すずめ通信

すずめの街の舌切雀。Tokyo,Nagano,Mie, Chiba & Niigata Sparrows

第1934号 檜枝岐 語ることなし六地蔵

2024-06-19 11:35:58 | Tokyo-k Report
【Tokyo-k】紅い頭巾と涎掛けのお地蔵様が並んでいる。その前を駆けて行く子供たちは村の中学生だろう。揃いのトレーナーには大きく「桧枝岐」の文字が見える。ここは福島県の最南西端、尾瀬の麓の檜枝岐村だ。奥只見・奥利根・奥日光と、奥山に抱かれた「秘境」についにやって来たのである。いったいどんな歴史と暮らしがあるのだろうと興奮を噛み締めながら歩いている私に、子供たちは明るく軽く「こんにちはー」と挨拶を送ってくれるのだった。



会津高原尾瀬口駅を出発したバスは、ひたすら山里の集落を繋いで行く。険しい山岳ではないのだけれど、しだいに山深さが圧迫して来て、快晴の昼下がりでなければいささか心細くなるかもしれない。人家が消えてずいぶん経つと訝っていると、「よくきらった」と書かれた檜の門が現れて檜枝岐村に入ったと知る。標高は950mほどらしいが、渓流を遡る道は概ね平坦で、その両側に続く集落は、赤錆色のトタン屋根が目立つただの山村である。



村の面積は390平方キロあって、全国1741自治体で295番目の広さだ。98%が森林で、「尾瀬」の45%も含まれる。集落は村域の中心を流れる檜枝岐川に沿ったわずかな平地に営まれ、200戸・500人ほどが暮らしている。人口は全国最少ではないものの、人口密度は1平方キロに1.3人と全国で最も低い。集落部の密度は250人ほどになるから、集落の中にいる限りはほぼ平均的な山村で、ここが奥山の秘境であるとは感じられない。



秘境とは「人跡のまれな、様子がよく知られていない土地」(広辞苑)を言う。檜枝岐を「日本の秘境の筆頭格」のように想像していた私には、第一印象は「奈良の十津川村や新潟・長野県境の秋山郷などに比べたら、秘境度は薄い」というものだった。この場合の「秘境度」とは私が勝手に思い込んでいる度合いで、家々が山肌に張り付くように点在している奥山で、「どうやって暮らしが成り立っているのだろう」と不思議になる風景の濃淡である。



檜枝岐の集落は、国道352号線に沿って営まれている。「よくきらった」の井籠門から遡っても、尾瀬側の集落の外れまで3キロもない。面積にすれば2平方キロほどの内で、東京ディズニーリーゾートとほぼ同じだと村の資料にある。「中央」と呼ばれる地域に役場や公民館、歴史民俗資料館、農協ストアー、共同温泉浴場が並び、村立の小・中学校が一等地に広々とグランドを占めている。やや離れて郵便局と診療所、ガソリンスタンドもある。



村唯一の通りと言えそうな国道を歩いていると、やたらと目に付くものが3つある。「墓地と花と消火栓」だ。家と家の僅かな隙を埋めるように墓標が並び、「星」「平野」「橘」の家名を刻んでいる。そしてそれら墓石を季節の花々が慰めているのである。人通りはほとんどないけれど、花々の彩りが賑やかなお陰で散歩に寂しさはない。そんな通りを50メートルを置かず赤く塗られた消火栓が立ち並び、隣に「ホース格納箱」が備えられている。



その国道に村の「廟所」がある。カツラと黒檜の巨木が濃い陰を落とし、紅い頭巾の六地蔵を守っている。巨木は1200年昔の開村者の墓印だと伝えられ、村人の魂の拠り所になっているらしい。六地蔵の傍らには「凶作年に口減らしさせられた幼児の霊を慰めようと、享保年間に建てられた」と由来が書かれている。長閑で平和な山村散歩は、先人たちの壮絶な暮らしに触れたことで、一転して「秘境・檜枝岐」へと迷い込むのである。(2024.6.11-12)





































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