みちのくの山野草

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「第三集」「農民詩」「10番稿」

2017-03-15 09:00:00 | 賢治作品について
 では、今回は「第三集」「農民詩」「10番稿」の三者の関係を少し探ってみたい。
 まずは「農民詩」についてだが、佐伯郁郎は「農民詩講話」(『家の光 昭和三年四月号』所収)において、
 農民文学は已に述べたやうに、農民の生活意志の探求であり、限りなき表現である。それ故に此の意味では、当然農民文学は農民の手になるべきで、従つて、農民の詩も農民が作者であるべき筈であるが、凡て文学は生活を意識し、これを批判的に把握するところにあるのであつて、その意味に於いては、過去に於いて、現在に於いて、或は未来に於いて何等かの形式に於いて、農民生活に関係を持つた人或は持つ人に於いても、その精神を理解し、同感し、農民の社会理想、要求、方向を感得し、表示するに於いては、農民と共にその作者たり得るものである。
というように「農民文学」とその作者について主張し、続けて
 農民文学の本質なり、精神なりを詩的表現形式をもって表現したものが「農民詩」である。
と「農民詩」を定義しているようなので、この定義に基づいて、巷間流布している、いわば現「春と修羅 第三集」に所収されている詩の中で「農民詩」と思われるものについては○印を付け、それに近いと思われるもの(以後「農事詩」と呼ぶことにする)については△印を、そのいずれでもないものには×印をそれぞれに付けてみる。併せて「10番稿」については⑩印も付けてみると、以下のようになる。

《現「春と修羅 第三集」69篇》
× 〈七〇六 村娘〉
△ 〈七〇九 春 〉
× 〈七一一 水汲み〉
× 〈七一四 疲労〉
×⑩ 〈七一五 〔道べの粗朶に〕〉
× 〈七一八 蛇踊〉
○ 〈七一八 井戸〉
× 〈七二六  風景〉
× 〈七二七 〔アカシヤの木の洋燈から〕〉
○ 〈七二八 〔驟雨はそそぎ〕〉
× 〈七三〇 〔おしまひは〕〉
○⑩ 〈七三〇ノ二 増水〉
○ 〈七三一 〔黄いろな花もさき〕〉
△ 〈七三三 休息〉
○ 〈七三四 〔青いけむりで唐黍を焼き〕〉
○⑩ 〈七三五 饗宴〉
× 〈七三六 〔濃い雲が二きれ〕〉
△⑩ 〈七三八 はるかな作業〉
× 〈七三九 〔霧がひどくて手が凍えるな〕〉
○⑩ 〈七四〇 秋〉
× 〈七四一 煙〉
○ 〈七四一 白菜畑 〉
× 〈七四二 圃道〉
△ 〈七四三 〔盗まれた白菜の根へ〕〉
× 〈一〇〇一 〔プラットフォームは眩ゆくさむく〕〉
× 〈一〇〇三 実験室小景〉
× 〈一〇〇五〔鈍い月あかりの雪の上に〕〉
× 〈一〇〇八 〔土も堀るだらう〕〉
× 〈一〇一二 〔甲助 今朝まだくらぁに〕〉
× 〈一〇一四 春〉
×⑩ 〈一〇一五 〔バケツがのぼって〕〉
○ 〈開墾〉
× 〈一〇一九 札幌市〉
×⑩ 〈一〇二二 〔一昨年四月来たときは〕〉
△⑩ 〈一〇二五 〔燕麦の種子をこぼせば〕〉
× 〈一〇二八 酒買船〉
△ 〈一〇三〇 春の雲に関するあいまいなる議論〉
× 〈一〇三二 〔あの大もののヨークシャ豚が〕〉
×⑩ 〈一〇三三 悪意〉
×⑩ 〈一〇三六 燕麦播き〉
△ 〈一〇三七 宅地〉
× 〈一〇三九 〔うすく濁った浅葱の水が〕〉
△ 〈一〇四〇 〔日に暈ができ〕〉
○⑩ 〈午〉
× 〈一〇四二 〔同心町の夜あけがた〕〉
× 〈一〇四三 市場帰り〉
○ 〈一〇四六 悍馬〉
○⑩ 〈一〇四八 〔レアカーを引きナイフをもって〕〉
× 〈一〇五三 〔おい けとばすな〕
○ 〈一〇五六 〔秘事念仏の大元締が〕〉
× 〈一〇五八 電車〉
○ 〈一〇五九 開墾地検察〉 
×⑩ 〈一〇六六 〔今日こそわたくしは〕〉
× 〈一〇六八 〔エレキや鳥がばしゃばしゃ翔べば〕〉
△ 〈一〇七二 県技師の雲に対するステートメント〉
× 〈一〇七五 囈語〉
× 〈一〇七六 囈語〉
×⑩ 〈一〇七七 金策〉
×⑩ 〈一〇七九 僚友〉
△ 〈一〇八〇 〔さわやかに刈られる蘆や〕〉
○⑩ 〈一〇八二 〔あすこの田はねえ〕〉
○⑩ 〈一〇二〇 野の師父〉
○⑩ 〈一〇二一 和風は河谷いっぱいに吹く〉
○⑩ 〈一〇八八 〔もうはたらくな〕〉
× 〈一〇八九 〔二時がこんなに暗いのは〕〉
△ 〈一〇九〇 〔何をやっても間に合はない〕〉
△⑩ 〈台地〉
○⑩ 〈停留所にてスヰトンを喫す〉
○ 穂孕期

