はぐれ遍路のひとりごと

観ながら歩く年寄りのグダグダ紀行

駿河33ヶ所巡り3-2

2010-01-25 16:20:44 | 寺社遍路
           
          8番梅林寺観音堂 この中に木喰仏がある

 8番梅林寺は大きな寺なのに庫裏の入口に「御用の方は記入願います」と書かれた用紙が置いてある。だがここに名前を書いても仕方ないのでチャイムを鳴らしてみる。2・3回鳴らして諦めたころ奥から坊主頭に毛糸の帽子を被ったの人が出てきた。「なんだ」と言う目でこちらを見る。慌てて「ご朱印をお願いします」と納経帳を差し出した。おかげで谷川山のことを聞くのを忘れてしまった。

 ご朱印をうけ案内板を見ていると、この寺には2体の木喰仏(もくじきぶつ)が安置されていると書いてあった。木喰仏とは江戸時代中期の木喰上人が全国を行脚しながら彫った1000体の木彫りの仏像の事で、ここ岡部にも2ヶ月滞在して6体の木像を残したとある。
私が木喰仏の事を知ったのはの岐阜の飛騨に円空仏を見に行った時で、円空仏の荒削りで荒々しい木像に対し、対照的な優しい表情の別名「微笑仏」といわれる木喰仏を紹介していた。
当時は円空仏に魅力を感じていたので木喰仏に興味は起きなかったが、こんな近くにあったとは知らなかった。是非見てみたいと思ったが、さっきの人をまた呼び出して頼むのも気が重いので諦めよう。
家に帰りネットで調べると木喰上人は山梨県下部の生まれで下部に記念館もあった。ヨシまずそこに行って木喰仏を見てみよう。

 次の10番法華寺は南の海の方角ある。道は先ほど歩いた岡部まで戻り、高草山の裾を南に向かってダラダラと歩く。そして最古の東海道と言われている「やきつべの道」を日本坂峠に向かう山裾に法華寺はある。

 岡部へは行きと道を変えて県道210を歩き岡部の宿の静岡側に出ることにした。
途中のあった第2東名は工事は終わっているのか足場はない。巨大な橋桁の上に乗る本線が狭く感じるほど高い場所にある。
 去年の8月静岡県を久々に襲った震度6弱の地震は、東名高速の盛土部分が崩壊し、東名は5日間の通行止めになった。その時の地震のマグニチュードは6.5だったが、明日起きても不思議でないとされる東海沖地震はマグニチュード8クラスだと言う。その時この巨大な橋桁は大丈夫なのか。阪神淡路大震災では高速道路が倒壊し横倒しになった写真を見たが、あのような事は絶対起きないと断言できるのか。この橋桁の下に立つと不安に感じてしまうのは私だけではないだろう。ではどうするか? 私には分からないが-----

          
               第2東名

 道は岡部の宿の東の入口辺りで旧東海道に出る。ここを東に行けば駿府(静岡)右に行けば岡部の宿の繁華街(?)に向かう場所で、更に火の見櫓の下の道を左に取ると旧道になる。この辺りの町並みは本道と離れているせいか整備が行われていないので若干の古さは感じるが------ 
 途中に小野小町の姿見の橋があった。下水の上の新しい橋。説明文には
「橋の下の水面に映った我身を見て、過ぎし日の面影を失ってしまった老いの身を嘆き悲しんだ」とある。
思わず失笑してしまったた。この説明文を書いた人は本当にこの場所がそうだと信じたのか? それともただ観光客のご機嫌取りに書いたのか----- 

          
               姿見の橋

 東海道と離れ道は高草山の裾を焼津の海に向かって進む。6kほど歩き疲れてきた頃、三輪地区の案内図が立っていた。そこにはこの地区にある神(みわ)神社には変わった形の鳥居(三つ鳥居)があるとして
「現在では大神(みわ)神社とここにしかないない鳥居で、人界と神界を区切る所で潜ってはいけない鳥居」と書いてあった。
神神社とは名前を見ただけででも何か謂れがありそうに感じる。チョット興味を覚え休憩がてら寄る事にした。

 境内の説明には「644年東国の疫病退治に大和の国三輪山の神を迎え神社を創設。神社には本殿が無く、三つ鳥居の奥が古代の斎庭であった」とあるがよく分からない。
だが神社の裏手に廻り塀越しに見える三つ鳥居は厳かさを感じさせる雰囲気があった。

          
               神神社の三つ鳥居
 
 家に帰り調べて少し理解できた。
説明の中に「大和の国三輪山の神」とあるのは現在の奈良県桜井市三輪にある大神(おおみわ)神社のことで、この大神神社は日本最古級の神社で本殿は無く三つ鳥居の先にある三輪山を神体として崇めた古代信仰の形態を残しているとある。
 ここの神神社は奈良の大神神社と同じ神を迎え入れて、同じ三つ鳥居の先の高草山を神体として崇め悪病退治を祈ったのだろう。そして神社のあるも大神神社の場所と同じ「三輪」と名付けたのだろう。
ただこの様な神社の形態は全国にあり、三つ鳥居も大神神社と此処だけの物ではないようだ。

 しかし腑に落ちないのは、高草山が三輪山ではないことと、高草山の山頂に祭ってある祠が「高草山大権現」となっていることだ。高草山とは如何にも現代的な名前にも感じるが、三輪から高草に改名したのか? それともご神体は高草山ではなく、もっと北側の山なのか? 疑問は残ったままだった。

 神神社で休憩をとって、また県道213に戻る。この辺りの道は高草山の登山口が各所にあり何度か歩いた事がある。ただその時は視線は山に向いていたので周囲の景色を余り見ていなかったようだ。
 所々にある地域の旧名の標識が立っている中に「東海道」と書かれた標識があった。の名前が東海道とは、これまた不思議だが平安時代の東海道で「やきつべの道」と言われた所なのだろう。そのやきつべの道を辿り花沢の里に向かう。ミカン畑に囲まれたのんびりした道の下には東名高速が見え車が疾走しているのも見える。

          
               花沢の里

 道が登り坂になり黒塗りの長戸門や水車などが出てくれば10番法華寺はもう直ぐだ。