はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

烏帽子形山・花倉城跡ウォーク

2012-02-23 09:49:13 | 低山歩き
場   所:静岡県藤枝市
歩行月日:2012/01/19(木)
歩行データ: コースタイム
  藤枝駅-1:20-清水寺-0:20-登山道入口-0:50-三角山-0:20-烏帽子形山-0:35-花倉分岐-0:15-
  花倉城址-0:10-花倉分岐-0:40-西方-0:15-藤枝霊園-0:10-花倉城跡入口-0:55-花倉城跡-1:00-
  藤の里トンネル-1:00-勝草橋-0:10-藤枝駅

 歩行時間:8時間00分 休憩時間:1時間50分 延時間:9時間50分
 出発時間:7時25分  到着時間:17時15分
 歩数:47,000歩 歩幅推測:0,77m 距離推測:36.2km (GPS距離 32.6km)

藤枝駅~花倉城跡
  
 今日の天気予報は曇り空、なら地元の行ったことのない低山に行くことにしよう。
目的地は前から気になっていた、今川家のお家騒動で落城した花倉城跡とする。
行く前に花倉の乱について調べ直しておいたので少し紹介します。

 今川家で一番有名な今川義元は今川中興の祖の氏親(うじちか)の五男として生まれたが、4歳の時から仏門に出されていた。
氏親亡き後、兄である嫡子氏輝が今川家当主となる。だが氏輝が死亡し上位継承者である氏輝の弟の彦五郎も急死してしまうと、義元に当主継承権が与えらえ、家督を継ぐことになるが、異母兄の兄・玄広恵探(げんこう えたん)が反旗を翻して花倉の乱を起こした。
恵探派は久能山で挙兵し、駿河府中の今川館を襲撃するが、今川館の守りが堅く襲撃が失敗すると、恵探派は花倉城(藤枝市)を拠点として抵抗し、遠江などで同調するものも現れた。
義元側は相模国を領する後北条氏からの支援を得て、恵探の篭る花倉城を一斉攻撃した。恵探は支えきれずに逃亡、瀬戸谷の普門寺で自刃。遠江での戦闘も収束すると、義元は自身の家督相続を宣言た。

 しかし花倉城跡一ヶ所だけでは歩き甲斐が無いので、花倉城跡の隣にある烏帽子形山もついでに登ることにした。
参考にした地図は藤枝市作成のハイキングマップで、その中の「烏帽子形山コース」「花倉城跡コース」を合体したコースにしたが、マップではスタートとゴールがバス停で終始していたのを、藤枝駅発着に変更した。

 藤枝駅を出ると、先ずは旧東海道青島一里塚のある勝草橋に向かう。橋を渡り、まだ蕾も見えていない桜のトンネルの下を、最初の目的地清水寺へと向かっていく。途中に藤枝市の総合グラウンドがあるので、車の時はここの駐車場(無料)に車を置いて歩くと便利です。
清水寺は前回紹介した「駿河一国33観音」の一番札所になっていて726年に行基の草創と伝えられ、817年には弘法大師が巡錫の途中、寺を中興したといわれている古刹です。

  
  藤枝総合運動場                              清水寺の石仏
  
 ハイキングコースは、この清水寺の横から始まっていて、右は清水山コースで、左が烏帽子山形コースになっている。石仏や石の道標もあり、この道が古くから使われていた事が感じられます。以前駿河一国33観音で花倉に向かうとき、この古い道標の「右・花倉 左・助宗」を見て右に入っていくと道が無くなって、右往左往したことがあった。後日この話を清水寺ですると「以前は花倉のへの道があったが、新東名の工事で旧道が寸断されただろう」との事だった。だから今日は標識の「助宗」の方向に進む。
 道が下り坂になると新東名の建設現場や、遠くかすかに富士山の山頂部分が見えてきた。しかし写真は撮ったが富士山は分からなかった。
道を更に下り、新東名のガードを潜り県道と合流したら、県道を右に行くのだが、分岐にはハイキングコースの標識が建っていた。この調子で次々と標識があれば安心して歩けるのだが。