 つまり私から見れば、「農民詩」は19篇、「農事詩」は12篇、計31篇あることが分かった。

《「農民詩」「農事詩」》
 次に、「農民詩」及び「農事詩」計31篇の中で「10番稿」はどれくらいの割合を占めているのだろうか。それらを抜き出してみると下表のようになる。
△ 〈七〇九 春 〉
○ 〈七一八 井戸〉
○ 〈七二八 〔驟雨はそそぎ〕〉
○⑩ 〈七三〇ノ二 増水〉
○ 〈七三一 〔黄いろな花もさき〕〉
△ 〈七三三 休息〉
○ 〈七三四 〔青いけむりで唐黍を焼き〕〉
○⑩ 〈七三五 饗宴〉
△⑩ 〈七三八 はるかな作業〉
○⑩ 〈七四〇 秋〉
○ 〈七四一 白菜畑 〉
△ 〈七四三 〔盗まれた白菜の根へ〕〉
△⑩ 〈一〇二五 〔燕麦の種子をこぼせば〕〉
△ 〈一〇三〇 春の雲に関するあいまいなる議論〉
△ 〈一〇三七 宅地〉
△ 〈一〇四〇 〔日に暈ができ〕〉
○⑩ 〈午〉
○ 〈一〇四六 悍馬〉
○⑩ 〈一〇四八 〔レアカーを引きナイフをもって〕〉
○ 〈一〇五六 〔秘事念仏の大元締が〕〉
○ 〈一〇五九 開墾地検察〉 
△ 〈一〇七二 県技師の雲に対するステートメント〉
△ 〈一〇八〇 〔さわやかに刈られる蘆や〕〉
○⑩ 〈一〇八二 〔あすこの田はねえ〕〉
○⑩ 〈一〇二〇 野の師父〉
○⑩ 〈一〇二一 和風は河谷いっぱいに吹く〉
○⑩ 〈〔一〇八八 もうはたらくな〕〉
△ 〈一〇九〇 〔何をやっても間に合はない〕〉
△⑩ 〈台地〉
○⑩ 〈停留所にてスヰトンを喫す〉
○  穂孕期

 したがって、この中に「10番稿」は13篇あることが分かった。となれば、
   (「10番稿」13篇)÷(「農民詩」19篇+「農事詩」12篇)=約41.9%
 ちなみに、現「第三集」69篇中、「10番稿」は21篇だから
   12÷69=約30.4%
となる。ところが、それが「農民詩」の中で考えれば
   (「10番稿」10篇)÷(「農民詩」19篇)=約52.6%
となるから、半数以上の割合であり、かなりの割合となっている。つまり、「農民詩」そのものが封印された傾向にあったと言えるだろう。

《「農民詩」について》
 では次に、「農民詩」19篇の中で「10番稿」にされたか否かで二つのグループ分けをしてみると以下のようになる。
【グループⅠ(「10番稿」所収)】
○⑩ 〈七三〇ノ二 増水〉
○⑩ 〈七三五 饗宴〉
○⑩ 〈七四〇 秋〉
○⑩ 〈午〉
○⑩ 〈一〇四八 〔レアカーを引きナイフをもって〕〉
○⑩ 〈一〇八二 〔あすこの田はねえ〕〉
○⑩ 〈一〇二〇 野の師父〉
○⑩ 〈一〇二一 和風は河谷いっぱいに吹く〉
○⑩ 〈〔一〇八八 もうはたらくな〕〉
○⑩ 〈停留所にてスヰトンを喫す〉
【グループⅡ(「10番稿」でない)】
○ 〈七一八 井戸〉
○ 〈七二八 〔驟雨はそそぎ〕〉
○ 〈七三一 〔黄いろな花もさき〕〉
○ 〈七三四 〔青いけむりで唐黍を焼き〕〉
○ 〈七四一 白菜畑 〉
○ 〈開墾〉
○ 〈一〇四六 悍馬〉
○ 〈一〇五六 〔秘事念仏の大元締が〕〉
○ 〈一〇五九 開墾地検察〉

