すずめ通信

すずめの街の舌切雀。Tokyo,Nagano,Mie, Chiba & Niigata Sparrows

第1453号 横浜のオールドスタイル懐かしむ

2016-05-25 19:07:36 | Tokyo-k Report
【Tokyo-k】横浜へ1泊2日の小さな旅をした。わが家から1時間少々で行ける横浜に、なぜ宿泊かと思わないでもないけれど、今回は「そのホテルに泊まる事」がまずありきなのだ。私の古希を祝って、子供たちが山下公園の前に建つ古いホテルに招待してくれたのである。日没とともに街は輝きを増し、氷川丸が優美に浮かび上がる。遠くでみなとみらいのビル群がきらめき、赤い靴の女の子は海をみつめて寂しそうだ。ここはYOKOHAMA BAY。 . . . 本文を読む
コメント

第1452号 窯の勉強に三国街道を行く 

2016-05-18 10:00:00 | Tokyo-k Report
【Tokyo-k】江戸と越後を結ぶ三国街道に、須川という宿場があった。高崎城下で中山道から北へ発する街道は、渋川、中山などの宿を経て、12番目の須川宿に至る。平野は渋川あたりで果て、しだいに山がちとなる上州路は、須川郷まで登って段丘上の平坦部に出会う。国境の谷川岳を望む宿場には本陣・脇本陣が置かれ、50軒ほどの旅籠で賑わっていたという。現在は「みなかみ町須川」。一部は復元整備され「たくみの里」という観光地になっている。 . . . 本文を読む
コメント

第1451号 「蚤の市」好きはあの街この街

2016-05-17 15:34:35 | Tokyo-k Report
【Tokyo-k】「蚤の市」好きが高じて、このところ外出することが多い。先日、青山の骨董市に出掛けたばかりなのに、今日は「代官山 蚤の市」に出向く。「パリの蚤の市を再現して」と詠っている通り、並べられている品々は彼の国の雑貨類で、客層は若者、それも女子が圧倒的だ。なかなかの賑わいで、皆さん楽しそうなのだから結構なのだが、パリの蚤の市はもっと猥雑で、再現というには怪しさが足りない。ここでは「薄さ」「軽さ」が顔を出す。 . . . 本文を読む
コメント

第1450号 何故に「そうなんですね」

2016-05-15 13:50:16 | Tokyo-k Report
【Tokyo-k】このところ気になる言い回しがある。「気になる」というより「気に入らない」といった方が私の心情には素直である。言葉が時代とともに変化するように、言い回しや発音も次々新種が現れて、定着したり消滅したりして行くことは私も理解している。だがこの言い方はどうも気に入らない。これ以上蔓延せずに、消滅してくれることを願っているのだが‥‥。 . . . 本文を読む
コメント

第1449号 蒼空を泳いで70歳

2016-05-14 18:56:29 | Tokyo-k Report
【Tokyo-k】本日、私は70歳になった。この世界にとって、それは特段の意味を持つことではないけれど、私個人にしてみれば、なかなか感慨深いものがある。何しろ70歳である。 . . . 本文を読む
コメント

第1448号 考える人と「縄文の女神」を考える

2016-05-07 16:24:36 | Tokyo-k Report
【Tokyo-k】そういえばこの男、名前は何というのだろう。国立西洋美術館の前庭にいて、いつ行っても窮屈そうに座っている。背後から陰を差し伸べる梢は新緑を芽吹かせ、花壇ではツツジが花盛りだ。1年で最も爽やかで美しいこの季節くらい、腰を伸ばし「やれやれ」と背伸びをしたらいいだろうに。分身が世界中の美術館にいて、思いがけず出会うことがあるけれど、どこでも彼は悩ましげに黙ってうつむいている。「考える詩人」なのだろう。 . . . 本文を読む
コメント

第1447号 ASEAN・OLYMPICSを思いついて帰る

2016-05-06 11:40:01 | Tokyo-k Report
【Tokyo-k】海外に行くと、「ここからだと日本はどう見えるのだろう」と考える。今回はタイから遠望する日本だ。「遥か東北の冷涼な海に浮かぶ島国」といったイメージなのではないだろうか。タイ人が定着したインドシナ半島は、西洋と東洋の狭間にあって国境をいくつもの国と接し、多民族が混在している《暑くて慌ただしい》環境にある。それに比べると日本は、大陸とは程よい距離を保つ、都合のいい《温暖な孤立》の中にあるように思える。 . . . 本文を読む
コメント

第1446号 アユタヤで中世日本人の息遣いを聴く

2016-05-02 16:23:26 | Tokyo-k Report
【Tokyo-k】アユタヤは「14世紀から18世紀にかけての417年間、タイの中心であり続けた都」だと、タイ政府観光庁の説明にある。別書によれば「実体は少数のタイ人が多数の有能な外来人を使用し交易経営を行い、莫大な富を築いた外来人国家」であったという。繁栄を極めたのは17世紀で、中心部には19万人、周辺域を含めると600万人が暮らす大都市圏を形成した。そして今、戦乱に滅んだ寺院が残照を浴びて、世界遺産になっている。 . . . 本文を読む
コメント