みちのくの山野草

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確たるものはほぼ何もない

2019-01-22 08:00:00 | 濡れ衣を着せられた高瀬露
《早池峰薄雪草》(平成23年7月11日撮影)

 さて、前々回、『校本宮澤賢治全集第十四巻』(筑摩書房)で「新発見」と嘯いた「252c」は、『新校本宮澤賢治全集第十五巻』の「252c (不2・不4・不6)〔日付不明 小笠原露あて〕下書」という記述の仕方そのものが、はしなくも、「新発見」は嘘であったということ裏付けてしまったということを私は明らかにした。それは、書簡下書「252c」と「不2・不4・不6」は基本的には全く関係ないということがわかったからである。言い換えれば、新たな疑惑が発生したとも言えるし、そこにはかなりの混乱もある。

 そこで話を整理するために、ここで一度振り返ってみよう。

 まずは簡潔に言えば、『旧校本』は書簡下書「252c」を「新発見」と嘯き、今度は『新校本』が書簡下書「252c」はあたかも「不2・不4・不6」から構成されているように「誤魔化した」、つまり、前者では読者に「嘯き」、後者では読者を「騙している」と受け取られかねない行為を『校本全集』はしてしまった。

 そこで、まず今迄に明らかになった次の事柄を確認しよう。
⑴ 『校本第十四巻』はセンセーショナルに、新発見の書簡下書「252c」と言っていたが新発見などではなかった(これは、堀尾や、天沢氏の発言から導かれる<*1>)。
⑵ そして同巻は、書簡下書「252c」は「本文としたものは、内容的に高瀬あてであることが判然としている」と断定しているが、その根拠等は何ら明示できていない。
⑶ また、この「断定」を基にして、従前からその存在が知られていた「不5」を含む宛名不明の下書「不2」「不4」等の一連の書簡下書群約23通を〝昭和四年〔日付不明 高瀬露あて〕下書〟として一括りにした。
⑷ なぜ年次が「昭和四年」なのかというと、同巻は、
 252cが四年十二月のものとみられるので、252a~252cはすべて四年末頃のものと推定し  〈同29p〉
たと述べている。

 次に、もう少し詳しく述べれば、『本統の賢治と本当の露』でも明らかにしたように、
 これら一連の書簡下書群の最もベースとなる肝心の書簡下書252cについて、同巻は「本文としたものは、内容的に高瀬あてであることが判然としている」と断定してはいるものの、その根拠が何ら明示されていない。また、その裏付けがあるということも、検証した結果だということも付言していない。したがって「判然としているが」といくら述べられても、読者にとっては、「客観的に見て判然としていない」ことだけがせいぜい判然としているだけだ。そしてそのような書簡下書252cを基にして、さらに推定を重ねた(推定を重ねれば重ねるほど当然確かさはどんどん減る)りしたものが一連の書簡下書群約23通である。確たるものは殆どない。あくまでも「昭和4年の露宛と推定される」賢治書簡下書群でしかない。
 にもかかわらず同巻はさらに推定を重ね、
…推定は困難であるが、この頃の高瀬との書簡の往復をたどると、次のようにでもなろうか。
⑴、高瀬より来信(高瀬が法華を信仰していること、賢治に会いたいこと、を伝える)…(筆者略)…
⑶、高瀬より来信(…(筆者略)…暗に賢治に対する想いが断ちきれないこと、望まぬ相手と結婚するよりは独身でいたいことをも告げる)…(筆者略)…
⑸、賢治より発信(下書も現存せず。いろいろの理由をあげて、賢治自身が「やくざな者」で高瀬と結婚するには不適格であるとして、求愛を拒む)              (傍点筆者)〈同28p~〉
と、続けて⑹、⑺の「推定」も書き連ねている(はしなくも「次のようにでもなろうか」というレベルのものを、『校本宮澤賢治全集』において活字にして公にしたことは如何なものか)。そしてこの「推定」⑴~⑺は、高瀬露がそれまでの信仰を変えて法華信者になってまでして賢治に想いを寄せ、一方賢治はそれを拒むという内容になっている。それ故、この「推定」を読んだ人達は、そこまでもして賢治に取り入ろうとしていた露はきわめて好ましくない女性である、という印象を当然持ってしまったであろう。
 しかもこのような「推定」等を大手の出版社が公にすれば世の常で、同巻の出版時点ではあくまでも推定であったはずのこれらの書簡下書群がいつのまにか断定調の「昭和4年露宛賢治書簡下書」に変身したり、はては「下書」の文言がどこかへ吹っ飛んでしまって「昭和4年露宛賢治書簡」となったりして、独り歩きして行くであろう。そして同様に、「推定」⑴~⑺の内容も、延いては、「露は賢治にとってきわめて好ましくない女性であった」ということなどはとりわけ独り歩きしてしまうことを、私は懸念する。
 もちろん、このようなことを懸念しているのは私独りのみならず、例えば、tsumekusa氏が管理するブログ〝「猫の事務所」調査書〟も、平成17年に既に同様な事柄を指摘しているところである。また、米田利昭も、
   ひょっとするとこの手紙の相手は、高瀬としたのは全集の誤りで、別の女性か。
と、『宮沢賢治の手紙』(米田利昭著、大修館書店、平成7年)の223pにおいて疑問を呈している。
 そして実際、少なからぬ賢治研究家の論考等において、自身では裏付けを取ることも検証することもないままに、まさに断定調の「昭和4年露宛賢治書簡下書」を再生産をしているようにしか見えない論考等を私はしばしば目にする。確実に、「推定」が「断定」に変貌して独り歩きしているのである。
            〈『本統の賢治と本当の露』(鈴木守著、ツーワンライフ出版)130p~〉
 畢竟、
 252cを含む一連の書簡下書群約23通には、確たるものは殆どない。あくまでも「昭和4年の露宛と推定される」賢治書簡下書群でしかない。
のである。

<*1:註> 『本統の賢治と本当の露』における次の記述をご覧いただきたい。 
 一方で唖然としてしまったのが、「旧校本年譜」の担当者である堀尾青史が、
 そうなんです。年譜では出しにくい。今回は高瀬露さん宛ての手紙が出ました。ご当人が生きていられた間はご迷惑がかかるかもしれないということもありましたが、もう亡くなられたのでね。 〈『國文學 宮沢賢治2月号』(學燈社、昭和53年)177p〉
と境忠一との対談で語っていたことであり、天沢退二郞氏も、
 おそらく昭和四年末のものとして組み入れられている高瀬露あての252a、252b、252cの三通および252cの下書とみられるもの十五点は、校本全集第十四巻で初めて活字化された。これは、高瀬の存命中その私的事情を慮って公表を憚られていたものである。〈『新修 宮沢賢治全集 第十六巻』(筑摩書房)415p〉
と述べていたことである。
 当然これらのことから、何のことはない、『校本全集第十四巻』が「新発見の」と華々しく銘打った書簡下書252b及び252cではあったのだが、実は露の帰天を待って「新発見の」と嘯いて同巻は公にしたものであって「新発見」でも何でもなかった、という可能性があるということがおのずから導かれるからだ。だから中には、同巻は「死人に口なし」を悪用した、と詰る人だってあるかもしれない。
            〈『本統の賢治と本当の露』(鈴木守著、ツーワンライフ出版)132p~〉
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 賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』

             〈平成30年6月28日付『岩手日報』一面〉
を先頃出版いたしましたのでご案内申し上げます。
 その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました
 そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
 現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
 あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813

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