【Tokyo-k】若いころに夢中で読んだ本を探そうとするのだが、このところご無沙汰の書架は様々な異物で埋まり、なかなか見当たらない。「本棚とは、自分の嗜好の変遷を饒舌に物語るものだ」と、わが乱読の果ての人生を振り返って苦笑いが浮かぶ。それでも『照葉樹林文化』(上山春平編・中公新書)、『稲を選んだ日本人』(坪井洋文著・未来社)など数冊が見つかった。綾町に行ったことで、かつての興奮を思い出したのである。
綾町は宮崎県のほぼ中央部、人口7000人ほどの小さな町だ。宮崎市に隣接し、日向灘からさほど奥まっていないのに、町の大半は深い森林となって九州中央山地に飲み込まれていく。そうした山の中、綾川渓谷に架かる照葉大吊橋を渡りながら、私はかつて興奮しながら読んだ照葉樹林文化論を思い出している。「稲作以前の日本の原始文化を《照葉樹林文化》の一環として捉える中尾さんの提案である」(上山春平)
この中尾さんとは、かつて佐々木高明氏らと照葉樹林文化圏を提唱した中尾佐助さんのことだ。「カシ・シイ・クス・ヤブツバキ・サカキなど日本列島を広く覆う、厚く光沢がある葉が特徴の照葉樹の森は、中国雲南省あたりを中心に、ヒマラヤ山麓から西日本に至る(地球規模的には)限られたエリアである「東亜半月弧」に広がっていて、そこには共通の生活文化や農耕の起源がある」との文化人類学の刺激的な新説だった。
その学説は日本における稲作の起源に新たな視点をもたらす契機になり、反論も含め多くの論が張られるようになった。おかげで私のような素人もその一端に触れて、人類文化の伝播の雄大さに胸ときめかす幸せを被ったのだった。そして今日、ショウヨウジュリンと唱えながら長さ250m、高さ142mの歩行専用の吊橋を渡って行くと、文化人類学者が描いた祖先たちが、対岸の照葉樹の森とともに近づいてくる気分になる。
国内最大規模の照葉樹林が残る綾町は、自然と共生する町づくりを選択し、国の伐採計画を食い止めて森を守っている。保護範囲を1万haに拡大、100年計画で人工林の照葉樹林復元に取り組んでいる。そのために農産物の栽培条例を定め、自然生態系農業の認定も行っている。私が綾という町の名を聞いたことがあると思ったのは、そうした活動で数々の賞を受けている賞の一つに、私が微かに関わっていたかららしい。
私の書棚は歴史・地誌・美術・文学に尽きる。いわゆる理数系の書物はない。思考回路がそう偏っているのであり、本棚は私の限界を証明している。不思議なもので兄はほぼ真逆である。どうやら兄は母方の、私は父方の血をより濃く受けたせいらしい。そのうえ私は飽きっぽく、何事も高を括って事に当たるという、困った性癖まで受け継いでしまったようで、照葉樹林文化論への熱も、さほど長くは維持できなかった。
綾町は「手作り工芸の里」を目指すユニークな施策でも知られている。陶芸や染色などの作家を積極的に迎え入れ、綾産の工芸品を展示販売する施設を整備している。米国イリノイ州出身の女性陶芸家を工房に訪ねると、すっかり板についた日本語で「綾は温暖で人も優しい」と話してくれた。規模は小さくとも、目指す目標は大きい町だ。綾神社に人影はなく、クスノキの巨木がカサコソと実を落としている。(2019.1.9-10)
綾町は宮崎県のほぼ中央部、人口7000人ほどの小さな町だ。宮崎市に隣接し、日向灘からさほど奥まっていないのに、町の大半は深い森林となって九州中央山地に飲み込まれていく。そうした山の中、綾川渓谷に架かる照葉大吊橋を渡りながら、私はかつて興奮しながら読んだ照葉樹林文化論を思い出している。「稲作以前の日本の原始文化を《照葉樹林文化》の一環として捉える中尾さんの提案である」(上山春平)
この中尾さんとは、かつて佐々木高明氏らと照葉樹林文化圏を提唱した中尾佐助さんのことだ。「カシ・シイ・クス・ヤブツバキ・サカキなど日本列島を広く覆う、厚く光沢がある葉が特徴の照葉樹の森は、中国雲南省あたりを中心に、ヒマラヤ山麓から西日本に至る(地球規模的には)限られたエリアである「東亜半月弧」に広がっていて、そこには共通の生活文化や農耕の起源がある」との文化人類学の刺激的な新説だった。
その学説は日本における稲作の起源に新たな視点をもたらす契機になり、反論も含め多くの論が張られるようになった。おかげで私のような素人もその一端に触れて、人類文化の伝播の雄大さに胸ときめかす幸せを被ったのだった。そして今日、ショウヨウジュリンと唱えながら長さ250m、高さ142mの歩行専用の吊橋を渡って行くと、文化人類学者が描いた祖先たちが、対岸の照葉樹の森とともに近づいてくる気分になる。
国内最大規模の照葉樹林が残る綾町は、自然と共生する町づくりを選択し、国の伐採計画を食い止めて森を守っている。保護範囲を1万haに拡大、100年計画で人工林の照葉樹林復元に取り組んでいる。そのために農産物の栽培条例を定め、自然生態系農業の認定も行っている。私が綾という町の名を聞いたことがあると思ったのは、そうした活動で数々の賞を受けている賞の一つに、私が微かに関わっていたかららしい。
私の書棚は歴史・地誌・美術・文学に尽きる。いわゆる理数系の書物はない。思考回路がそう偏っているのであり、本棚は私の限界を証明している。不思議なもので兄はほぼ真逆である。どうやら兄は母方の、私は父方の血をより濃く受けたせいらしい。そのうえ私は飽きっぽく、何事も高を括って事に当たるという、困った性癖まで受け継いでしまったようで、照葉樹林文化論への熱も、さほど長くは維持できなかった。
綾町は「手作り工芸の里」を目指すユニークな施策でも知られている。陶芸や染色などの作家を積極的に迎え入れ、綾産の工芸品を展示販売する施設を整備している。米国イリノイ州出身の女性陶芸家を工房に訪ねると、すっかり板についた日本語で「綾は温暖で人も優しい」と話してくれた。規模は小さくとも、目指す目標は大きい町だ。綾神社に人影はなく、クスノキの巨木がカサコソと実を落としている。(2019.1.9-10)
読み通すには一頑張りが必要かも。
読めば日本史の盲点に気付くでしょう。
ネット小説も面白いです。