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【Tokyo-k】小諸で小さな同級会が開かれた。新潟市の中学校で同級だった後期高齢者の4人が、そのうちの小諸在住の一人が大きな病から快癒したことを祝おうと、集まったのだ。東京では前日に桜の満開が発表されているものの、信州小諸ともなると蕾はまだ固い。それでも「古城のほとり」あたりでは、千曲川の流れが春を運んでくるのだろうか、ミズキやモクレンが開花し始めている。幼馴染とは不思議なもので、会えばいっぺんに時間が溶けてしまう。
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人に話すと一様に驚かれるのだが、私の中学のクラスは、何十年と欠かさず年1回のクラス会が継続されてきた。地元に熱心な幹事がいてくれたお陰だが、クラスメートは概ねみんな仲が良く、担任は癖の強い先生だったがまずまず慕われていたからなのだろう。しかしコロナに阻まれ、ここ3年は新潟からの招集は途絶えている。ここまで生きてくると病気や訃報の知らせは珍しいものではなくなるから、みんな達者かいっそう気にかかるものだ。
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島崎藤村が『千曲川旅情』で「千曲川いざよふ波の岸近き宿にのぼりつ濁り酒濁れる飲みて草枕しばし慰む」と詠った宿のレストランに集い、濁り酒で乾杯した。この辺りはひな祭りを旧暦で祝うのだろうか、たくさんの雛が飾ってあって、遠い昔にお嬢様だったメンバーもいるから似合わないこともない。懐古園の崖下のような位置に建つ宿で、僅かな平地の先を千曲川が流れている。蛇行する流れが生んだ「中棚」といった地勢なのかもしれない。
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小諸は、浅間山の緩やかな山麓が千曲川へと落ちて行く南面の傾斜地に営まれる街で、実に日当たりがいい。さらに南は佐久平へ続くことになる。この宿には山頭火も投宿しているそうで、「あるけばかっこう あるけばかっこう」の句はここで生まれたのだという。カッコウには出会えなかったものの、まだうまく囀れないウグイスが「ホーホケッ」と拙いながら健気に春の気配を伝えてくれる。信濃はこうした季節感が、いつも生活の傍らにある。
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実はこの日は、もう一人参加者がいるはずだった。長い外国生活から日本に帰った同級生で、定住の地に安曇野を選んだ。風邪をひいて参加を断念したのだが、安曇野の感想を聞くと、「こんなに風景が美しいところだとは知らなかった。次はぜひ安曇野で」ということになった。近年は移住への関心が高まっているようで、コロナによるテレワークの普及がそれに拍車をかけている。人気の移住先として、長野県は常にトップの一角に挙げられている。
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新幹線の佐久平駅を中心にした小諸・佐久・御代田あたりへの関心は特に強いようだ。確かに佐久平駅周辺は、全体が大きなショッピングモールになるような開発ラッシュらしく、全国ブランドの看板が林立している。後期高齢者にとっては買い物の利便性はともかく、気になるのは医療体制の充実度である。それに関しては大病から快癒した小諸さんが「ご近所の助けと救急体制に救われ、充実した医療によって生還できた」としみじみ語っている。
小諸で暮して18年になる小諸さんは、自ら運転してわれわれを送ってくれながら、「新幹線までこんなに便利な道ができたの」「人口は減っているのに、新しい家がたくさん建てられている。何故かしら」などとガイドしてくれる。彼女が手がける庭は、冬枯れの中でクリスマスローズが花盛りだ。今朝までは蕾だけだったという梅が数輪、開花した。浅間山麓にも春が来たのだろう。今年は新潟の本部から同級会の案内が届くかもしれない。(2023.3.24)
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人に話すと一様に驚かれるのだが、私の中学のクラスは、何十年と欠かさず年1回のクラス会が継続されてきた。地元に熱心な幹事がいてくれたお陰だが、クラスメートは概ねみんな仲が良く、担任は癖の強い先生だったがまずまず慕われていたからなのだろう。しかしコロナに阻まれ、ここ3年は新潟からの招集は途絶えている。ここまで生きてくると病気や訃報の知らせは珍しいものではなくなるから、みんな達者かいっそう気にかかるものだ。
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島崎藤村が『千曲川旅情』で「千曲川いざよふ波の岸近き宿にのぼりつ濁り酒濁れる飲みて草枕しばし慰む」と詠った宿のレストランに集い、濁り酒で乾杯した。この辺りはひな祭りを旧暦で祝うのだろうか、たくさんの雛が飾ってあって、遠い昔にお嬢様だったメンバーもいるから似合わないこともない。懐古園の崖下のような位置に建つ宿で、僅かな平地の先を千曲川が流れている。蛇行する流れが生んだ「中棚」といった地勢なのかもしれない。
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小諸は、浅間山の緩やかな山麓が千曲川へと落ちて行く南面の傾斜地に営まれる街で、実に日当たりがいい。さらに南は佐久平へ続くことになる。この宿には山頭火も投宿しているそうで、「あるけばかっこう あるけばかっこう」の句はここで生まれたのだという。カッコウには出会えなかったものの、まだうまく囀れないウグイスが「ホーホケッ」と拙いながら健気に春の気配を伝えてくれる。信濃はこうした季節感が、いつも生活の傍らにある。
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実はこの日は、もう一人参加者がいるはずだった。長い外国生活から日本に帰った同級生で、定住の地に安曇野を選んだ。風邪をひいて参加を断念したのだが、安曇野の感想を聞くと、「こんなに風景が美しいところだとは知らなかった。次はぜひ安曇野で」ということになった。近年は移住への関心が高まっているようで、コロナによるテレワークの普及がそれに拍車をかけている。人気の移住先として、長野県は常にトップの一角に挙げられている。
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新幹線の佐久平駅を中心にした小諸・佐久・御代田あたりへの関心は特に強いようだ。確かに佐久平駅周辺は、全体が大きなショッピングモールになるような開発ラッシュらしく、全国ブランドの看板が林立している。後期高齢者にとっては買い物の利便性はともかく、気になるのは医療体制の充実度である。それに関しては大病から快癒した小諸さんが「ご近所の助けと救急体制に救われ、充実した医療によって生還できた」としみじみ語っている。
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小諸で暮して18年になる小諸さんは、自ら運転してわれわれを送ってくれながら、「新幹線までこんなに便利な道ができたの」「人口は減っているのに、新しい家がたくさん建てられている。何故かしら」などとガイドしてくれる。彼女が手がける庭は、冬枯れの中でクリスマスローズが花盛りだ。今朝までは蕾だけだったという梅が数輪、開花した。浅間山麓にも春が来たのだろう。今年は新潟の本部から同級会の案内が届くかもしれない。(2023.3.24)
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ところで、長野県は特に高齢者医療には定評があります。高齢者医療は高齢になって始めるものではなく、良い高齢者生活を送れるよう若い時から準備するものです。そのために長野県では特に減塩運動に県をあげて取り組んできました。始めたのは、1945年に佐久総合病院に赴任してきた若月俊一医師。その後、諏訪病院に赴任した鎌田實医師に引き継がれ、今や日本一の長寿県となりました。