はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

エッー! 4回目の入退院

2018-12-27 10:33:51 | 躄日記
 退院後は体に変調も無く、リハビリも順調に増えていった。
最近では早朝の散歩は70分位で5千歩強歩き、夕方は90分で7千歩も歩いていた。
更に昼間は筋トレを40分位やっていたので合計200分、3時間強は毎日リハビリ励んでいた事になる。

 2回目の入院は、退院後リハビリをむきになってやった所為か、突然歩けなくなり再入院になった苦い経験がある。
それに懲りてリハビリは限度を越えないと固く誓って今回も退院してきました。
なのに歩数を増やす事に意義を感じてまたしてもリハビリ量が増えてきてしまった。

 12月20日は朝5400歩、夕方は6600歩と普段と変わりなく歩き、異常なく夕飯もシャワーも終った。
それが寝る前に血圧を計ろうとするが、何度となくエラーや不整脈が表示され測る事が出来なかった。
しかも夜中になると電気敷毛布の温度を最高に設定してあるのに寒くて寒くて我慢がならない。
仕方なくパジャマのズボンの上にはスエットパンツ、上にはダウンのベストを着て寝る始末。
朝起きて血圧を測るとまたもやエラー続出で計測不能。

ここでどうやら異変が起きたようだが当の本人には分からなかった。
妻が言うには 「血圧を測っている途中で横に倒れて1・2分意識が無かった。」 らしい。
意識が戻れば少々疲れているものの普段と左程変わりは無かったが、一応焼津病院に連絡すると
「緊急外来に来るように」 と言われた。
明日からは3連休なので、何かあっても困ると一先ず焼津病院の緊急外来に行く事にした。
そしてそこでもまた異変が起きたようだ。
医師と看護師の診断を受けている途中に、又もや意識が無くなってしまったようだ。
気づいた時は 「血圧が低すぎて測れない」 と医師たちが慌てる声が聞こえてきた。
何処かで聞いた言葉だと考え気が付いた。
そうだ去年の8月に藤枝市のハイキングコースを調査に行った時、ゴール間近の藤枝駅の踏切の所で気を失い
救急車で病院に搬送された時も血圧が低すぎて測れないと看護師たちが騒いでいた。
その時の事は後で医師に
 「朝からの長時間の運動で体の水分だけでなく、血液の中の水分も汗で出てしまい、脱水症状になったようです。
ですが体温の上昇は見られず、眩暈も足も攣っていない事から熱中症ではなく、脱水症状です。
最初は血管の中の血漿成分が少なく、血圧も正常に測れない状態でしたが、点滴を血管に直接補給してやっと上が90で下が
65にになりまた。その後も血圧は上がって今は138の76になっています。
途中で水分も塩分の取っていたようですが、長時間続いた運動に伴う発汗には追い付いていなかったのでしょう。」

と説明を受けた。

 昨日は汗をかくほど歩いてはいなかったが、連日無理をして1万歩以上歩いた。その疲れが溜まり血管に異常をきたしたのか?
考えてみれば私が体調不良に陥るときは必ず前日か前々日には長距離を歩いた後だった。
どうやら歩いている時は我慢!我慢!と黙々とゴールまで歩いてしまうが、そのダメージが体に内蔵されてしまうのだろう。
こうなると年甲斐もない我慢強さも考え物で、途中で手を抜くなど年相応の歩きにした方が良い事は明らかだ。
今回のリハビリも朝の散歩は止めて夕方の6千歩と昼の筋トレだけにしよう。

 点滴治療を受けながらも余裕な事は考えていたが、点滴が体内に入っていくと血圧も低いながら測れるようになった。
だが想定外だったのは途中で撮ったCTとレントゲンに左胸の肺に影が写っていたことだ。
お陰で医師の診断は “脱水症状” ではなく “急性肺炎” となり入院させられてしまった。

 救急外来からは “他人に移る” という理由で強制的に個室を割り当てられたが、その部屋が何と前回と同じ部屋だった。
咳も痰も出ず、熱は一度だけ37度台になったが後は平熱。血圧は上が100で下が60と普段ではありえない正常値。
なのに師長からは 「他人に移ると困りますので部屋から出ないでください。」 と念を押されているので、3階に本を借りに行く事も
出来ない退屈な日々を過ごすしかなかった。
入院時医師は 「貴方は感染症に罹りやすい薬を飲んでいるので少なくても10日は入院してもらいます。」 だって。
アーァそうなると正月を家で迎えられるかどうか微妙はところだ。
後は大人しくしていて一日でも早く退院させてもらおう。

2日後写したレントゲンには既に左肺の影は消えていて血液検査も異状ないという事だった。なのに24時間連続点滴は続く。
その点検交換のために夜中にも看護師が見回りに来るので、睡眠障害は一層ひどくなってしまう。
飽き飽きしていた入院4日目の25日になると医師が 「経過が非常に良いのでいつでも退院できますが、何時が良いですか」 と聞いてきた。
勿論 「明日退院します。」 と家にも相談せずその場で決めてしまった。

 今回の入院は病名は “急性肺炎” で、レントゲンにもCTにも左肺に影が写っていたというのだから否定できないが、
実際の所は肺炎で意識を失ったのではなく、あくまでも疲労の蓄積で体力が弱り血液量が減少したのではないかと思っています。
無駄な6日間だったが、これを無駄で終わらせずに年相応、そして病人相応の歩きにしないと、こんな事を繰り返しかねない。

そんな分けで退院の翌日の今日は、筋トレも夕方の散歩も止めて静かにしています。

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2 コメント

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Unknown (campanula)
2018-12-28 11:08:36
私も自主リハビリを3時間していたよ(笑)
おかげで、当初可動域130がせいぜいと言われ、クライミングはもう無理と言われていたのが、可動域180。
気をよくして、さらにハードに自主リハビリをしたら、腱鞘炎に。
「こちらが指示した以上のリハビリはしないでください」と怒られました。
お互い何事も「ほどほどに」
以前はぐれさんもおっしゃっていたではないですか。「無理せず楽せずほどほどに」
はぐれさんの猪突猛進的な歩き方は、どこぞの歩こう会の後遺症では?(笑)
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campanulaさん (はぐれ)
2018-12-29 09:29:01
ウーン!  「無理せず楽せずほどほどに」 は私のモットウだったのに、すっかり忘れていました。
病名がCIDPと確定してからは低山歩きもウォーキングも諦めたつもりでした。
だが心の底ではこれに反発して、何とかしたいと焦っていたようです。
後期高齢者が国指定の難病のCIDPに挑戦しても勝つわけはないですね。

「どこぞの歩こう会」 の事を久し振りに思い出しました。
彼等の事なので猪年の来年は増々猪突猛進的な歩きをするのでしょうね。
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