣りしているのだろう。
 僧侶を描いた絵があるが、これは方広寺の開祖で後醍醐天皇の皇子の姿だろうと思っていたが、後で調べて
みると、この髭の僧侶は先代の住職だった。寺を改築した功労者だったのだろう。
 これはこれは、ここまで来ると仏様とは思えないが、立札も「薬師瑠」までしか読めない。下の部分は「璃光如来」
となっていると思うが、前の額が邪魔をして見る事が出来ない。これが網に掛かった薬師如来なのだろうか?
説明がないので分からないが、これがそうなら確かに新しい仏像も欲しくなるだろう。

  
         半僧坊大権現           先代住職               薬師如来木像

 地蔵院を出て高塚駅に向かい4時45分到着。
今日は一日中寒い日で、しかも冷たい風が吹き荒れていてトレーナーもジャンパーも脱ぐ事が出来なかった。
今までも一日中こんな格好で歩く事はなかったのだから、いかに寒かったと云うことだ。
それでも高塚駅では冷たい氷結で無事終了の乾杯をあげる。途中で地図を風で飛ばされてしまい、苦労を
したが代替の地図で何とかなった。
これを薬師如来のお蔭とは言わないが、色々な偶然が助けてくれている。感謝!感謝!だ。

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