はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

大崩山塊・徳願寺尾根縦走3

2012-02-19 11:52:31 | 低山歩き
歓昌院峠~東海道宇津ノ谷峠

 標高375mの梵天山から171mの歓昌院峠まで200mを一気に下ったあと、次のピークを目指して今度は一気に登る事になる。
貰った地図には最初のピークは313mの歓昌院山となっているので、梵天山の斜面より傾斜はゆるそうだ。だがPCの国土地理院の地図では313m地点に三角点があるが、その後も410m近くまで上りが続いてているように見える。下れば上る。これが尾根歩きの鉄則だと居直って登るしかない。
 急坂は急坂だが、登りの時は背を丸め下を見つめ一歩一歩歩いていくので傾斜を感じることが少ない。目の位置と道の位置が近づくので高さを感じないからだろう。一方下りはまっすぐ立った目の位置と地面が大きく離れてしまうのでより強く傾斜を感じてしまう。下りで凄い傾斜だと感じた坂が、登ってみると左程でもなかった事が何度もある。この坂もそれと同じで下りの時は急坂に感じるかもしれないな。

 峠から20分ほどで三角点に到着。地図ではここが歓昌院山なのだが何の標識もなく視界も効かない。更に歩を進めると丸子城跡への分岐の表示が出てきた。だがその道は踏み跡も薄く少し不安を感じるような道だった。
 丸子城とは今川が建てた城で、丸子の宿と宇津ノ谷峠の間にあり、東海道に面した山城だった。今川時代は駿河府中の防衛と東海道を監視する役目を担っていたが、武田に攻略された後は武田勢の駿河西部および遠州攻略の拠点になっていた。
城の場所は東側に歓昌院峠に続く沢と、西は片桐且元の誓願寺から大鈩不動尊の沢に挟まれた尾根の付け根になる。
  
  
   丸子城跡分岐                          駿河峰

 分岐の表示は東に歓昌院坂、南に丸子城跡、これから行く西には駿河峰・大鈩(おおだたら)山とある。大鈩山は地図にあるので分かるが駿河峰とは何だろう。そういえばここまでも何度か駿河峰の表示があったが意味が分からなかった。山の名前なのか、それともこの尾根の名前なのか、ともかく聞いたことの名前だった。
 その疑問も分岐から10分ほどで解決した。そこには「駿河峰・410m」の小さな標識が掛かっていた。
駿河峰とは初めて聞く名前だが何かスッキリしない名前だ。大体駿河とは何処から出てきたのだ。場所は間違いなく駿河だ。しかし駿河を代表する山ではないし、だいたい駿府からも眺めることの出来ない山だ。
どうもこの大崩山塊の山の名前の付け方が気に入らない。まず筆頭は丸子富士だ。ただ山頂部分が三角なので「富士」とは余りにも安易すぎる。私ならこの山は「吐月峰」と名付けたい。理由は山の麓に連歌師・宗長草庵のある吐月峰紫屋寺があり、そこの月見台からこの山から登る月を見たという。 
高草山もそうだ、命名の理由は知らないが、あの山は麓の「神(みわ)神社」の御神体の山として祭祀されているという。ならば山の名前は「神(みわ)山」「三輪山」だろう。他にもあるがもうやめよう。

             
               歓昌院と

 ではこの駿河峰の名前は何と付けるか?私は「天注山」がいいと思う。地図には三角点のある所に歓昌院山の表示はあるが、そこはまだ斜面の続きで山とは言い難い。駿河一国を歩いたとき写した写真を見ると、歓昌院の後ろにデント裏山が写っていて、まるで寺の奥の院でもありそうな感じでもある。その歓昌院は正しくは「天注山歓昌院」なので、その名前をとって天柱山とするのもおかしい事はない。いや昔は本当に天柱山と呼んでいたかもしれない。ともかく駿河峰では名前負けだ。

 356mの大鈩山に到着。ここも噂のように景色は見えない。「おおだだたら」とは江戸時代にこの山の麓にある誓願寺付近に、刀鍛冶の鈩(たたら)があった事から地名になったようだ。
そこから更に山に入った所には、小さな滝のあるお不動さんがある。「大鈩のお不動さん」で縁日の毎月28日には中高年の人たちで賑わうそうです。
 じつはこの大鈩山のすぐ手前で焦ってしまった事がある。それは道が直線と鋭角に曲がる分岐に出たとき、直進方向には道標はなく鋭角に曲がる方には3枚も付いていた。道標をチラと見ると「飯間山」となっているようだったので、そのまま鋭角に曲がって進行。だが少し歩いた所で気が付いた。飯間山は大鈩山の次にある山なのに道標は大鈩山でなく先の飯間山だ。慌てて引返し道標を確認するが大鈩山の名前が無い。どうしてなんだ?これより前に山頂らしき所は無かったのに?。それでは標識のない直進方向に行ってみようと10m歩いてみると、何の事はないそこに大鈩山の山頂の標識があった。
この山頂も視界はない。余り長居をする所でもないが大分腹が減ってきた。昼飯にすることにしよう。
 
