はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

知多四国35番成願寺

2015-10-28 10:00:00 | 寺社遍路
歩行記録                                                              H27-8-19(水)
歩行時間:1時間50分   休憩時間:1時間50分   延時間:3時間40分
出発時刻:10時05分     到着時刻:13時45分
歩  数: 11、909歩(推定距離8.9km)    GPS距離8.5km
行程表
大井バス停 0:10> 上陸大師 0:25> 35番 0:15> 36番 0:10> 師崎港 0:10> 篠島港 0:15> 38番 0:05> 番外
 0:05> 39番 0:15> 篠島港 0:06> 日間賀島港 0:05> 37番 0:05> 日間賀島 0:05> 師崎港 

                              35番成願寺(思惟観音)

 
                成願寺本堂                                 風吹不動

 師崎中学から国道に出て南下していくとチッタ・ナポリの入口があったが、余り高級とも繁盛しているとも見えなかった。
35番成願寺(じょうがんじ)はその先を右折して民家が密集しだした細い道に入った。目標になる建物も無く地図だけを頼りに
行くと寺の屋根が見えてきた。そこが成願寺だった。

 成願寺の宗派は曹洞宗で、知多四国霊場では珍しくない宗派だが、寺のHPにこんな話が載っていた。
「知多半島の中で 知多四国霊場を作る時に、真言宗だけでは88ヶ所が作れなくて、 他宗に声をかけたんでしょう。」とあった。
でもそうだろうか、本家の四国霊場は流石真言宗が多いが他宗の寺も札所になっている。
知多四国霊場を開創した時も、優先的に真言宗の寺を札所にしただろうが、全てを真言宗にしたかったとは思えない。
知多四国の遍路を始めてこの札所で40寺目だが、真言宗は前回打った大井五ヶ寺だけで後は真言宗以外の宗派だった。
だいたいこの成願寺だって、曹洞宗なのに真言宗の開祖の弘法大師を祀っているし、HPにはこんな言い伝えも紹介している。
 「弘法大師が知多半島に上陸した際、この片名の地に悪病が流行っていた。大師は『この門をよけて通れよ風の神 とふりに
姿のあらん限りは』 との歌を詠み、厄除けの祈祷を修行し、後に修行大師として別堂に祀った。」
と、なれば札所になる資格は
十二分、いや札所にならなければおかしい位だ。何かあの一文には引っ掛かってしまった。

 境内の片隅に古い鬼瓦を飾ってあり 「風吹不動」 となっていたが、これは大師の歌に関連しているのか。

 
              本堂須弥壇                                 弘法堂須弥壇

 本堂を覗くと須弥壇の上に仏像の頭部を写した写真が飾ってあるが何だろう?
 弘法堂には 「南無修行大師」 の提灯が下がり須弥壇には弘法大師像と弘法大師の厄除のお札が祀られていた。

   
             役行者                      思惟観音                    善女竜王像
             
 境内には高下駄を履き座った姿の役行者や、右手を頬にあてた如意輪観音の石像もあった。
アレー待てよ、この石仏の台座に 「思惟(しい)観音」 と書いてある。思惟とは “考えること。思いはからうこと。分別すること。”
なので間違いではないだろうが、思惟と云えば優雅な半跏思惟像の弥勒菩薩を思い浮かべてしまう。
一方如意輪観音を “歯痛の神様” と信仰している所もある大衆的仏様だ。はたしてこの石仏は弥勒菩薩か如意輪観音か・

 南知多町の案内板に、本堂に飾ってあった写真の説明があった。
あの写真は弘法大師の修行した加持祈祷と関係の深いとされる円空仏 「善女竜王像」なのだそうだ。

 円空の仏像は岐阜県に2回見に行った事があるが、鉈の一刀彫で彫られた荒々しい仏像で知られている。
もう一度本堂に戻って中を覗いたが円空仏は分からなかった。

                             師崎中学から35番成願寺への道

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