はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

駿河33ヶ所巡り3-3

2010-01-26 21:02:12 | 寺社遍路
 花沢の里を歩いていて気がついたことがある。初日にお参りした3番智満寺で売られていた厄除けのお札で、悪魔が黒いタイツを穿いたような風変わりなお札があった。それと同じお札が花沢の民家の入口に張ってある。それを見て、この辺りの人はわざわざ島田の山奥の寺まで行ってお札を貰ってくるのかと感心していた。
 それが10番法華寺に着いて原因が分かった。法華寺でも同じお札が売られていた。
花沢の人は何も島田の智満寺で買ったのではなく法華寺のお札を貼っていたのだった。

              
                  元三大師のお札

 法華寺のお札を見ていて「元三大師」と刷られているのに気がついた。たしか智満寺の木像の説明で命日が正月の3日であることから、元三大師(がんさんだいし)と呼ばれていて厄除け大師とも言われていると聞いた覚えがある。慌てて手持ちの資料を見ると、納得、どちらの寺も天台宗の寺だった。

 法華寺の観音堂の造りを何と言うか知らないが、今までお参りしたお寺にはない造りだった。お堂の前1/3くらいが板の間になっていて、その奥に祭壇がある。板の間では催事が出来そうな感じもする。所謂舞台になっているのだがこれが舞台造り??
山門は焼津市文化財になっているが観音堂は指定は受けていない。素人の私には、この観音堂の方が価値があるように見えた。

          
               法華寺の観音堂

 法華寺から先は山道になる。この山道は平安時代の最古の東海同道で峠には日本武尊が賊に追われて逃げ込んだと言われる穴地蔵がある(この道はHPで紹介してあります)。峠の名前は日本坂峠と言い、日本武尊の「日本」から名付けたと思われる。
また峠から更に登ると富士山の景勝の地と知られている満観峰があり、週末ともなるとハイキングの人で賑う道でもある(HPで紹介しています)。

 峠に着いて驚いた事があった。それは法華寺から日本坂峠まで一度も立ち止らずに22分で着いてしまった事だ。今まで何度も歩いたが25分はかかっていたのだから大したものだ。
「3分くらい大したことはない」って。
とんでもない今日は21k歩いてきた後での3分短縮なのだから価値がある3分だ。
段々足が強くなってきているのを感じて嬉しくなる。

 11番安養寺は日本坂峠を下って静岡側の小坂集落にある。だがこの寺の観音堂は寺よりずっと手前の山中にあるので気をつけないといけない。峠を下り山道が農道になり暫く進むと分岐した道の中央に石仏が見える。お寺は正面の道を下るが、観音堂はそこを左折して山に向かっている農道を進む。5・6分も歩くと右手の石段の上に観音堂、左に滝のあるお不動さんが見えてくる。誰もいない山の観音堂の前で声をあげて経を唱えるのも気持ちのいいものだ。

 安養寺では徳川家康お手植えのミカンのお接待を頂く。まさか本当に家康が植えたミカンではなく、その何代目かのミカンだろうが、何となく価値があるミカンのように感じてしまう。小振りで種も入っていたが甘く、温州みかんと言うよりポンカンのようなバタ臭い甘味に感じた。
そうそう、そう言えば昨日歩いた掛川城の中にも家康お手植えのミカンと書かれた小さなミカン木ががあったが、一体どこのミカンを植えた事やら。駿府城内にある家康お手植えミカンかそれとも、ここ安養寺のミカンか、はたまた適当に名前を付けただけなのか。

          
               大和田のお堂

 今日のお参りの予定は安養寺でお終いで用宗駅も近いのだが、まだこの先の道で心積もりがあった。
今歩いてきた日本坂から小坂に通じる最古の東海道が、この先で井尻峠を越して安倍川近くの手越に出ていたらしい。そこで
「井尻峠を歩きたいのですが、道はどうなっていますか?」と聞いてみた。
「聞いた事はあるけど、昔の道は今は殆ど廃道になっているからねー」と、あやふやな答え。
仕方ないので小坂側の峠の入口になる大和田のに行ってみる事にした。地図で見ると中学校の北の山の付根が大和田のになっていたので、山よりの道を適当に歩いて行くと、ありました、ありました。お堂と石碑、それに「万葉の古道 井尻峠」と書かれた立札が立っている。この道で間違いはない。安心して辺りの風景を眺めて疑問を感じた。さっき地図を見ると中学の横の道を真っ直ぐ行けば山を登らず安倍川にいける。それなのに何故峠越えをしなければならないのか? 万葉人は私と同じように峠越えが好きなのか? そんな事はない。当時の人は趣味で歩いているのでなく生活のために歩いていたのだから、より短く、より楽な道を歩いたと思うのだが。

 峠の入口を示す案内板に導かれて山道に入る。ハイキングコースと言うより、山の畑に行く道として利用していそうな道だ。峠にはあっけなく着いてしまった。視界の利かない峠で立ち止る事もなく下り始める。道はミカン畑の中に入ると、急に視界が開け、オッ!右の方に静岡の市街が見える。更に進むと、富士山が!。
万葉人はこの富士山を見たくて峠を登ったのかと思うくらいの富士山が見えている。
西から歩いてきた旅人は、これまで何度も富士山を眺めただろうが、これほど大きく雄大な富士山は見たことは無いだろう。この富士山を見てどんな感慨を覚えたのか聞いてみたい気がする。

          
               井尻峠から
     
 峠を下りれば江戸時代の東海道だ。そして今日の最終地安倍川駅も近い。


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   4回目の駿河一国巡りに行ってきました。
   朝7時から夕方6時半まで42k。みっちり歩きました。
   疲れ果ててのご帰還。