すずめ通信

すずめの街の舌切雀。Tokyo,Nagano,Mie, Chiba & Niigata Sparrows

第1936号 遥かなり南会津に風わたる

2024-06-21 06:00:00 | Tokyo-k Report
【Tokyo-k】山並みを遠望する時、山上の風景や山麓の暮らしは連想するのだけれど、では「山の向こう側はどんな世界なのだろう」と考えることはあまりない。新幹線で栃木・福島県境あたりを通過する時がそうだ。雄大な那須連山の風景を楽しみながら、思いを馳せるのは那須高原の記憶であり、向こう側のことはと考えた試しがない。そこは奥会津と呼ばれる広大な山地が広がっているらしいのだが、行ったことがないから想像しようがない。地図を開く。



本州島の東北の付け根あたりを見る。太平洋岸のいわき市と、日本海岸の柏崎市が同じような緯度に見える。調べると、いわき市は北緯37度3分2秒、柏崎市は37度21分53秒に市庁舎が建つ。基点を二つの市役所近くの海岸に延ばして直線で結ぶと約220kmある。その真ん中の110キロ地点で南会津町役場(北緯37度12分1秒)が重なる。南会津町は、太平洋からも日本海からも等距離の、本州島北部の真ん中ということになる。



南会津町は、旧田島町が中心になって隣接4町村が合併し、発足18年になる。本州では際立って広い面積の町らしいが、かつて南会津郡が置かれていたころは、北部の只見地域も含めて全国1広い郡だったのだそうだ。その郡役所も田島町に置かれ、田島は会津高原あるいは奥会津と呼ばれる地域の中心的な街だった。江戸時代には幕府領・南山(みなみやま)と言い、五万五千石を領する豊かな土地で、その支配は田島村の田島陣屋が担った。



取り急ぎこの程度の事前知識を携え、会津鉄道会津田島駅に降りる。駅舎のおしゃれで大きいことに驚かされたのだが、もっと驚いたのは駅の待合室に日本酒の自動販売機なるものが設置されていることだ。傍らには「日本一おいしいお酒が飲める郷宣言」が掲げてある。「会津清酒を通じ、日本の文化の発展を目指して、日本一おいしいお酒が飲める郷であることを宣言します」という、呑兵衛にはなんとも都合のいい、住み良さそうな街である。



だが駅前から役場に向かって歩き始めて間も無く、街の中心部と思われる界隈にやたらと空き地が目立つことが気になる。旧来の商店街は郊外のモールに移り、中心部は空洞化が進むという、地方都市には珍しくない光景なのかもしれないが、陣屋や郡役所が君臨していたころの賑わいが蘇らない。人口が13000人ほどの町はこんなものかと自分を納得させながら歩く。すると「史跡、鴫山城」という案内が現れ、私を突然、戦国時代に連れて行く。



鴫山城は市街地の南に聳える愛宕山に、南北朝の騒乱期に築かれた砦で、長沼氏から伊達、蒲生、上杉と支配を交代しながら、近世まで改築が続いた珍しい城跡らしい。麓には侍屋敷跡が棚田のように本丸を守る構造で、戦を日常とした空気が漂っている。その夏草をかき分けて、幼稚園児の列が現れた。散歩から帰ってきたところらしい。私を見つけ「こんにちはー」と元気な合唱が弾ける。福島の児は、どこの街でも挨拶してくれる。嬉しい戸惑いだ。



城も陣屋も郡役所も、南の丘陵を背に北を向いている。北には阿賀川の流れがある。田島が南会津の中心の街になったのは、この川の水運にもよるのかもしれない。阿賀川は西から北へ街を包み、会津盆地を北上して新潟県に入り、阿賀野川と名を変える。水量の豊富な国内10位の大河だ。私はその河口の街で育った。幼い日々に慣れ親しんだ川が、こうした街を潤して旅をして来ていたのかと、老残の身になって初めて知るのである。(2024.6.12)












































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