さて先に下表において、
下段の方の「10番稿」は、「冷笑と慢」だけが封印の主な理由であったわけではなく、他にももっと何らかの大きな理由があったのではなかろうかと私は述べた。
しかも【賢治下根子桜時代の詩創作数推移】は下表の通りだから、
<『新校本宮澤賢治全集第十六巻(下)・年譜篇』(筑摩書房)よりカウント>
もしそのような理由があったとすれば、特に昭和2年の夏に詠まれた「春と修羅 第三集」に収められた詩稿群の中にそれが見つかりそうだ。
なぜならば、昭和2年3月~8月迄は極めて旺盛だった賢治の詩の創作であったが、この8月頃を境としてしばらく途絶えたことが一目瞭然だからである。では、賢治はなぜ急激に創作意欲が萎えてしまったのだろうか。そこで、当該の詩篇
そしてそれ故に、あの「黒クロース表紙Eの力紙」に「疲労時及病中の心ここになき手記なり」と賢治はと書いて封印したのだと解釈すれば事の顚末が私にはすんなりと腑に落ちる。言い換えれば、これらの下段の詩稿の中で「10番稿」された詩篇には〝農民に対する冷笑や己の慢〟のみならず、賢治自身が精神的に相当参っていたことも封印の強い理由の一つだったということが否定できなくなってきた。
そして残りの〔あすこの田はねえ〕「野の師父」「和風は河谷いっぱいに吹く」については、もっと大きな理由があるのではなかろうかと私は直感していたが、それがすこしずつ確信に変わりつつある。
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◇『「羅須地人協会時代」再検証-「賢治研究」の更なる発展のために-』(定価 500円、税込み)
本書の購入をご希望なさる方がおられましたならば、葉書か電話にて下記にその旨をご連絡していただければまず本書を郵送いたします。到着後、その代金として500円(送料込)分の郵便切手をお送り下さい。
〒025-0068 岩手県花巻市下幅21-11 鈴木 守
電話 0198-24-9813
なお、本書は拙ブログ『宮澤賢治の里より』あるいは『みちのくの山野草』に所収の、
『「羅須地人協会時代」検証―常識でこそ見えてくる―』
のダイジェスト版です。さらに詳しく知りたい方は拙ブログにてご覧下さい。
また、『「羅須地人協会時代」検証―常識でこそ見えてくる―』はブログ上の出版ゆえ、紙媒体のものはございません。
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◇『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』(定価 500円、税込)
ご注文の仕方は上と同様です。
なお、こちらは『宮沢賢治イーハトーブ館』においても販売しております。
☆『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』 ☆『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲との共著) ★『「羅須地人協会時代」検証』(電子出版)
『羅須地人協会の真実―賢治昭和二年の上京―』、『宮澤賢治と高瀬露』のご注文につきましても上と同様ですが、こちらの場合はそれぞれ1,000円分(送料込)の郵便切手をお送り下さい。また、こちらも『宮沢賢治イーハトーブ館』において販売しております。
☆『賢治と一緒に暮らした男-千葉恭を尋ねて-』 ☆『羅須地人協会の真実-賢治昭和2年の上京-』 ☆『羅須地人協会の終焉-その真実-』
ただし、『賢治と一緒に暮らした男-千葉恭を尋ねて-』は在庫がございません。
下段の方の「10番稿」は、「冷笑と慢」だけが封印の主な理由であったわけではなく、他にももっと何らかの大きな理由があったのではなかろうかと私は述べた。
しかも【賢治下根子桜時代の詩創作数推移】は下表の通りだから、
<『新校本宮澤賢治全集第十六巻(下)・年譜篇』(筑摩書房)よりカウント>
もしそのような理由があったとすれば、特に昭和2年の夏に詠まれた「春と修羅 第三集」に収められた詩稿群の中にそれが見つかりそうだ。
なぜならば、昭和2年3月~8月迄は極めて旺盛だった賢治の詩の創作であったが、この8月頃を境としてしばらく途絶えたことが一目瞭然だからである。では、賢治はなぜ急激に創作意欲が萎えてしまったのだろうか。そこで、当該の詩篇
〈一〇七七 金策〉
〈一〇七九 僚友〉
〈一〇八〇 〔さわやかに刈られる蘆や〕〉
〈一〇八二 〔あすこの田はねえ〕〉
〈一〇二〇 野の師父〉
〈一〇二一 和風は河谷いっぱいに吹く〉
〈一〇八八 〔もうはたらくな〕〉
〈一〇八九 〔二時がこんなに暗いのは〕〉
〈一〇九〇 〔何をやっても間に合はない〕〉
を読み直してみる(ただし〈七三〇ノ二 増水 〔一九二七、八、一五、〕〉ということで日付は推定だから、この際は除く)と、「金策 」では僻み、「僚友」では疎外感、〔もうはたらくな〕では自暴自棄、〔二時がこんなに暗いのは〕では不安、〔何をやっても間に合はない〕では失意などがそれぞれの詩篇から感じられるので、この頃の賢治は精神的に相当参っていたのであろうということが推測される。したがって、これらの詩篇から窺える賢治の心中は、伊藤忠一に詫びた「殆んどあすこでははじめからおしまひまで病気(こころもからだも)みたいなもので」という厳しい自省とまさに即応してる。〈一〇七九 僚友〉
〈一〇八〇 〔さわやかに刈られる蘆や〕〉
〈一〇八二 〔あすこの田はねえ〕〉
〈一〇二〇 野の師父〉
〈一〇二一 和風は河谷いっぱいに吹く〉
〈一〇八八 〔もうはたらくな〕〉
〈一〇八九 〔二時がこんなに暗いのは〕〉
〈一〇九〇 〔何をやっても間に合はない〕〉
そしてそれ故に、あの「黒クロース表紙Eの力紙」に「疲労時及病中の心ここになき手記なり」と賢治はと書いて封印したのだと解釈すれば事の顚末が私にはすんなりと腑に落ちる。言い換えれば、これらの下段の詩稿の中で「10番稿」された詩篇には〝農民に対する冷笑や己の慢〟のみならず、賢治自身が精神的に相当参っていたことも封印の強い理由の一つだったということが否定できなくなってきた。
そして残りの〔あすこの田はねえ〕「野の師父」「和風は河谷いっぱいに吹く」については、もっと大きな理由があるのではなかろうかと私は直感していたが、それがすこしずつ確信に変わりつつある。
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☆『「涙ヲ流サナカッタ」賢治の悔い』 ☆『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲との共著) ★『「羅須地人協会時代」検証』(電子出版)
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