すずめ通信

すずめの街の舌切雀。Tokyo,Nagano,Mie, Chiba & Niigata Sparrows

第1245号 アルプス上空で思ったこと

2013-12-31 13:32:13 | Tokyo-k Report
【Tokyo-k】ミラノ・マルペンサ空港を離陸したボーイング777はぐんぐん高度を上げ、さっきまで私が湖畔の散歩を楽しんでいた北イタリア湖水地方を一幅の鳥瞰図とした。大自然に張り付くように建つ家々が微かな点として確認され、そしてそれらが固まって街を形成しているのが分かる。私はこうした人間の営みを観るたびに、その存在の小ささに愛おしさを覚える。 . . . 本文を読む
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第1244号 本所(東京都) 

2013-12-15 11:12:00 | Tokyo-k Report
【Tokyo-k】総じていえば「本所散歩」とすべき1日なのに、両国で相撲を楽しみ過ぎたせいで、葛飾北斎に触れることができなかったのは実に良くない。《江戸》を代表する絵師は誰かと尋ねられたら、迷わずその名を挙げる人は多いだろう。北斎は1760年(宝暦10年)、武蔵国葛飾郡本所割下水で生まれた。割下水が何を指すのか知らないが、殺風景な生活臭が漂うイメージだ。現代の本所界隈も、気取りのない、暮らしよさそうな街が広がっている。 . . . 本文を読む
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第1243号 両国(東京都)

2013-12-14 18:36:35 | Tokyo-k Report
【Tokyo-k】両国は相撲の街である。年3回の大相撲本場所が開催される「両国国技館」がある街だから、日本人の「知っている街ランキング」があるとすれば、かなり上位にランクインすることは間違いない。しかし私にとってこの街は、国技館とその近くの馴染みの「ちゃんこや」程度しか知らないものだから、この際、まじめに歩いてみることにした。案の定、少し行くとお相撲さんに出会ったし、野見宿禰神社があって歴代横綱碑が建っていた。 . . . 本文を読む
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第1242号 網張(岩手県)

2013-12-11 14:22:58 | Tokyo-k Report
【Tokyo-k】網張という温泉郷が、東北ではよく知られた湯なのかどうかは知らないけれど、小岩井牧場を抜け、岩木山の南麓をひたすら登って着いたそこは、雄大な景観と山の冷気が心地よい高原だった。自動車道の終わりに休暇村という殺風景な宿が1棟だけあって、そこから先はスキー場のリフトが更なる高見に通じているのだった。旅の終わりは温泉で足を伸ばしたいと、盛岡のホテルをキャンセルしてやって来た甲斐があったようである。 . . . 本文を読む
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第1241号 盛岡(岩手県)

2013-12-11 13:13:31 | Tokyo-k Report
【Tokyo-k】今度の旅の目的の一つに買い物があった。ホームスパンのコート地を見つけることである。岩手では、かつて英国の宣教師が伝えたホームスパンの手紡ぎが守られ、いまでは本場スコットランドでも消えかけている技術が伝承されているというのだ。どこかおとぎ話のような、それでいて東北人の粘り強さを黙々と示しているような物語を伝え聞いて、私はすっかり感動した。そこでこの際、コートを新調しようと思い立ったのである。 . . . 本文を読む
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第1240号 花巻(岩手県)

2013-12-11 10:40:00 | Tokyo-k Report
【Tokyo-k】宮沢賢治という人格は、故郷によって形成された比重が大きいというから、花巻は行ってみたい街だった。丘の上の賢治記念館から西方を望むと、北上川がゆったりと流れ下って来て、その向こうに花巻の市街が霞んでいる。おそらく賢治は、私がいま眺めているこの風景の中で、人生の最も濃密な時間を生きたのだろう。「土地(街)と人間(才能)には強い関連がある」という前提に立てば、花巻は無二の人格を育んだ街ということになる。 . . . 本文を読む
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第1239号 釜石(岩手県)