  
  花倉の道標                          かすかに富士山が、茶畑の向うは新東名の法面

 県道と別れ標識に従い農道を登って行く。この辺りはミカンの栽培が盛んなのか、ミカン畑が所々にある。殆どのミカンは収穫されいるが、時折実が付いたままの木があるので、近づいてみると、ミカンの皮は黒い斑点があり、とても売り物になりそうなものではない。多分農家が放置したままの木なのだろう。
そう判断するともう我慢ができなくなり、早速一つ取って皮を剥くと皮は固く厚い。そのうえホロも厚く白い筋が一杯付いている。口に含むとウーン酸っぱいが味が濃く美味しい。とはいっても家でなら酸っぱくて食べないかもしれないが、今は歩いていて喉も乾いているので美味しく感じる。おまけにもう一つ取って歩きながら食べてしまった。

  
  放置されているミカンの木                 アップで写したら綺麗だった?

 農道が山道になり最初のピ-クに到着。山頂には「三角山」の標識がある。景色は西の方角が少し見えていたが特段の価値はなかった。三角山から烏帽子形山に向かう道は、最初はなだらかだったが最後は少し急な登りになっていた。
山の名前が烏帽子と呼ぶのだから当然山頂付近は尖った山だろうと思って、道々そんな山を探しながら歩いたが見つからなかった。三角山の手前で二つのピークが見えた。しかしとても烏帽子とは思えない形状だったが、あとで考えるとそれが三角山と烏帽子形山のようだ。
  
  
  三角山?烏帽子形山?                   三角山山頂 
       
 だいたい山の名前が烏帽子山でなく、烏帽子山と「形」がわざわざ付くのだから、当然烏帽子のように尖った山を想像しますよね。現に藤枝市にはもう一つ烏帽子山があって、そちらの山は旧東海道から烏帽子のように見えることから、旅人の目印になった山だという。この山は標高105mの低山だが、たしかに烏帽子山と聞いても納得できる形の山だ。
それがわざわざ「形」を付けている、こちらの烏帽子形山は何処にも見当たらない。一体どの場所から見ると烏帽子に見えるのだろう?

 花倉城跡への分岐点を過ぎたあたりから道は少し急になってくるが、その距離は短く三角山から20分ほどで烏帽子形山に到着。
山頂には三等三角点もあるが、東の方角が少し開けているだけで見るほどの景色でもない。早々に退散をした。

  
  烏帽子形山山頂                            雪を被った茶畑
 
 次は花倉城跡方面に向かうのだが、城跡まで行かずに烏帽子形山ハイキングコースを滝沢に向かう積りでいた。その考えばかりが頭にあったので、来るとき見た花倉城跡の分岐になる前の滝沢方面への分岐を曲がってしまった。
 道は林の中から農道となり、雪の残っている茶畑に感激しながら下って行くと下の景色が見えてきた。アレ?想像していた景色と違う、確か地図上では烏帽子形山を下った先は、山の中の県道のはずだ。それが下に見えるのは、川沿いの家や大きな建物だ。慌てて地図を取り出して照らし合わせてみると、下に見えるは滝沢ので大きな建物は学校のようだった。
 そう間違っていました。烏帽子形山から直接滝沢に下るのではなく、いったん花倉城跡の方に行き、烏帽子形山を回り込むようにして滝沢に向かうのが正しいコースでした。
仕方ない戻って歩き直そう。結局滝沢分岐まで往復25分ほどのロスになってしまった。花倉城跡の分岐を今度は間違えなく曲がって雑木林の中の急な道を下る。そういえば烏帽子形山のコースの難易度が上級になっていたが、この辺りの下り坂がそれに該当するのだろうか? ここが上級なら前回歩いた徳願寺尾根は超上級になってしまうな。

 またもや分岐点だ。ハイキングコースの標識は下りの農道を指しているが、それとは別の古い標識に「花倉城跡」と書いてある。ウーンここから花倉城跡に行けるなら、ハイキングコースと外れるが行かねばならない。ヨシ!行って確認してこようと直進する道を登りだした。
荒いコンクリの急な道を直登していくと右側が開けてきた。生憎今日はスッキリしない陽気で景色もぼんやりしていて遠くは見えず、近くも霞んで見える。しかし天気さえよければ富士山も見え、景色が良さそうな場所だ。
急なコンクリの道が終わり、また山道に入ると「外堀」の標識があった。きっとここが花倉城跡なのだろ。

  
  花倉城跡からの景色                         花倉城跡