みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

第四章 筑摩書房に異議申し立て(テキスト形式)

2024-04-08 16:00:00 | 「賢治年譜」等に異議あり
『筑摩書房様へ公開質問状 「賢治年譜」等に異議あり』(テキスト形式タイプ) 第四章 筑摩書房に異議申し立て 一 おかしいと思ったところはほぼ皆おかしかった  ではここからは、〝序章 門外漢で非専門家ですが〟の続きである。  さて、現「賢治年譜」等において、少なからず見つかる常識的に考えればこれはおかしいと思われる事柄について、基本的には「仮説検証型研究」という手法に依って調べてみたところ、常識的 . . . 本文を読む
コメント

「私たちは今問われていないか―賢治と〈悪女〉にされた露―」(テキスト形式)

2024-03-30 08:00:00 | 濡れ衣を着せられた高瀬露
「私たちは今問われていないか―賢治と〈悪女〉にされた露―」(テキスト形式)  この投稿は、『宮沢賢治と高瀬露―露は〈聖女〉だった―』の中の第三章である Ⅲ 私たちは今問われていないか―賢治と〈悪女〉にされた露―  鈴木 守 についてである。 一 はじめに  宮澤賢治が生前血縁以外の女性の中で最も世話になったのが高瀬露である。ところが現実は、露はとんでもない〈悪女〉にされていて、いわゆる〈高瀬露 . . . 本文を読む
コメント

おわりに(テキスト形式)

2024-03-29 12:00:00 | 本統の賢治と本当の露
  おわりに  それでは、「仮説検証型研究」という手法等によって、「羅須地人協会時代」を中心にして今まで研究し続けてきて辿り着いた私の結論を、以下に少しく述べてそろそろ終わりにしたい。  まず、私のかつての賢治像はどのようして出来上がったのだろうか。それは、「賢治年譜」や賢治の「定説」そして「通説」等を少しも疑わずに信じ、信じ続けてきたことによってであり、賢治は、「貧しい農民たちのために自分の命を . . . 本文を読む
コメント

第一章 本統の宮澤賢治 (テキスト形式)後編

2024-03-27 16:00:00 | 本統の賢治と本当の露
☆『本統の賢治と本当の露』(テキスト形式タイプ)  ㈥「下根子桜」撤退と「陸軍大演習」  今度は、賢治が昭和3年8月10日に実家へ戻った件についてである。このことについては、 八月、心身の疲勞を癒す暇もなく、氣候不順に依る稻作の不良を心痛し、風雨の中を徹宵東奔西走し、遂に風邪、やがて肋膜炎に罹り、歸宅して父母のもとに病臥す。 〈『宮澤賢 . . . 本文を読む
コメント

第三章 伊藤ちゑと高瀬露(テキスト形式)

2024-03-20 14:00:00 | 賢治渉猟
第三章 伊藤ちゑと高瀬露    まずは、『宮沢記念館通信第112号』に載せてもらった拙論「伊藤ちゑからみた賢治」を以下に転載する。  「伊藤ちゑから見た賢治」  意外なことに、『宮澤賢治と三人の女性』(森荘已池著、人文書房)の中には次のようなことが述べられている。  それは、伊藤ちゑと宮澤賢治とを結びつけようとする記事を書こうとする著者森荘已池に対してちゑは、  今後一切書かぬと指切りし . . . 本文を読む
コメント

『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』はじめに(テキスト形式)

2024-03-19 10:00:00 | 賢治渉猟
       目      次  はじめに                      1 第一章 「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い        3  賢治が甚次郎に贈った『春と修羅』再発見 3  賢治の最も短い詩「草刈」? 5  賢治の「訓へ」(小作人たれ/農村劇をやれ) 6  賢治の「訓へ」の矛盾 10  「賢治精神」を実践しようと努力し続けた甚次郎 12  大正十五年の未曾有の旱害と . . . 本文を読む
コメント

おわりに(テキスト形式)

2024-03-17 10:00:00 | 濡れ衣を着せられた高瀬露
おわりに 鈴木 ではこれで検証作業等は全て無事完了、我々は「高瀬露は〈聖女〉だった」ということを実証できた。 荒木 でもやはり、俺は正直不満を隠せないな。賢治が亡くなってから約80年を経た今でさえも、調べてみればこうやって新たな事実等を知ることができてこの検証ができたのに、なぜこのようなことが今までに為された来なかったのだろうか。 吉田 まして、「露は<聖女>だった」ということが僕ら . . . 本文を読む
コメント

第八章〈悪女伝説〉は全くの捏造(テキスト形式)

