《早池峰薄雪草》(平成23年7月11日撮影)
さて、「違っているじゃないか!」と気付いたのは何か。それは、前回引用した『新校本宮澤賢治全集第十五巻 書簡 本文篇』(筑摩書房)の「昭和四年分」に所収されている次の書簡下書「252c」、
252c (不2・不4・不6)〔日付不明 小笠原露あて〕下書
重ねてのお手紙拝見いたしました。独身主義をおやめになったとのお詞は勿論のことです。主義などといふから悪いですな。あの節とても協会の犠牲になっていろいろ話の違ふとこへ出かけなければならんといふ時でしたからそれよりは独身でも〔明る〕くといふ次第で事実非常に特別な条件(私の場合は環境即ち肺病、中風、質屋など、及び弱さ、)がなければとてもいけないやうです。一つ充分にご選 択になって、それから前の婚約のお方に完全な諒解をお求めになってご結婚なさいまし。どんな事があっても信仰は断じてお棄てにならぬやうに。いまに〔数字分空白〕科学がわれわれの信仰に届いて来ます。もひとつはより低い段階の信仰に陥らないことです。いま欧羅巴が印度仕込みのそれで苦しんでゐるやうです。さて音楽のすきなものがそれのできる人と詩をつくるものがそれを好む人と遊んでゐたいことは万々なのですがあなたにしろわたくしにしろいまはそんなことをしてゐられません。あゝいふ手紙は(よくお読みなさい)私の勝手でだけ書いたものではありません。前の手紙はあなたが外にお出でになるとき悪口のあった私との潔白をお示しになれ る為に書いたもので、あとのは正直に申しあげれば(この手紙を破ってください)あなたがまだどこかに私みたいなやくざな者をあてにして前途を誤ると思ったからです。あなたが根子へ二度目におい でになったとき私が「もし私が今の条件で一身を投げ出してゐるのでなかったらあなたと結婚したかも知れないけれども、」と申しあ げたのが重々私の無考でした。あれはあなたが続けて三日手紙を(清澄な内容ながら)およこしになったので、これはこのまゝでは だんだん間違ひになるからいまのうちにはっきり申し上げで置かうと思ってしかも私の女々しい遠慮からあゝいふ修飾したことを云ってしまったのです。その前后に申しあげた話をお考へください。今度あの手紙を差しあげた一番の理由はあなたが夏から三べんも写真をおよこしになったことです。あゝいふことは絶対なすってはいけません。もっとついでですからどんどん申しあげませう。あなたは私を遠くからひどく買ひ被っておいでに
〈『新校本宮澤賢治全集第十五巻 書簡 本文篇』(筑摩書房)、1995年(平成7年)〉重ねてのお手紙拝見いたしました。独身主義をおやめになったとのお詞は勿論のことです。主義などといふから悪いですな。あの節とても協会の犠牲になっていろいろ話の違ふとこへ出かけなければならんといふ時でしたからそれよりは独身でも〔明る〕くといふ次第で事実非常に特別な条件(私の場合は環境即ち肺病、中風、質屋など、及び弱さ、)がなければとてもいけないやうです。一つ充分にご選 択になって、それから前の婚約のお方に完全な諒解をお求めになってご結婚なさいまし。どんな事があっても信仰は断じてお棄てにならぬやうに。いまに〔数字分空白〕科学がわれわれの信仰に届いて来ます。もひとつはより低い段階の信仰に陥らないことです。いま欧羅巴が印度仕込みのそれで苦しんでゐるやうです。さて音楽のすきなものがそれのできる人と詩をつくるものがそれを好む人と遊んでゐたいことは万々なのですがあなたにしろわたくしにしろいまはそんなことをしてゐられません。あゝいふ手紙は(よくお読みなさい)私の勝手でだけ書いたものではありません。前の手紙はあなたが外にお出でになるとき悪口のあった私との潔白をお示しになれ る為に書いたもので、あとのは正直に申しあげれば(この手紙を破ってください)あなたがまだどこかに私みたいなやくざな者をあてにして前途を誤ると思ったからです。あなたが根子へ二度目におい でになったとき私が「もし私が今の条件で一身を投げ出してゐるのでなかったらあなたと結婚したかも知れないけれども、」と申しあ げたのが重々私の無考でした。あれはあなたが続けて三日手紙を(清澄な内容ながら)およこしになったので、これはこのまゝでは だんだん間違ひになるからいまのうちにはっきり申し上げで置かうと思ってしかも私の女々しい遠慮からあゝいふ修飾したことを云ってしまったのです。その前后に申しあげた話をお考へください。今度あの手紙を差しあげた一番の理由はあなたが夏から三べんも写真をおよこしになったことです。あゝいふことは絶対なすってはいけません。もっとついでですからどんどん申しあげませう。あなたは私を遠くからひどく買ひ被っておいでに
