はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

知多四国34番・33番

2015-10-24 10:00:00 | 寺社遍路
歩行記録                                                         H27-8-12(水)
歩行時間:5時間40分   休憩時間:2時間00分   延時間:7時間40分
出発時刻:8時30分     到着時刻:16時10分
歩  数: 36、270歩(推定距離27.2km)    GPS距離24.4km
行程表
武豊駅 0:15> 24番 0:35> 25番 0:40> 開山 0:30> 番外 0:20> 26番 0:50> 27番 ・ 開山 0:55> 28番 0:45>
 29番 0:45> 34番・33番・32番・31番・30番 0:05> 大井BS 

 30番から34番の札所は南知多町大井字真向にあり、それぞれの寺は隣り合った所にある。宗派も全て真言宗で、山号も
  「寶珠山」 に統一されていた。この5寺の中で “寺” と付くのは30番医王寺だけで、後は全て “院”なのをみると、医王寺が
本寺で後の寺は塔頭(たっちゅう)なのだろう。

 29番からはさっきと同じように丘の上の開拓された中の道を歩いたが、こちらの方がグーッと広い。その畑の中の直線の
道が信号の所で県道に合流したら、左折して県道を歩くとは分かっていた。
農道が最高部に達した所で信号からの農道に合流した。右を見ると交差点の信号が見え、あそこを左折すればよいのだが
前方にも細い道が延びていて県道に繋がっているように見える。近道かもしれない。
さらに信号から来た農道も県道と同じ方向に向かっているのだが、手持ちの地図は農道の先は印刷されていない。

 そこで何を思ったのか、右折して信号へ向かうべき所を、左折して農道を歩き始めてしまった。
その時の心境を後で考えたがよく分からず、近道をしようと考えたのかもしれない。
 農道を歩き出したが県道に向かいそうな南に行く道が出てこない。ようやく出てきた右折の道に入ったが、そこも両側畑の
農道だった。遠くに農作業をしていた人が見えたので畦道伝わって近づき
 「大井の真向(まむき)にあるお寺に向かう県道に行きたいのですが、あの道を行けば県道にでますか?」
 「イヤあの道は行き止まりで県道には出ないよ。県道に行くには元の道に戻って左に行った所にある信号がそうだ。」
 「じゃあの元の道を右折しても県道には出られないのですか?」
 「あの道をズート行けば海のそばの国道に出てしまう。県道には信号まで戻るしかない。」
との事でした。

 仕方なく今来た道をトボトボ戻りました。後悔というより信号を見ていながら故反対方に歩いてしまったのか不安を感じながら。
 後で歩いた道を地図で確認すると、何と何と農家の人に聞いた場所の道を行けば、県道には出ないが札所へ行く道があった。
あの人は私が県道を主体に尋ねたので、県道には出られないと言いたかったのだろう。あそこで寺を主体に聞いていれば信号に
戻らなくてもいい道を教えてくれたに違いない。矢張りあの時はどうかしていたのだ。
                                   34番 性慶院(青面金剛) 

 
                  性慶院山門                                 キツネ?

 県道7号と281号が交差する大井西交差点を右折して、東に向かった道の左右に寺が見えた。ここが寺団地か。
先ず最初の寺は34番性慶院(しょうけいいん)とあり、札所の順番では最後になるがマーいいだろう。

 性慶院のご本尊も 「青面(しょうめん)金剛」 と珍しい仏だった。青面金剛とは庚申講のご本尊で静岡県内を歩いていても、
石仏を見かける事がある。その石仏に刻まれている青面金剛像は中々ユニークな姿なのだが、小さく堅い石のため明確には
表現しきれない場合が多く、実際の青面金剛の像容はウィキペディアでは
 「一身四手、左辺の上手は三叉を把る。下手は棒を把る。右辺の上手は掌に一輪を拈し、下手は羂索を把る。面に三眼あり、
頂に髑髏を戴き、頭髪は竪に聳え、頂に大蛇を纏う。其の腰に二大赤蛇を纏い、両脚腕上に亦大赤蛇を纏い、把る棒状も亦
大蛇を纏う。・・・・・」
と、恐ろしい形相で知られている不動明王より更に恐ろしく紹介されていた。
 だが恐ろしい形相の青面金剛の光背には、二匹の鶏や丸い太陽、三日月等も彫られており、台座にも何ともユーモラスな
「見ざる言わざる聞かざる」
の三猿が刻まれている。

 この青面金剛像の石仏は知多四国を歩き出してからまだ一度も見ていない。庚申信仰は関東に人気があったらしいが、ここ
尾張ではどうだろう。果たしてこれから先の遍路で青面金剛の石仏を見る事が出来るかどうか。

   
    塩の道水窪で見た青面金剛像       塩の道切開で見た青面金剛像       東海道藤沢で見た青面金剛像

 境内を見て回ったが青面金剛の石仏は見つける事が出来なかった。ご本尊だから境内名ではなく本堂に立派な像を祀って
あるのだろう。拝観をしたかったが言い出せませんでした。

 境内に祀られているお稲荷さんの前に三体の犬? いや、お稲荷さんだから狐が安置されていた。
どのキツネも顔や体の一部が欠けているが、これはこのキツネが賭事に御利益があるとかで、賭事好きが削って持ち帰る
のだそうだ。
遠州森町大洞院の森の石松の墓碑も同じ理由で欠けているが、今では金網を張って削り取られないようにしてある。
その点ここのおきつねさんの欠け跡は古いのばかりなのをみると、どうやらご利益が薄いようだ。
それでも真ん中のおキツネさんの台座の上に、金槌替わりらしき石が置いてあるのには笑えた。

                                   33番 北室院(明星井)

          
                   北室院の仁王門                                 仏手石

 33番北室院(きたむろいん)は性慶院の隣にあった。仁王門に鎮座している一対の仁王の肌はまだ新しく、樹の匂いがして
くるようだった。
境内には仏足石ならぬ 「仏手石」 なる珍しい物が置かれていた。ある説によると、仏足石の上に裸足で立って祈願すると健脚、
交通安全。仏手石は知恵や技能のご利益があるらしい。ここの仏手石にそのご利益があるかどうかは分かりません。

          
                        明星井?                                 大草鞋

 北室院には弘法大師が護摩供養に使ったという 「明星井」 があるという。だが写真を写してきたものの案内が無かったので
このポンプの井戸が本当に明星井なのか自信はない。この井戸以外に水に関する物は、御釈迦様の灌仏もあったが、そこの
水は水道水だったので明星井だはなさそうだ。北室院では今でも明星井の水を毎日の供え物に用いているそうなので、多分
手押しポンプのある井戸が明星井なのだろう。
ところで “明星井” は何と読むのか? ネットを見ると伊勢には “あけぼののい”があり、京には “めいせいい” があった。

 弘法堂の前に大草鞋が奉納されていた。その横には石の蛙。草鞋を履いて遍路をして無事カエルということか。

                              29番から34番性慶院への道

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