みちのくの山野草

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解散命令の弾圧と労農党の混乱

2019-01-27 12:00:00 | 賢師と賢治
《今はなき、外臺の大合歓木》(平成28年7月16日撮影)

 では今度は「解散命令の弾圧と労農党の混乱」という項に移ろう。名須川はこう述べていた。
   解散命令の弾圧と労農党の混乱
 解散命令の弾圧により労農党は混乱していた、その状況を記録からみよう。

 …(投稿者略)…本県幹部の一人小館長右エ門の如きはこの共産系の囈語に浮かされ和賀稗貫方面の半可通と共に「十一月に革命を起こせ」等の騒ぎをなし爆弾の製造軍隊の教練をなすなどの宣伝をなし之をたしなむる者に対しては新党準備会本部の筆を籍りて以て「社会民主主義者、折衷主義」等の悪罵を以てす。…(投稿者略)…

 労農党県支部連合会の有力なるリーダーでもあった小館長右エ門の、解散命令を受けてからの状況を次のように記す。その後は社会運動からは引退し、政治姿勢も変わった。

  ㈩ 小館長右エ門、逃避し北海道に赴く
革命の陣頭に長剣を振るうべき気焔の小館長右エ門八月下旬突如姿を隠す。則無産運動引退を条件として父親より商業資本の出資を得て小樽に移住せしなり。故郷和賀郡二子村を離るゝに当たり、その同窓会に臨みて、落涙数行「我誤てり、今後無産運動を離れ、真の日本国民たらんとす」と懺悔せりと、本県の運動開始以来、斯くの如き醜態を以て逃避せる者無し。最も革命を煽動し、今尚熱心に運動を続くる主流に対してさえ、穏健、裏切り、日和見の悪罵を放ち乍ら小館はかくして春の雪の如く消え去りたり。(『無産運動史草稿』前掲)
           〈『岩手の歴史と風土――岩手史学研究80号記念特集』(岩手史学会)489p~〉
 たしかに、小館長右エ門も八重樫賢師も共に昭和3年10月の「陸軍特別大演習」を前に吹き荒れた凄まじい「アカ狩り」に見舞われて、共に8月頃に前者は小樽へ、後者は函館に奔ったということは知っていたが、小館に対してこのようなきびしい批判がなされていたということは知らなかった。

 しかし、これは先に岩手軽便鉄道労働組合の場合にも私は弁護したように、ちょっと厳しい見方ではなかろうか。それはその時に、賢治のことを引き合いに出したわけだが、それと同じ理由でだ。そしてそれは、大内秀明氏が、論文「労農派シンパの宮沢賢治」(『土着社会主義の水脈を求めて』所収)の中で、
 羅須地人協会と賢治の活動の真実に基づく実像を明らかにする上で、大変貴重な検証が行われたと評価したいと思います。とくに羅須地人協会の賢治が、ロシア革命によるコミンテルンの指導で、地下で再建された日本共産党に対抗して無産政党を目指した「労農派」の「有力なシンパ」だったこと。社会主義者川村や八重樫とレーニンのボルシェビズムなどを激しくを議論していたこと。そのため岩手で行われた「陸軍特別大演習」に際しての「アカ狩り」大弾圧を受ける危険性があり、そのため父母の計らいもあって、賢治は病気療養を理由に「自宅謹慎」していた。
 確かに「賢治年譜」には「不都合な真実」を曖昧にする意図が感じられます。もっと賢治の実像が明確になるように書くべきだったし、今日の時点では「真実」が書かれても、賢治にとって「不本意」なことだったにしても、さほど「不都合な真実」では無いように思われます。昭和三年といえば、有名な三・一五事件の大弾圧があった年だし、さらに盛岡や花巻で天皇の行幸啓による「陸軍特別大演習」が続き、官憲が予防検束で東北から根こそぎ危険分子を洗い出そうとしていた。そうした中で、賢治自身もそうでしょうし、それ以上に宮沢家や地元の周囲の人々もまた累が及ばぬように警戒するのは当然でしょう。事実、賢治と交友のあった上記の川村、八重樫の両名は犠牲になった。「嘘も方便」で、病気を理由に大弾圧の嵐を通り過ぎるのを、身を潜めて待つのも立派な生き方だと思います。
<『土着社会主義の水脈を求めて』(大内秀明・平山昇共著、社会評論社)302p~>
と論じているように、「賢治と交友のあった上記の川村、八重樫の両名は犠牲になった。「嘘も方便」で、病気を理由に大弾圧の嵐を通り過ぎるのを、身を潜めて待つのも立派な生き方だと思います」という見方を知り、私も成るほどと至極納得したのだった。
 一方で、小館がその圧力に屈して小樽に奔ったのも、賢治が下根子桜から撤退して謹慎したことも似たようなことであり、当時を生きていなかった私はとやかくいえる立場にはない。しかも、私もその立場にいたならばおそらくほぼ似たような選択をするであろうからなおさらにである。 
 それからそうそう、あの浅沼稲次郎でさえも、
 当時、早稲田警察の特高から「田舎へ帰っておとなしくしてなきゃ検束する」と言い渡されてしょんぼり故郷三宅島へ帰ったと、「私の履歴書」の中で述懐していた〈『浅沼稲次郎』(浅沼稲次郎著、日本図書センター)29p~〉
というのだから。

 さらに名須川は、
   労農党・社会運動への弾圧、凶暴化す
 岩手県内や盛岡ではますます弾圧が激しくなり凶暴化していった。…(投稿者略)…
 すでに半世紀以上も経ている現在でも、筆者(名須川)がこのような社会運動の調査や聴取をしている時に、「何かがあるたびに家族が取調を受けた」とか「家の周囲を見張られた」「尾行された」「危険人物と言われた」「そのことにふれたくない」「関係者に迷惑がかかる」などとして口を閉ざす、その恐怖と悲しみの表情からその人と家族の苦難の歴史を考えさせられる。…(投稿者略)…賢治が労農党・社会運動を支援し活動したことを、今でも秘密にしておくような動きさえも聴取している。
           〈『岩手の歴史と風土――岩手史学研究80号記念特集』(岩手史学会)490p~〉
ということも述べていた。私は名須川ほどは調査も聞き取りもしてはいないが、その私でさえも同様なことを幾ばくかは経験している。それは昨今でさえもである。

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 賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』

             〈平成30年6月28日付『岩手日報』一面〉
を先頃出版いたしましたのでご案内申し上げます。
 その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました
 そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
 現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
 あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813

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