 
  大鈩山山頂                         送電線下の景色    

 確かにこの稜線は視界が効かずアップダウンの厳しい山だ。取り柄と言ったら静かな事ぐらいだろうか、それならいっそのこと野生動物でも出てくれば面白いのだが、そんな気配もない。途中に大鈩のお不動さんや誓願寺に行く分岐点があった事が変化と言えば変化のようなものだった。
 送電線の鉄塔の所から北の方が少し開けて見えたが写真に撮るような景色でもない。しかしこんな写真でも写さないと撮るものが無い。

 この稜線の最高峰の481mの飯間(はんま)山に12時30分に到着。
今日は初めての山で資料も無かったので、ともかく旧東海道の宇津ノ谷峠まで歩く事を目標にしていた。しかしここまでくれば4/5は歩き終わった感じがする。ならば宇津ノ谷峠より先の蔦の細道、いや更に先の満観峰までいけないかと、だんだん欲が出てきてしまった。
そうなるとゆっくり休むわけにもいかない。景色の見えない山頂にいても面白くないと歩き出した。道は駿河峰からは左程の上り下りもなく快調に歩いてこれた。すでに最高峰を過ぎたのだから、この先の宇津ノ谷峠までは下りがメインになるはずだ。頑張って行こう。

 
  飯間山山頂                        伐採地から新東名

 伐採された所から北の方に新東名の工事現場が見えた。こんな景色でも見えるだけでいい。
また景色の見えないピークに三角点があったが山の名前の表示はない。地図で確認すると標高412mとなっている。先ほど分岐点があって「桂島・谷川」方面とあったが、その道を行けばすぐ林道に出るようだ。そしてその林道の先にはお寺がある。そうかこのお寺は駿河一国8番札所の「谷川山梅林寺」があった。そうだまた思い出した。谷川山と言えば以前は旧東海道の宇津ノ谷峠に古ぼけて標識に「谷川山」の表記があったはずだ。ならばこの山は「谷川山」に間違いないだろう。今日宇津ノ谷峠に行ったら標識を確認しよう。

 杉の木に何枚もテープが巻いてある標識がある。左に行くと宇津ノ谷峠の道の駅。右に行くと宇津ノ谷峠と書いてある。今日の目標は宇津ノ谷峠の最上部に出る事だから当然左に進む。きっと目的地の宇津ノ谷峠はもうすぐだ

 南の方角の視界が開け満観峰と丸子富士が見えた。正面真ん中の丸みを持った山が満観峰で、そこからの富士山の眺めは最高だ。その左の三角の山が丸子富士です。どうですか富士山を見れない地方ならいざ知らず、隣の山からはきれいな富士山が見えるのに〇〇富士と名付けるのは余りにもお粗末と感じません?

   
  宇津ノ谷の分岐                      満観峰と丸子富士
 
 中々宇津ノ谷峠に着かない。先ほど谷川山と思える三角点を過ぎてから急にアップダウンが激しくなってきて、急坂を下ったと思ったらまた急坂の登りになる。そんな繰り返しに嫌気がさしてきたころ、ようやく三角点に到着。アー疲れた。前の三角点から1時間も経っている。想定では宇津ノ谷峠に着いても良いころだが。
 三角点には手製の小さな標識で「?山」とあり「ナマエヲツケテ」と書いてある。
こういうのにはすぐ興味を感じるので地図を見てみたが適当な目的物がない。谷川山は前の三角点の所だし、仕方ないピークの下の沢の名前を頂戴して「板沢山」ではどうだろう。
それにしても疲れる山だ。これでは沼津アルプスより起伏が激しい感じだ。一体峠にはいつ着くのか。

 アラアラ沼津アルプスと同じようにロープ場が出てきた。長さは短いが、疲れて足の踏ん張りが弱くなってきているので助かる。ストックを背中に挿し両手でロープを握って下る。
歓昌院の坂は長くて大変だったが、ここの坂も負けず劣らず大変だ。この尾根に人が入らない理由が分る気もしてきた。

 三角点から15分も歩いた頃ようやく下の方に道らしきものが見えてきた。道の反対側には、こちらと同じように急な山になっていてV字の底に峠道が通っているように見える。これでも登山道か?思えるような道を下り、ようやく宇津ノ谷峠に着いた。

       
  ?山                               ようやく宇津ノ谷峠が見えてきた

 峠に着いて谷川山への標識を探したが見当たらない。以前見たときも相当古かったので朽ち果ててしまったのか。確か写真を撮ったはずだから家で確認してみよう。

                
                   宇津ノ谷峠の谷川峠への標識(現在はありません)

 ご免なさい勘違いしていました。記憶では谷川山と思っていたが、出てきた写真は「谷川峠へ3時間」となっていた。
谷川方面への峠となると谷川・桂島への分岐のあった名無しの三角点がそうだろう。あそこが峠かどうか判断は苦しむが、車のない時代大鈩から岡部の谷川方面に行くには、大鈩から飯間山に登り、三角点から谷川方面に向かった方のが距離は断然短くなる。きっと大鈩のお不動さんにお参りする人たちが利用した道なのだろう。
しかし谷川峠というより、やはり谷川山と呼んだ方がしっくりくるな。

 それにしても最後の行程は大変だった。飯間山で工程の4/5過ぎたと思ったのに、そこから1時間30分かかった事になる。余り早い段階でゴールが近いなど計算したので気分的にも、まだかまだかと思ってばかりいて疲れてしまったのだろう。今後は注意をしないといけないな。