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【Tokyo-k】神湊(こうのみなと)は玄界灘の小さな港町で、宗像大社の辺津宮・中津宮・沖津宮を一直線に結ぶライン上にある。沖に見える島が中津宮と沖津宮遥拝所がある大島のようで、1日7便のフェリーがこの港と7キロほどの海路を20分で結んでいる。毎年10月1日には宗像大社の神事「みあれ祭」がこの海を賑わす。神輿を乗せた2隻の御座船が大島港から神湊港に向かい、それを守って100隻余の漁船が海上を、華やかにパレードするのだ。
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玄界灘である。その海原のほぼ中央に浮かぶ周囲4キロの無人島が沖ノ島で、縄文人の漁の痕跡があり、弥生時代には土着的な祭祀の遺物が出土している。やがて九州北部の海人族の「神宿る島」となり、4世紀末には国家的な祭祀の場に格上げされたらしく、地域の有力者「胸形」一族による「宗像三女神」の鎮座地として整えられて行った。宗像大社の成立である。(以上は多分に私の推論を混じえているから、断定するのは危ういと自覚している)
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いつのころからなのだろう、一切の立ち入りを禁ずる島には大社の神職一人が10日交代で上陸、沖津宮に詰めて神事を続けている。浮世離れしたこうした信仰形態が営々と続けられていることを知って以来、私はこの地に強く惹かれてきたのだが、ぐずぐずしているうちにユネスコが「宗像・沖ノ島と関連遺産群」を世界遺産に登録してしまった。自然崇拝から始まったのであろう信仰が、今も継承されていることが評価されたのは実に喜ばしい。
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私にとって宗教は永遠の謎だ。「中つ国」で惑い生きている人間どもに、心の安らぎと強さを与えてくれるものなのだろうと想像はするのだが、その宗教が、いまパレスチナで展開されている無残な殺戮といった悲劇の根源になっていることが、私には解らない。ただ自分が生まれ落ちたこの列島に芽生え、定着した主な宗教が、自然の中に八百万の神を感じようとする世界であり、また排他性も攻撃性も薄い仏教であったことは幸いであったと思う。
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博多(那の津)が大和政権の外交窓口として整備される以前、5世紀ころの倭国の国際港は神湊だったのかもしれない。2003年の合併で現在の宗像市が誕生するまで、宗像大社辺津宮や神湊の一帯は宗像郡玄海町であった。2年後に沖ノ島を含む大島村も宗像市に編入された。古代の国際港だったかもしれない神湊は、小さな街だけれど落ち着きがある。1500年余の時の蓄積がそう感じさせるのか。大島から帰港する釣り客のほか動きはない。
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辺津宮に戻り、神宝館で開催中の「国宝と三右衛門展」を観る。沖ノ島の祭祀遺物は、岩陰に祀られたまま千年以上残された品々で、全てが国宝に指定されている。それら古代の工芸品と現代の名匠・今泉今右衛門、酒井田柿右衛門、中里太郎右衛門の作品を対峙展示するという興味深い趣向である。千年余の時の隔たりは、圧倒的に進歩した技量を見せてくれるけれど、並べられた土師器の壺の素朴な膨らみは、時空を超えたオーラが全てを包み込む。
文化庁の「宗教年鑑」(令和5年版)によると、日本における宗教法人のうち神道系は84206団体あって仏教系を上回る。伊勢神宮や出雲大社など、律令で「郡全体を所領とする」ことを認められた「神郡」八社は特別な存在で、胸形族が守ってきた宗像大社もその一つである。宗教法人格のない祠などまで含めると、神社の総数は20万社にのぼるといわれるほどで、日本人は祭神にはあまねく柏手を打ち、ごく自然に拝礼するのである。(2024.1.30)
(国宝・土師器壺/十五代酒井田柿右衛門「濁手苺文瓶」)
(国宝・金銅製龍頭/十四代今泉今右衛門「唐花瓔珞文龍蓋付扁壺)
(十三代中川太郎右衛門「叩き三島象嵌壺」)
(唐津太郎右衛門「青掻落し壺」)
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(みあれ祭=宗像大社ホームページより)
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玄界灘である。その海原のほぼ中央に浮かぶ周囲4キロの無人島が沖ノ島で、縄文人の漁の痕跡があり、弥生時代には土着的な祭祀の遺物が出土している。やがて九州北部の海人族の「神宿る島」となり、4世紀末には国家的な祭祀の場に格上げされたらしく、地域の有力者「胸形」一族による「宗像三女神」の鎮座地として整えられて行った。宗像大社の成立である。(以上は多分に私の推論を混じえているから、断定するのは危ういと自覚している)
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いつのころからなのだろう、一切の立ち入りを禁ずる島には大社の神職一人が10日交代で上陸、沖津宮に詰めて神事を続けている。浮世離れしたこうした信仰形態が営々と続けられていることを知って以来、私はこの地に強く惹かれてきたのだが、ぐずぐずしているうちにユネスコが「宗像・沖ノ島と関連遺産群」を世界遺産に登録してしまった。自然崇拝から始まったのであろう信仰が、今も継承されていることが評価されたのは実に喜ばしい。
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私にとって宗教は永遠の謎だ。「中つ国」で惑い生きている人間どもに、心の安らぎと強さを与えてくれるものなのだろうと想像はするのだが、その宗教が、いまパレスチナで展開されている無残な殺戮といった悲劇の根源になっていることが、私には解らない。ただ自分が生まれ落ちたこの列島に芽生え、定着した主な宗教が、自然の中に八百万の神を感じようとする世界であり、また排他性も攻撃性も薄い仏教であったことは幸いであったと思う。
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博多(那の津)が大和政権の外交窓口として整備される以前、5世紀ころの倭国の国際港は神湊だったのかもしれない。2003年の合併で現在の宗像市が誕生するまで、宗像大社辺津宮や神湊の一帯は宗像郡玄海町であった。2年後に沖ノ島を含む大島村も宗像市に編入された。古代の国際港だったかもしれない神湊は、小さな街だけれど落ち着きがある。1500年余の時の蓄積がそう感じさせるのか。大島から帰港する釣り客のほか動きはない。
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辺津宮に戻り、神宝館で開催中の「国宝と三右衛門展」を観る。沖ノ島の祭祀遺物は、岩陰に祀られたまま千年以上残された品々で、全てが国宝に指定されている。それら古代の工芸品と現代の名匠・今泉今右衛門、酒井田柿右衛門、中里太郎右衛門の作品を対峙展示するという興味深い趣向である。千年余の時の隔たりは、圧倒的に進歩した技量を見せてくれるけれど、並べられた土師器の壺の素朴な膨らみは、時空を超えたオーラが全てを包み込む。
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文化庁の「宗教年鑑」(令和5年版)によると、日本における宗教法人のうち神道系は84206団体あって仏教系を上回る。伊勢神宮や出雲大社など、律令で「郡全体を所領とする」ことを認められた「神郡」八社は特別な存在で、胸形族が守ってきた宗像大社もその一つである。宗教法人格のない祠などまで含めると、神社の総数は20万社にのぼるといわれるほどで、日本人は祭神にはあまねく柏手を打ち、ごく自然に拝礼するのである。(2024.1.30)
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