 そこでこれらの詩を再度読み直してみる。すると、グループ別に比較してみると、「10番稿」とは冷笑や慢が詠み込まれている傾向のある詩稿群だと思っている私からすれば、「増水」は「10番稿」ではなく、〔秘事念仏の大元締が〕は「10番稿」 でなかろうかと思ったりもするものの、「農民詩」の場合でも、基本的には冷笑や慢が詠み込まれていれば「10番稿」に収められて【グループⅠ】に、そうでなければ「10番稿」にはされなかったので【グループⅡ】になったと言えるようだ。

《「農事詩」について》
 では次に、「農事詩」12篇の中で「10番稿」にされたか否かで二つのグループ分けをしてみると以下のようになる。

 これらの詩篇の場合には、少し読んでみたくらいでは「10番稿」に収められるか否かの明らかな基準を私にはみつけられなかったが、さりとていずれの詩篇も敢えて「10番稿」にせねばならぬものとは思えない(後で触れる〔甲助 今朝まだくらぁに〕と比べてみれば、それと同程度の軽さだからである)ものである。

《「農民詩」でも「農事詩」でもない詩篇について》
 では封印された「10番稿」の中で、「農民詩」でも「農事詩」でもなかったものを次に並べてみると以下のようになる。

 改めて読み直してみると、抽象的な〔バケツがのぼって〕以外の詩篇については封印したくなるのも分からない訳でもない。それはもちろん、これらの詩篇の場合には冷笑や慢が詠み込まれていると私には見えるからである。

《「農民詩」「農事詩」「10番稿」のいずれでもない》
 では最後に、現「第三集」所収の詩篇の中で、「農民詩」「農事詩」「10番稿」のいずれでもないことになる残った詩篇を並べてみると以下のようになる。
× 〈七〇六 村娘〉
× 〈七一一 水汲み〉
× 〈七一四 疲労〉
× 〈七一八 蛇踊〉
× 〈七二六  風景〉
× 〈七二七 〔アカシヤの木の洋燈から〕〉
× 〈七三〇 〔おしまひは〕〉
× 〈七三六 〔濃い雲が二きれ〕〉
× 〈七三九 〔霧がひどくて手が凍えるな〕〉
× 〈七四一 煙〉
× 〈七四二 圃道〉
× 〈一〇〇一 〔プラットフォームは眩ゆくさむく〕〉
× 〈一〇〇三 実験室小景〉
× 〈一〇〇五 〔鈍い月あかりの雪の上に〕〉
× 〈一〇〇八 〔土も堀るだらう〕〉
× 〈一〇一二 〔甲助 今朝まだくらぁに〕〉
× 〈一〇一四 春〉
× 〈一〇一九 札幌市〉
× 〈一〇二八 酒買船〉
× 〈一〇三二 〔あの大もののヨークシャ豚が〕〉
× 〈一〇三九 〔うすく濁った浅葱の水が〕〉
× 〈一〇四二 〔同心町の夜あけがた〕〉
× 〈一〇四三 市場帰り〉
× 〈一〇五三 〔おい けとばすな〕
× 〈一〇五八 電車〉
× 〈一〇六八 〔エレキや鳥がばしゃばしゃ翔べば〕〉
× 〈一〇七五 囈語〉
× 〈一〇七六 囈語〉
× 〈一〇八九 〔二時がこんなに暗いのは〕〉

 さて、ではこれらの詩篇の中で気になるものと言えば〔土も堀るだらう〕〔甲助 今朝まだくらぁに〕があり、これらは冷笑と慢が詠み込まれているので10番稿になりそうな気もするが、以前にも述べたように「10番稿」である〔もう二三べん〕でも人物「甲助」が登場しているのだが、これと比べれば〔甲助 今朝まだくらぁに〕における冷笑と慢の度合いは軽い。そして、〔土も堀るだらう〕の場合もその程度の軽さがある。

 したがって、今回のここまでの考察の結果言えることは
・現「第三集」において、冷笑や慢が詠みこまれていてしかもその程度の重いものが、賢治が封印した「10番稿」であった蓋然性が高い。
・「第三集」所収の「農民詩」は「10番稿」として封印された傾向があった。
・「農民詩」「農事詩」以外の「第三集」所収の詩篇の場合でも、「10番稿」に収められている詩篇には冷笑や慢が詠み込まれている傾向が強い。
ということである。

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