生まれて初めて「高村光太郎詩碑前祭」に参加した。
そしてつくづく納得させられたことは、何の説明が無くとも、光太郎が如何に山口の人たちから慕われ、愛され続けてきたのかということだ。それも、老若男女から。
《1 》(2024年4月2日撮影)
《2 開会》(2024年4月2日撮影)
《3 献花》(2024年4月2日撮影)
《4 「詩集」》(2024年4月2日撮影)
《5 「詩の朗読会」》(2 . . . 本文を読む
《1 》(2024年3月27日撮影)
《2 》(2024年3月27日撮影)
《3 》(2024年3月27日撮影)
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ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているという。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが . . . 本文を読む
《コマクサ》(平成27年7月7日、岩手山)
では今回は、かなり時間を遡るが、私が入沢康夫氏から『「ヒドリ」か、「ヒデリ」か』(入沢康夫著、書肆山田)をご恵与いただいたことに関連してである。
実は、拙ブログ〝みちのくの山野草〟に「1867 「日用取=ヒドリ」の新たな実証を」という投稿をかつてした際に、入沢康夫氏から次のようなコメントを頂いた。
森嘉兵衛氏著書のことなど (入沢康夫)2010-1 . . . 本文を読む
《1 》(2024年3月27日撮影)
《2 》(2024年3月27日撮影)
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ある著名な賢治研究者が私(鈴木守)の研究に関して、私の性格がおかしい(偏屈という意味?)から、その研究結果を受け容れがたいと言っているという。まあ、人間的に至らない点が多々あるはずの私だからおかしいかも知れないが、研究内容やその結果と私の性格とは関係が . . . 本文を読む