はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

大崩山塊・徳願寺尾根縦走2

2012-02-16 17:29:28 | 低山歩き
徳願寺~歓昌院峠

 徳願寺を出て農道を更に上に登って行く。道の左右には黄色く色づいた甘夏?八朔?清美?が鈴なりになっていて、ついつい腕を伸ばしたくなるが我慢我慢。

  
   登山道入口                         登山道付近の倒木

道の側面のコンクリートに「↑梵天山」と書いてある場所に出た。どうやらここが徳願寺山の入り口なのだろう。でも何故徳願寺山でなく梵天山なのだろう。マーいい、梵天山も地図にあった山だ。
林の中に入ると倒木があちこちに見えるが、登山道は支障なく歩く事が出来た。
途中に「大窪山・徳願寺山」と書いた板が置いてあったが、あれは何だったのだろう?まだ斜面の途中なので山頂とは思えないし、矢印もないので道標でもなさそうだ。折角の案内板もこれでは役に立たない。
だが待てよ、今立ち寄った徳願寺の山号はたしか「大窪山(だいあさん)」だった。となるとこの山は徳願寺山ではなく正式には大窪山なのだろうか。

  
   分岐の標識                         徳願寺山付近から静岡市街

 道が二手に分かれている。「徳願寺ハイキングコース」と書かれた立派な道標に、「右回り」「左回り」とある。右回りは山の北側を回るので安倍奥などの景色が眺められそうだが、左回りは直登になっていて山頂には近そうだ。さてどちらにしよう。瞬間迷ったが左回りにした。今日は景色は気にしないようにしよう。
 倒木したので伐採したのか、それともただ単なる伐採なのか分からないが、そのお蔭で景色を見ることができた。
他の山でも山頂にある杉や檜を伐採すれば景色が良く見えるのにと、恨めしく思うことがあるが、伐採は自然破壊なのでなく、花粉症対策と名目を付けて伐採してくれないだろうか-----

  
  駿河国扇松峰の看板                         仏平看板

 まだ山の斜面の途中だが山頂らしき表示のある所に到着。そこには「駿河国扇松峰」と書いた看板があり、他にも「仏平」の表示もある。では徳願寺山はここではないのか?
以前徳願寺について調べたことがあるが、徳願寺の元は「大窪寺(だいあじ)」といい徳願寺山の「扇松平」とか「仏平」という場所にあったらしい。ならここはその寺があった場所なのか。
高台の方からは右回りの道が下ってきているので、次回来たときは右回りを歩いてみよう。若しかしたらそちらに徳願寺山の山頂があるかもしれないので。

  
  二股の杉の木                        梵天山山頂

 林の中の軽い登りの道を10分余も歩くと「梵天山」と書かれた山頂に到着。この山が農道のコンクリートに書かれた山だが、確かにあの入り口から最初の山頂はこの梵天山だった。故にあの表示は正しいことになる。

 梵天とは神様の名前程度しか知らなかったので調べてみたが余り理解できなかった。ようは元は古代インドの神で、仏教に取り入れられて仏法護持の神となった。釈迦に説法を進めたので、仏像では本尊の左に侍立する形が多く、右の帝釈天と相対しているらしい。
他にも「梵土天竺(ぼんどてんじく)」の略で、梵天とはインドの異称とか。その妻は弁財天だともあった。
 では何故その梵天が山の名前になったのだろう。梵天は仏教に関係するから当然「大窪寺」の関係が考えられる。すると仏平の大窪寺に本尊が祀られ、その左横(西)に侍立する山だから梵天山か。そうだ、それに違いない。
だが待てよ、それなら右側に帝釈天山か帝釈天を祀った寺があるべきだが。それにご本尊より脇仏の方が高い(標高)のも不自然だな-。

 梵天山は標高375.8mで二等三角点が設置されていた。だが山頂は林の中で景色は見えない。
仏平にもあったが、この梵天山にもノートが置いてあり登山者が感想を書くようになっていた。こんな淋しい山なのに書く人がいるのだろうかとノートを開けててみると、案に相違して結構の記入があった。景色が見えなくアップダウンの多い山と言われているが、かなりリピータの人がいるようで同じ名前が書いてある。その中にこの稜線の事を「丸子アルプス」と紹介しているのもあった。ここもアルプスか!と少々白け気味になる。
それというのも同じ大崩山塊の簡保の宿から花沢山に続く尾根も「焼津アルプス」と呼んでいるらしいのだ。同じ山域にアルプスが二つとは、何かお粗末のような気がしてしまうのは私だけだろうか。

 景色の見えない梵天山を過ぎると道は急な下り坂になる。岩場はないが昨年歩いた沼津アルプスの傾斜と同等かそれ以上の感じがする。ただ沼津と違い他に人が居ないのと、道の横に樹木が残っているので、下りの勢いを止めることができるので助かる。それにしても長い急な道が続き過ぎだ。余り下ってしまうと次の山にまた登り直さなければならなくなる。

            
              歓昌院坂峠
    
 梵天山から急な下り坂を20分ほどでようやく歓昌院坂峠に到着。アー疲れた。峠の梵天山への入り口に面白い事が書いてあった。
「梵天山への坂道は 中・高生以上、40代までの男性、30代までの女性、歩き慣れている人、記録を取りたい人以外は止めた方が無難です」だって。となると私は歩き慣れている人に入るから登ってもいいのだろうか、それとも60台だから失格なのだろうか。ともかく大変な登りである事は間違いない。

 歓昌院とはこの峠の左(南)下にある寺で「駿河一国13番札所」の古刹である。その寺からこの峠までの道を、寺の名前をとって「歓昌院坂」と昔から呼んでいるようだ。また峠を越して北に下ると、安倍川支流の藁科川の中州には万葉集にも詠われている「木枯しの森」がある。
昔この峠道は、安倍川が増水して下流では渡河できないとき、峠を越えて藁科川と安倍川の合流地点より上に出て、駿府側に渡った時に利用されたのだろう。その峠も今では余り人が歩かない静かな峠道になってしまった。

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