みちのくの山野草

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3140 特高新設等

2013-03-13 08:00:00 | 羅須地人協会の終焉
 特高は昭和3年の7月に新設されたようだが、岩手の場合にはその設置の狙いは陸軍特別大演習と密接につながっていたようだ。
 その当時の岩手県における徹底した取り締まりや弾圧に関する報道は『岩手日報』紙上では見ることが出来なかったが、関連する以下のような幾つかの報道はあった。
○8月2日、顔写真入りで 
 特高課長着任 
 特高課長工藤慶一氏は三日午前九時着任したが…
○8月5日
 警官大移動けふ正午発表
 特高課新設と大演習施行について縣警察部では警官の大移動を行ふ事となり四日午後四時三井警察部長は前日作製せる腹案について丸茂知事と協議し…その内警部補八人を新任として盛岡、花巻、日詰の各署に配置し…
となっており、この〝盛岡、花巻、日詰〟とはまさしく10月の陸軍特別大演習の御野立が行われた場所であり、そこに特高を配置したようだ。そしてその彼らによって、盛岡では横田忠夫や小舘長右エ門が、日詰では平井直衛が、そして花巻では川村尚三や八重樫賢師が徹底的にマークされたということになり、結局は捕まったり、職を追われたり、北海道へ奔ったりしたという図式になりそうだ。
 この記事に従うならば、特高が実質スタートしたのが8月4日と言えそうだ。そして、この8月に平井直衛が盛中の教師の首を切られ、小舘長右ェ門が小樽に、八重樫賢師が函館に奔ったことを考えれば、この時期から一瀉千里に凄まじい取り締まり、「アカ狩り」が行われたと考えられる。
 となれば、賢治もまたマークされることを免れ得なかったのではなかろうか…。
○8月6日
 本縣警察部異動
 特高課新設及び大演習関係より五日正午異動を発表した
  休職岩手縣警部 伊藤信夫
復職を命ず
給六級俸
警察部特別高等課勤務を命ず
警察部保安課勤務を命ず…
○8月8日
 思想警察實施最初の全國特高課長会議
 きのうふから内務省會議室で開會
  内相のの訓示 …
○8月18日
 危険思想は結核菌のやうで何時這入るか判らぬ
 来盛した林前司法次官談…
○8月30日
 一方では、いわゆる〝一面〟を全面使ったマルクスの文字が躍っている次のような広告が載っていたりもする。

こういう時代であったということを初めて知った。
○8月31日
 一斉に襲つて福岡縣下の共産党員一掃さる
 寺島検事正総指揮の下六〇余名検挙す
○9月26日
 大本教講演會
 大本教講演會は二十四日午後七時から市内櫻城小學校で開かれたが聴衆はトルコ帽の信者を始め又軍市議、古川縣視學、梅津川口町長…市内名士の顔多く…かいつまんでいふところこの頃のやうに危険思想がやかましくなるのは疾うの昔に大本には解つてゐたこのまゝにしては置かれぬそれには動物のやうな心をとり去つて崇祖敬神の大本によらねばならぬ…
という記事が、トルコ帽を被った王仁三郎の写真入りで載っている。少しだけ大本教の位置付けも知ったような気がした。

 そして、当時の世情が少しだけ見えてきた。

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