みちのくの山野草

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座談(示し合せて帰天するのを待っていた?)

2019-01-28 12:00:00 | 濡れ衣を着せられた高瀬露
《『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲・鈴木守共著、友藍書房)の表紙》

 示し合せて帰天するのを待っていた?
荒木 それにしても不思議なんだが、どうして『校本全集第十四巻』はなぜ安易に「新発見」の「書簡下書」として公表してしまったのだろうか。
吉田 そもそも、それを「新発見」と銘打って『校本全集』に載せるのであれば、筑摩は他のもの以上にその反古を徹底して検証等せねばならなかったはずだ。そうそう、それこそ例の「マンドリン」の場合と全く同じように厳しく。
荒木 うん? それってどんな意味だっけ?
吉田 ほら前にも言った、鈴木がぼやいたやつ。千葉恭だけは他の人の証言がないからという理由で「宮澤賢治年譜」には載せられていないという、例のやつのことだよ。
鈴木 でも、「一人の証言だけとか、一つの資料だけとかに基づいて賢治の伝記研究をしてならない」という「賢治年譜」の姿勢は立派だと思うし、それは当然だと思う。
吉田 とはいえ、鈴木は自分が絡むから控えめに言っているだけのことで、「ならば、なぜ『同第十四巻』はそのような厳しい姿勢でこの〝一連の「書簡下書」〟に対しても臨まなかったのか!整合性に欠けるじゃないか」と内心頗る怒っているのだ。
荒木 えっ、そうなのか。
鈴木 いえいえとんでもないことでございます。
吉田 いや、僕自身も深刻に受けとめている。恣意的な証言や資料の使い分けはするなと言いたい。とりわけこの「新発見」の場合にはもっともっと厳然と対処すべきだったと。ところがそれも為さずに露が帰天するのを手ぐすね引いて待っていて、帰天したならば急遽『同第十四巻』の「補遺」に「新発見」と銘打って載せた。だからこんな中途半端なことになってしまったのだと揶揄されかねないことを僕は危惧している。
荒木 確かにそうだよ。しかも冷静に考えてみれば、仮に〝一連の「書簡下書」〟が正真正銘露宛であるとするならば、その中に記されている賢治のいくつかの言動は残念ながらとても褒められたものではなく、よりダメージを受るのは女性の方ではなく、遙かに男性の方であるという見方も当然あり得るしな。
鈴木 だから、もし仮に〝一連の「書簡下書」〟は賢治が本当に露に宛てて書いた際の反古だったとしても、露一人だけが悪者にされることは全くアンフェアなことであり、まさしく父政次郎の厳しい叱責どおりで、気の毒なことではあるがその全ての責めを負わねばならなくなるのは賢治の方である、ということになってしまう。ところがこのことに気付いているのかいないのか、賢治研究家の誰一人としてそこのところを指摘も批判もしていない。
吉田 まあそれも、〝一連の「書簡下書」〟が本当に露宛だったという仮定の下での話だけどな。
 とまれ、〝一連の「書簡下書」〟について筑摩書房は早急に徹底した検証作業を必ずやる義務と責任があるということだ。
鈴木 そう、それだけは最低限是非やって貰いたい。
 では次は昭和5年だ。これが難題なんだよな。
荒木 えっ、そうなのか。ところでどうした吉田、何か言いたそうだな?
吉田 実はそうなんだ、言おうか言うまいか迷っているんだ。
荒木 ならばはっきり言えよ。お前らしくもない。
吉田 そうだな、そろそろ次へ移るということなのでやはりここで白状しておくか。実は、「こと」の真相を宮澤賢治研究の大御所の一人が明らかにしてるんだ。
荒木 それは誰だよ。
吉田 その人に迷惑がかかるとまずいと思って今まで二人には黙っていたのだが…。え~と鈴木、その『新修 宮沢賢治全集 第十六巻』を見せてくれ。その中にほら、
 おそらく昭和四年末のものとして組み入れられている高瀬露あての252a、252b、252cの三通および252cの下書とみられるもの十五点は、校本全集第十四巻で初めて活字化された。これは、高瀬の存命中その私的事情を慮って公表を憚られていたものである。高瀬露は、昭和二年夏頃、羅須地人協会を頻繁に訪れ、賢治は誤解をおそれて「先生はあの人の来ないようにするためにずいぶん苦労された」(高橋慶吾談)という態度をとりつづけた。公表されたこれらの書簡は、賢治の苦渋と誠実さをつよく印象づけるのみならず、相手の女性のイメージをも、これまでの風評伝説の類から救い出しているように思われる。高瀬はのち幸福な結婚をした。<『新修 宮沢賢治全集 第十六巻』(筑摩書房)415pより>
とあるだろ。
荒木 じゃじゃじゃ、「救い出している」だって。そんな見方などできるわけねえべ、実態はその真逆だ。誰がそんなことを言ってるんだ。
吉田 それは僕の口からは言えない。ここを見てくれ。
荒木 えっ、大御所の彼がこんなことを言ってるのか。
鈴木 まずい、そこにそんなことが書いてあるなんて気付いていなかった。それにしても、愕然とするな。でもこの大御所がこうまで言っていたというのであればこれでその真相は確定だな。皆が示し合せて露が帰天するのを手ぐすね引いて待っていた、ということなのかやっぱり。
荒木 ひでぇ、皆がぐるになって露が死ぬのを待っていたのか。ということは、実は始めっから書簡下書「252c」などを隠し持っていたってわけだ。そして、露が亡くなったならばしれっとして「新発見」と嘯いていたのか。やり方が汚い!
鈴木 そうか、これが「新発見」の意味であり、「新発見」は筑摩の方便だったのか。卑怯だ!
吉田 そう来るだろうと思っていたから言わない方がいいかなと思っていたのだが……正直、白状してほっとした。
 それから、そこには大きな問題がもう一つある。露が帰天するのを待っていて、実際、露が亡くなったらあのように「新発見」と銘打って公にしたわけだが、あれだけ杜撰な状態で発表したのだから、隠し持っていたそれらを事前に真面目に検証などしていなかったということが自ずから導かれるからだ。
鈴木 検証や裏付けを取ろうという気持ちと意志があればいくらでもそのための時間と機会はあったのに、それを為さなかったという大問題があったということか。
荒木 ということは、やはり誰かの思惑と下心があってしかも周りの多くの人がその彼に引きずられたということだべ。
吉田 いやあ、それは憶測になるので僕から何とも…。

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 賢治の甥の教え子である著者が、本当の宮澤賢治を私たちの手に取り戻したいと願って、賢治の真実を明らかにした『本統の賢治と本当の露』

             〈平成30年6月28日付『岩手日報』一面〉
を先頃出版いたしましたのでご案内申し上げます。
 その約一ヶ月後に、著者の実名「鈴木守」が使われている、個人攻撃ともとれそうな内容の「賢治学会代表理事名の文書」が全学会員に送付されました
 そこで、本当の賢治が明らかにされてしまったので賢治学会は困ってしまい、慌ててこのようなことをしたのではないか、と今話題になっている本です。
 現在、岩手県内の書店での店頭販売やアマゾン等でネット販売がなされおりますのでどうぞお買い求め下さい。
 あるいは、葉書か電話にて、『本統の賢治と本当の露』を入手したい旨のお申し込みを下記宛にしていただければ、まず本書を郵送いたします。到着後、その代金分として1,620円(本体価格1,500円+税120円、送料無料)分の郵便切手をお送り下さい。
      〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木守
               電話 0198-24-9813

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