2013-12-10 21:23:47 | Tokyo-k Report
【Tokyo-k】早朝の釜石市街を歩いた。連れ立って散歩をする老夫婦、軽々とジョギングして行く中年の男性。1時間ほど歩いて、出会ったのはその3人だけだった。震災3ヶ月後に訪れた釜石は、倒れかけたビルや屋根に乗り上げた車の残骸など惨憺たる状況だったが、それから2年、瓦礫はすべて撤去され、家屋の多くも取り壊されて、中心商店街は巨大な空き地になっている。人々は仮設住宅に移ったか、この街を諦めて、出て行ったのだろう。 . . . 本文を読む
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第1238号 南三陸(宮城県・岩手県)

2013-12-10 15:51:26 | Tokyo-k Report
【Tokyo-k】町民に避難を呼びかけ続け、自らは逃げる暇なく津波に飲まれて行った南三陸町防災センターの女性職員のことは、大震災の中でひときわ感動を呼んだ悲しい話である。石巻から峠を越えると緩い下り坂が続き、ようやく海が見えたところに小さな街の「跡」が広がっていた。旧志津川町の中心部だろうか、津波による瓦礫は片付けられ、造成中の工業団地のような風景の中に、赤い骨組みだけになった防災庁舎がぽつんと残っていた。 . . . 本文を読む
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第1237号 牡鹿(宮城県)

2013-12-09 22:45:06 | Tokyo-k Report
【Tokyo-k】三陸海岸の「三陸」は、戊辰戦争後に陸奥国が陸奥・陸中・陸前と3分割された後に、三つの「陸」を合わせる地域表現として呼ばれるようになったのだということを、今回の旅を機に初めて知った。そしてその海岸線は、北上山地が海に落ちる青森県八戸市の南部から、牡鹿半島の石巻湾側の付け根・万石浦までの約600kmを指すことが一般的なのだということも。私たちはその三陸海岸南端を、溜め息をつきつつドライブしている。 . . . 本文を読む
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第1236号 石巻(宮城県)

2013-12-09 11:19:36 | Tokyo-k Report
【Tokyo-k】どこかに「立町通り」と書いてあった。石巻に到着した私たちは、街を歩いてみようとホテルからほど近いアーケード街にやって来たのだ。駅や市役所が近いようだし、銀行の支店も点在しているから、おそらくこの辺りが中心商店街なのだろう。しかし午後6時を回ったばかりだというのに人通りは途絶え、開いている店はまばらで車も滅多に通らない。鮮やかな衣装の「サイボーグ009」のメンバーが鋭い目を光らせているだけである。 . . . 本文を読む
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第1235号 多賀城(宮城県)

2013-12-08 15:59:37 | Tokyo-k Report
【Tokyo-k】仙台から石巻に向かうには、多賀城と塩釜の二つの街を通過する。6年前のほぼ同じ日、私は同じ街を訪れて「古代」を感じていい気持ちになったものだった。その気分が懐かしくてまた多賀城跡にやって来た。近くに、6年前にはなかった東北歴史博物館が出現していて、東北全体の歴史がおさらいできる。なかでも興味深かったのは巨大なナマハゲの面で、血走った眼を見開いた憤怒の相は、怒りより哀しみを湛えているように見えた。 . . . 本文を読む
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第1234号 仙台(宮城県)

2013-12-08 09:44:53 | Tokyo-k Report
【Tokyo-k】東日本大震災から2年半になる秋の初め、仙台から釜石まで海岸線を北上した。いつものように旅の記憶を留めておこうと思うのだけれど、帰って3ヶ月になるというのに何も書けないでいる。それはあまりの被害の甚大さに打ちのめされた私に、「お前に何が書ける」と現実が迫って来るようで、私の内が混乱しているからだろう。確かに私は傍観者に過ぎず、被災地に何の手助けもできないでいる。それでも私は見ておきたかった。 . . . 本文を読む
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