2024-03-17 08:00:00 | 濡れ衣を着せられた高瀬露
第八章〈悪女伝説〉は全くの捏造 〈高瀬露は聖女だった〉は妥当な真実 鈴木 よし、これでやっと安堵できた。なお念のために確認しておくけど、「昭和8年」に関しては露に関するこの<仮説:高瀬露は聖女だった>に関連する証言や資料は今のところ見つかっていなはずだから検証作業は不用。また、寶閑小学校勤務以前の露のについても同様だ。  したがって現時点では、我々が知る限りの反例となりそうな証言や . . . 本文を読む
コメント

第五章 昭和6年の場合(テキスト形式)承前

2024-03-16 14:00:00 | 濡れ衣を着せられた高瀬露
 思考実験<賢治三回目の「家出」> 荒木 ところで、前に吉田が言っていた「ある伏線」はこれらとどう繋がるのだ? 吉田 ご免、そのためにはもう少し準備運動が必要なんだ。まずは、当時のことを時間的な流れで以下に確認したい。 ・大正15年秋~昭和2年夏:下根子桜の賢治の許に露出入り(菊池映一氏の証言より)。 ・昭和2年秋   :伊藤ちゑ兄と共に来花、賢治と会う(10月29日付藤原嘉藤 . . . 本文を読む
コメント

第五章 昭和6年の場合(テキスト形式)

2024-03-16 12:00:00 | 濡れ衣を着せられた高瀬露
第五章 昭和6年の場合  また持ち上がった賢治とちゑの結婚話  ここからはいよいよ昭和6年に入る。 ◇憤怒の〔聖女のさましてちかづけるもの〕 鈴木 それでは、「昭和6年」分については賢治の〔聖女のさましてちかづけるもの〕がその中心となりそうだが、いよいよ始めるとするか。 荒木 そもそも、その〔聖女のさまして云々〕とはどんな詩なんだ? 吉田 それは、『雨ニモマケズ手帳』にこのように書かれていて、実 . . . 本文を読む
コメント

第三章 昭和4年の場合(テキスト形式)

2024-03-16 08:00:00 | 濡れ衣を着せられた高瀬露
第三章 昭和4年の場合  昭和4年露宛書簡下書「新発見」?  ではここからは、昭和4年に関わることについてである。 ◇<仮説:高瀬露は聖女だった>の定立 鈴木 それでは、これで羅須地人協会時代の検証等は全て済んでしまったから残るはこの時代以降についてであり、今後は昭和4年~昭和7年について調べればよい。  では、まずは「昭和4年」分について考察してみよう。なお、ここからは今までの考察で . . . 本文を読む
コメント

一 おかしいと思ったところはほぼ皆おかしかった

2024-03-13 08:00:00 | 「賢治年譜」等に異議あり
 今までは、〝第四章 筑摩書房に異議申し立て〟も一部未公開でしたが、『筑摩書房様へ公開質問状 「賢治年譜」等に異議あり』の出版後一年以上も過ぎましたので、全てを公開します。どうぞご覧下さい。よって今回をもちまして、拙著『筑摩書房様へ公開質問状 「賢治年譜」等に異議あり』の中身は全て公開することになります。 第四章 筑摩書房に異議申し立て  続きへ。 前へ 。 『筑摩書房様へ公開質問 . . . 本文を読む
コメント

「伊藤ちゑから見た賢治」

2024-03-07 08:00:00 | 常識でこそ見えてくる賢治
 続きへ。 前へ 。  “『「羅須地人協会時代」検証―常識でこそ見えてくる―』の目次”へ。 ********************************** なお、以下は今回投稿分のテキスト形式版である。************************** 『宮沢記念館通信第112号』掲載   伊藤ちゑから見た賢治 . . . 本文を読む
コメント

あまり世に知られていない証言等

2024-03-06 08:00:00 | 常識でこそ見えてくる賢治
 続きへ。 前へ 。  “『「羅須地人協会時代」検証―常識でこそ見えてくる―』の目次”へ。 ********************************** なお、以下は今回投稿分のテキスト形式版である。**************************    あまり世に知られていない証言等 ・賢治の花巻農学校の退任式はなかったと判断できるから、唐突な辞職であった。 ・千葉 . . . 本文を読む
コメント

第三章 通説を疑う(テキスト形式)承前

2024-03-05 14:00:00 | 『校本宮澤賢治全集』の杜撰
****************************  前回の〝第三章 通説を疑う(テキスト形式)〟の続きである ***************************  では今度は、   ⑺ 下根子桜からの撤退は凄まじい「アカ狩り」のせい についてである。つまり、賢治が昭和3年8月10日に実家へ戻った件についてである。  このことについては、 八月、心身の疲勞を癒す暇もなく、氣 . . . 本文を読む
コメント