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《早池峰薄雪草》(平成23年7月11日撮影)
では、かなり混乱しているようだから、もう少し整理してみたい。そのために、「252c」関連書簡下書群についての『新・旧校本』の対応を調べてみた。
まず、次の《表1》を作った。
《表1 高瀬(小笠原)露あてと推定されると言っている書簡下書 <旧→新> 対応表》
左側が『旧校本第十三巻』に載っていた〔日付宛名不明〕の書簡下書であり、その右側が、『新校本第十五巻 書簡』ではそれぞれどう対応しているかという表である。
・不2 =252c下書(四)前半
・不4 =252c下書(四)後半
・不5 =252a
・不5 下書(一)=252a下書(二)
・不5 下書(二)=252a下書(三)
・不5 下書(三)=252a下書(四)
・不5 下書(四)=252a下書(五)
・不5 下書(五)=252a下書(六)
・不6 =252c下書(十六)
・不6 下書(一)=252c下書(五)
・不6 下書(二)=252c下書(六)
・不6 下書(三)=252c下書(七)
・不6 下書(四)=252c下書(八)
・不6 下書(五)=252c下書(九)
・不6 下書(六)=252c下書(十)
・不6 下書(七)=252c下書(十一)
・不6 下書(八)=252c下書(十二)
・不6 下書(九)=252c下書(十三)
・不6 下書(十)=252c下書(十四)
・不6 下書(十一)=252c下書(十五)
・不4 =252c下書(四)後半
・不5 =252a
・不5 下書(一)=252a下書(二)
・不5 下書(二)=252a下書(三)
・不5 下書(三)=252a下書(四)
・不5 下書(四)=252a下書(五)
・不5 下書(五)=252a下書(六)
・不6 =252c下書(十六)
・不6 下書(一)=252c下書(五)
・不6 下書(二)=252c下書(六)
・不6 下書(三)=252c下書(七)
・不6 下書(四)=252c下書(八)
・不6 下書(五)=252c下書(九)
・不6 下書(六)=252c下書(十)
・不6 下書(七)=252c下書(十一)
・不6 下書(八)=252c下書(十二)
・不6 下書(九)=252c下書(十三)
・不6 下書(十)=252c下書(十四)
・不6 下書(十一)=252c下書(十五)
したがって、従前の〝不2、不4、不5、不6〟はいずれも『新校本全集』では、
〔昭和4年〕〔日付不明 高瀬(小笠原)あて〕と推定されると言っている〟書簡下書
となっているということがわかった。
次に、これを逆に対応させた《表2》を作った。
《表2 高瀬(小笠原)露あてと推定されると言っている書簡下書 <新←旧> 対応表》
左側が、『新校本第十五巻 書簡』において、〝〔昭和4年〕〔日付不明 高瀬(小笠原)あて〕と推定されると言っている〟書簡下書であり、その右側が『旧校本第十三巻』に載っていた対応する書簡下書の表である。
( 1) 252a =不5
( 2) 252a下書(二) =不5 下書(一)
( 3) 252a下書(三) =不5 下書(二)
( 4) 252a下書(四) =不5 下書(三)
( 5) 252a下書(五) =不5 下書(四)
( 6) 252a下書(六) =不5 下書(五)
( 7) 252b
( 8) 252c
( 9) 252c下書(二)
(10) 252c下書(三)
(11) 252c下書(四)=不2+不4
(12) 252c下書(五)=不6 下書(一)
(13) 252c下書(六)=不6 下書(二)
(14) 252c下書(七)=不6 下書(三)
(15) 252c下書(八)=不6 下書(四)
(16) 252c下書(九)=不6 下書(五)
(17) 252c下書(十)=不6 下書(六)
(18) 252c下書(十一) =不6 下書(七)
(19) 252c下書(十二) =不6 下書(八)
(20) 252c下書(十三) =不6 下書(九)
(21) 252c下書(十四) =不6 下書(十)
(22) 252c下書(十五) =不6 下書(十一)
(23) 252c下書(十六) =不6
( 2) 252a下書(二) =不5 下書(一)
( 3) 252a下書(三) =不5 下書(二)
( 4) 252a下書(四) =不5 下書(三)
( 5) 252a下書(五) =不5 下書(四)
( 6) 252a下書(六) =不5 下書(五)
( 7) 252b
( 8) 252c
( 9) 252c下書(二)
(10) 252c下書(三)
(11) 252c下書(四)=不2+不4
(12) 252c下書(五)=不6 下書(一)
(13) 252c下書(六)=不6 下書(二)
(14) 252c下書(七)=不6 下書(三)
(15) 252c下書(八)=不6 下書(四)
(16) 252c下書(九)=不6 下書(五)
(17) 252c下書(十)=不6 下書(六)
(18) 252c下書(十一) =不6 下書(七)
(19) 252c下書(十二) =不6 下書(八)
(20) 252c下書(十三) =不6 下書(九)
(21) 252c下書(十四) =不6 下書(十)
(22) 252c下書(十五) =不6 下書(十一)
(23) 252c下書(十六) =不6
したがって、『新校本第十五巻 書簡』所収の下書のうちで、『旧校本第十三巻』の対応のない(7)~(10)、つまり
252b、252c、252c下書(二)、252c下書(三)
が「新発見」と嘯いたものであったということになる。なお、これらは『旧校本第十四巻』においてはそれぞれ、
252b、252c、新発見の下書(一)、新発見の下書(二)
になっている。
したがって、現在〝〔昭和4年〕〔日付不明 高瀬露あて〕と推定されると言っている書簡下書〟は全部で23通、そのうち『旧校本第十四巻』において「新発見」と形容したのは上掲のこれら4通である。
つまり、
「旧校本年譜」の担当者である堀尾青史が、
〈『本統の賢治と本当の露』(鈴木守著、ツーワンライフ出版)132p~〉 そうなんです。年譜では出しにくい。今回は高瀬露さん宛ての手紙が出ました。ご当人が生きていられた間はご迷惑がかかるかもしれないということもありましたが、もう亡くなられたのでね。 〈『國文學 宮沢賢治2月号』(學燈社、昭和53年)177p〉
と境忠一との対談で語っていた…(投稿者略)…、天沢退二郞氏も、 おそらく昭和四年末のものとして組み入れられている高瀬露あての252a、252b、252cの三通および252cの下書とみられるもの十五点は、校本全集第十四巻で初めて活字化された。これは、高瀬の存命中その私的事情を慮って公表を憚られていたものである。〈『新修 宮沢賢治全集 第十六巻』(筑摩書房)415p〉
と述べていた…(投稿者略)…、実は露の帰天を待って「新発見の」と嘯いて同巻は公にしたものであって「新発見」でも何でもなかったというような「代物4通」である、と言えることがわかった。
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賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』
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〈平成30年6月28日付『岩手日報』一面〉
を先頃出版いたしましたのでご案内申し上げます。
その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました。
そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
電話 0198-24-9813
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