と、『校本宮澤賢治全集第十四巻』(筑摩書房)に所収されている同じ書簡番号の「252c」の記述の仕方が違うことにである。ちなみに、『十四巻』では次のようになっている。
252c 〔日付不明高瀬露あて〕下書
重ねてのお手紙拝見いたしました。独身主義をおやめになったとのお詞は勿論のことです。主義などといふから悪いですな。あの節とても協会の犠牲になっていろいろ話の違ふとこへ出かけなければならんといふ時でしたからそれよりは独身でも〔明る〕くといふ次第で事実非常に特別な条件(私の場合は環境即ち肺病、中風、質屋など、及び弱さ、)がなければとてもいけないやうです。一つ充分にご選 択になって、それから前の婚約のお方に完全な諒解をお求めになってご結婚なさいまし。どんな事があっても信仰は断じてお棄てにならぬやうに。いまに〔数字分空白〕科学がわれわれの信仰に届いて来ます。もひとつはより低い段階の信仰に陥らないことです。いま欧羅巴が印度仕込みのそれで苦しんでゐるやうです。さて音楽のすきなものがそれのできる人と詩をつくるものがそれを好む人と遊んでゐたいことは万々なのですがあなたにしろわたくしにしろいまはそんなことをしてゐられません。あゝいふ手紙は(よくお読みなさい)私の勝手でだけ書いたものではありません。前の手紙はあなたが外にお出でになるとき悪口のあった私との潔白をお示しになれ る為に書いたもので、あとのは正直に申しあげれば(この手紙を破ってください)あなたがまだどこかに私みたいなやくざな者をあてにして前途を誤ると思ったからです。あなたが根子へ二度目におい でになったとき私が「もし私が今の条件で一身を投げ出してゐるのでなかったらあなたと結婚したかも知れないけれども、」と申しあ げたのが重々私の無考でした。あれはあなたが続けて三日手紙を(清澄な内容ながら)およこしになったので、これはこのまゝでは だんだん間違ひになるからいまのうちにはっきり申し上げで置かうと思ってしかも私の女々しい遠慮からあゝいふ修飾したことを云ってしまったのです。その前后に申しあげた話をお考へください。今度あの手紙を差しあげた一番の理由はあなたが夏から三べんも写真をおよこしになったことです。あゝいふことは絶対なすってはいけません。もっとついでですからどんどん申しあげませう。あなたは私を遠くからひどく買ひ被っておいでに
〈『校本宮澤賢治全集第十四巻』(筑摩書房)昭和52年(1977年)〉重ねてのお手紙拝見いたしました。独身主義をおやめになったとのお詞は勿論のことです。主義などといふから悪いですな。あの節とても協会の犠牲になっていろいろ話の違ふとこへ出かけなければならんといふ時でしたからそれよりは独身でも〔明る〕くといふ次第で事実非常に特別な条件(私の場合は環境即ち肺病、中風、質屋など、及び弱さ、)がなければとてもいけないやうです。一つ充分にご選 択になって、それから前の婚約のお方に完全な諒解をお求めになってご結婚なさいまし。どんな事があっても信仰は断じてお棄てにならぬやうに。いまに〔数字分空白〕科学がわれわれの信仰に届いて来ます。もひとつはより低い段階の信仰に陥らないことです。いま欧羅巴が印度仕込みのそれで苦しんでゐるやうです。さて音楽のすきなものがそれのできる人と詩をつくるものがそれを好む人と遊んでゐたいことは万々なのですがあなたにしろわたくしにしろいまはそんなことをしてゐられません。あゝいふ手紙は(よくお読みなさい)私の勝手でだけ書いたものではありません。前の手紙はあなたが外にお出でになるとき悪口のあった私との潔白をお示しになれ る為に書いたもので、あとのは正直に申しあげれば(この手紙を破ってください)あなたがまだどこかに私みたいなやくざな者をあてにして前途を誤ると思ったからです。あなたが根子へ二度目におい でになったとき私が「もし私が今の条件で一身を投げ出してゐるのでなかったらあなたと結婚したかも知れないけれども、」と申しあ げたのが重々私の無考でした。あれはあなたが続けて三日手紙を(清澄な内容ながら)およこしになったので、これはこのまゝでは だんだん間違ひになるからいまのうちにはっきり申し上げで置かうと思ってしかも私の女々しい遠慮からあゝいふ修飾したことを云ってしまったのです。その前后に申しあげた話をお考へください。今度あの手紙を差しあげた一番の理由はあなたが夏から三べんも写真をおよこしになったことです。あゝいふことは絶対なすってはいけません。もっとついでですからどんどん申しあげませう。あなたは私を遠くからひどく買ひ被っておいでに
