すずめ通信

すずめの街の舌切雀。Tokyo,Nagano,Mie, Chiba & Niigata Sparrows

第1409号 淋しいなあ「喪中につき‥」

2015-12-03 10:43:49 | Tokyo-k Report
【Tokyo-k】「喪中につき年賀欠礼」の案内が舞い込む季節になり、「今年はいささか多いな」と感じていた矢先、記憶にない名前の差出人から「父が‥‥68歳にて永眠いたしました」との葉書を手にして立ち竦んだ。大学の同じゼミで学んだ(というより、遊んだ)友人の死を、息子が知らせてくれたのだ。

そのゼミ仲間(遊び仲間)は私を含め4人。なぜこの4人が特に交流するようになったかは誰も思い出せない。そのことをいつも訝りながら、10年ほど隔たるとたまらなく会いたくなって集合し、息災を確かめ合ってきたのだった。1昨年の夏には彼が暮らす鳥取市に集まり、砂丘や大山、境港へと、鳥取県のほぼ全域を案内してもらった。それが彼との別れになろうとは、思いもよらないことだった。

亡くなった日付からまだ10日ほどしか経っていないから、ご遺族は気持ちの整理もついていないだろうといささか憚られたものの、「なぜ!」という思いの方が強くて電話した。彼の携帯はまだ生きていて、奥さんが出られた。食道癌だったという。発見された時はすでに末期だった。本人は事態を自覚し、周囲には知らせず静かに逝く覚悟を固めていたとのことだ。

医師からは来年を迎えることは可能だろうと伝えられていたのに、それは叶えられなかった。勘が働き、麻雀に強く、しばしばさっぱりとした男気を発揮する友人だった。早々とやってきた病魔は悔しかったことだろう。しかし逃れるすべがないと知った時、彼はきっぱりと受け入れたのだと思う。息子娘ら家族に囲まれ、旅立っていったということだ。

「年賀欠礼」の知らせは、これまでほとんどが親の死に伴うもので、年齢的には納得させられることが多かったのだが、これからはこうやって、同年輩の旅立ちを知らされることが増えていくのだろう。そして私もいずれ「年賀欠礼」の素になる。残された3人はショックの中で連絡を取り合い、来週、銀座で落ち合うことにした。1人は松山から出てくる。

鳥取旅行の際、彼が「鳥取には鰻屋がないんだ」とこぼすものだから、今度は東京に集合して鰻を食べよう、ということになっていた。そろそろ「鰻を喰わせろ」という連絡があるころだと思っていたのに、届いたのは「喪中」の挨拶だったのである。銀座では3人で、彼を偲んで鰻を食べようと思う。



写真は(上)が大山を望む植田正治写真美術館での彼。(下)は鳥取駅前を行く3人。






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