みちのくの山野草

みちのく花巻の野面から発信。

心身ともに病む賢治?

2019-01-28 10:00:00 | 賢師と賢治
《今はなき、外臺の大合歓木》(平成28年7月16日撮影)

 では今度は、当時の「思想統制」に関してであり、名須川は次のように論じていた。
    思想の統制が徹底化する
 昭和三年六月九日、治安維持法が緊急勅令で最高刑死刑、目的遂行罪の新設。七月五日には特別高等警察課が全国に設置され、八月三日には岩手の初代課長工藤慶一着任との新聞報道。
 賢治はこの六月、東京にて、

  ひかりかがやく青ぞらのした/労農党解散さる…(投稿者略)…/その結末がひどいのです/……。

と、詩「高架線」に詠む。
 思想統制と弾圧解散を受けた労農党、その稗和支部事務所の姿。そして旅から帰って村むらをまわる賢治、抑圧され心身ともに病む。
       〈『岩手の歴史と風土――岩手史学研究80号記念特集』(岩手史学会)491p〉

 たしかに名須川が「弾圧解散を受けた労農党」と述べているとおりであることが、以前の投稿〝3140 特高新設等〟に載せたように、『岩手日報』は「特高課長工藤慶一氏は三日午前九時着任したが」と報道しているし、これは、間近に迫った「陸軍特別大演習」とリンクしていることが、同じく同紙の、
特高課新設と大演習施行について縣警察部では警官の大移動を行ふ事となり四日午後四時三井警察部長は前日作製せる腹案について丸茂知事と協議し…その内警部補八人を新任として盛岡、花巻、日詰の各署に配置し…
という記事等から容易に理解できる。

 しかしその一方で、はたして名須川が、「旅から帰って村むらをまわる賢治」と言っていたとおりであったかどうかについては私は肯うことはできない。それは、この時の、つまり昭和3年6月の上京はについては、農繁期の故里花巻を離れて上京である。にもかかわらず、賢治は「伊豆大島行」を終えたというのにすぐには帰花せず、帝国図書館に通って、当面差し迫ったこととは思えぬ『BRITISHU FLORAL DECORATION』の原文抜粋筆写及び写真のスケッチを手間暇かけて行い、『MEMO FLORA手帳』を作っていた<*1>ということや、「浮世絵鑑賞」や観劇に出かけている賢治であったことなどを知ってしまったからである。のみならず、帰花後の賢治は伊藤七雄あて書簡(240)の下書(一)の中に、「こちらへは二十四日に帰りましたが、畑も庭も草ぼうぼうでおまけに少し眼を患ったりいたしましてしばらくぼんやりして居りました」としたためていることを知るとなおさらにである。そのあげく、賢治の詩〔澱った光の澱の底〕につて、『新校本年譜』等は「六月下旬〔推定〕<〔澱った光の澱の底〕> 」と推定しているから、帰花直後に賢治は「南は二子の沖積地から/飯豊 太田 湯口 宮の目/湯本と好地 八幡 矢沢とまはって」大車輪で稲作指導にかけずり回っていたと受け止めている人たちも多いようだが、このようなことがほぼできないことは実際に移動距離を調べてみれば容易にわかるからである。
 そしてそれはおのずから、当時の賢治は「抑圧され心身ともに病む」であったことが否定できないといことを逆に教えてくれる。またこの名須川の主張のみならず、この時の上京・滞京は「東京への逃避行」であったという佐藤竜一氏の説もあり、これらの二つは通底していることからも、たしかに賢治は当時かなり苦悩していたことは間違いなかろう。

<*1:註> 土岐 泰氏の論文「賢治の『MEMO FLORA手帳』解析」(『弘前・宮沢賢治研究会誌 第8号』(宮城一男編集、弘前・宮沢賢治研究会)所収)において詳しく論じられている。

 続きへ
前へ 
 ”「八重樫賢師と宮澤賢治」の目次”へ。
 ”みちのくの山野草”のトップに戻る。

 賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』

             〈平成30年6月28日付『岩手日報』一面〉
を先頃出版いたしましたのでご案内申し上げます。
 その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました
 そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
 現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
 あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« イギリス海岸(1/25、残り) | トップ | 座談(示し合せて帰天するの... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

賢師と賢治」カテゴリの最新記事