つまり、一見些細な附記、
(不2・不4・不6)
という記述のあるなしにだった。
すると当然、前者におけるこの「(不2・不4・不6)」の意味するところは、
252c=不2+不4+不6
ということであるから、このことによっていろいろなことが露わになってくるのだった(なお、高瀬露は結婚して小笠原露になったので、姓の違いは問題はなし)。
まずその第一が、昭和52年発行の『校本宮澤賢治全集第十四巻』は28pに唐突に、
新発見の書簡252c(その下書群をも含む)とかなり関連があるとみられるので
と断定的に、しかもさらりとこの書簡は「新発見」としておきながら、その18年後に出版された当該の書簡下書には、新たに「(不2・不4・不6)」という附記がなされているから、実はその「新発見の書簡252c」は嘘だったということを、つまり、「新発見」などではなかったということをはしなくもその附記は教えてくれるのだった。なぜならば、これらの「(不2・不4・不6)」は昭和49年に出版された『校本全集第十三巻』で既に知られていたものだからだ。
そしてこのことは、既に私が『本統の賢治と本当の露』等において、
一方で唖然としてしまったのが、「旧校本年譜」の担当者である堀尾青史が、
当然これらのことから、何のことはない、『校本全集第十四巻』が「新発見の」と華々しく銘打った書簡下書252b及び252cではあったのだが、実は露の帰天を待って「新発見の」と嘯いて同巻は公にしたものであって「新発見」でも何でもなかった、という可能性があるということがおのずから導かれるからだ。
〈『本統の賢治と本当の露』(鈴木守著、ツーワンライフ出版)132p~〉 そうなんです。年譜では出しにくい。今回は高瀬露さん宛ての手紙が出ました。ご当人が生きていられた間はご迷惑がかかるかもしれないということもありましたが、もう亡くなられたのでね。 〈『國文學 宮沢賢治2月号』(學燈社、昭和53年)177p〉
と境忠一との対談で語っていたことであり、天沢退二郞氏も、 おそらく昭和四年末のものとして組み入れられている高瀬露あての252a、252b、252cの三通および252cの下書とみられるもの十五点は、校本全集第十四巻で初めて活字化された。これは、高瀬の存命中その私的事情を慮って公表を憚られていたものである。〈『新修 宮沢賢治全集 第十六巻』(筑摩書房)415p〉
と述べていたことである。当然これらのことから、何のことはない、『校本全集第十四巻』が「新発見の」と華々しく銘打った書簡下書252b及び252cではあったのだが、実は露の帰天を待って「新発見の」と嘯いて同巻は公にしたものであって「新発見」でも何でもなかった、という可能性があるということがおのずから導かれるからだ。
と指摘しておいたところだが、『新校本宮澤賢治全集第十五巻 書簡 本文篇』において新たに付けられた「(不2・不4・不6)」という附記がはしなくも、私のこの指摘が間違っていなかったということを教えてくれているのである。
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賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』
〈平成30年6月28日付『岩手日報』一面〉
を先頃出版いたしましたのでご案内申し上げます。
その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました。
そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
電話 0198-24-9813
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