みちのくの山野草

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森の「下根子桜訪問」が虚構であったことの裏付け

2019-02-01 14:00:00 | 濡れ衣を着せられた高瀬露
《『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲・鈴木守共著、友藍書房)の表紙》

 〝当時森荘已池は脚気衝心で重篤だった〟の続きである。

 ところがこの♦昭和2年6月16日付『岩手日報』の記事以降、森の消息に関する記事はぷっつりと途絶えてしまう(見落としたのだろうか)。一方で、浦田敬三の「森荘已池年譜」における昭和2年8月以降の主な記載事項は以下のとおりである。
♦8月10日 (劇)愛欲を見る(岩手日報)
♦9月1日 (詩)枯れる(銅鑼 №12)
♦9月8日 農民劇指導原理(岩手日報)
♦10月7日 第一回素顔社(岩手日報)
♦10月13日 友へ送る(上)(岩手日報)
♦10月14日 友へ送る(下)(岩手日報)

 そこで、『岩手日報』の実際の記事をそれぞれについて見てみると、次ようなことなどがそこには載っていた。
♦8月10日付『岩手日報』
 「愛欲を見る」 森佐一
 確か、第一幕が終つた時と思ふ。小泉一郎氏と阿部康蔵氏から、何か、今夜の印象を、日報に書けと云はれた。…(筆者略)…友人たちよ自分はうそはつかない。ほんとうにいゝものだ。ぜひ見に行つてくれ。細評はいづれ後にして、で(ママ)ひ行きたまへとだけぜ(ママ)筆をおかう。
♦9月8日付『岩手日報』
 「農民劇指導原理」 森佐一
   序
 近頃、縣下でもぽつぽつ、農民劇に就いての聲が聞かれるやうになつた。時節柄、誠に御同慶の至りである。が、大抵、しつかりと問題の見通しがついてゐないやうである。過日、本紙に出た高橋剛君の文が、その人々の代表的な考え方だとすれば、吾が国農民運動の現段階の要求する農民劇とは餘程の距離があるやうである。
♦10月7日付『岩手日報』
 「第一回素顏社展の印象」 森佐一
 スケッチ板五六枚描き、皆割つて了つたといふ經歴より持ち合さない私が、素顏社展の印象記を書くのは隨分をこがましい。が私は照井莊助君のあの眞面目さと熱に對して、どうしても黙つてをられない氣持を持つてゐる。
♦10月13日付『岩手日報』
 「友へ送る―彼の詩集に就いて―(上)」 森佐一
 『銅鑼』同人坂本遼詩集『たんぽぽ』を紹介しよう。
 彼は土から、もくもくと踊り出た詩人である。坂本遼は兵庫縣の田舎にゐる。彼はまづしい百姓詩人である。口に筆に農民詩人を自稱しながら、文學靑年をあつめて東京にゐて、雜誌の編輯なんかばかりしてゐる奴等とは違ふ。
 作品を紹介しよう、『たんぽぽ』の中から
▲『春』と題する作品▼
 みつちやんと
 やつちやんは
 蓮花田のなかで
 まるまるをした。
   …(筆者略)…
 かつて私は山村暮鳥の詩集『雲』をみて涙を流したことがある。涙をもつて讀んだ詩集は、坂本の『たんぽぽ』と暮鳥の『雲』及び、宮澤賢治詩集『春と修羅』の中の、無聲慟哭とである。これらには一味通じた、虚無的な、無限の淋しさがある。殊に坂本のは、素朴である。姿が幼いので心に觸れるのである。
♦10月14日付『岩手日報』
 「友へ送る―彼の詩集に就いて―(下)」 森佐一
  (内容省略)
(終)
 以上が、昭和2年6月中旬~12月末日までの『岩手日報』の森関連の記事の全てである(と思われる)。したがって、この期間の森の病状や回復状況に関する情報は全く得られないが、少なくとも執筆活動等はできたようだということがわかる。

 さて、ではこれらのことを基にして少しく考察をしてみよう。まず8月10日付及び10月7日付『岩手日報』の記事についてだが、前者からは少なくとも森はこのとき実際に演劇「愛欲」を観に行っていたであろうことがわかるし、後者からは実際森がその展示会に行っていると判断できる。したがってこの頃になると、森は長期療養中の身とはいえ、多少は出歩けるほどの病状までには回復していたということになろう。
 次に、9月8日付『岩手日報』に寄稿している森の「農民劇指導原理」の文中の「過日、本紙に出た高橋剛君の文云々」という記述からは、病臥中の森は『岩手日報』にはしっかりと目を通していたであろうことが窺える。なぜならば、確かに約一ヶ月前の同紙には高橋剛の「農民劇に就いて」という連載記事が載っているからである。
 ところで、この9月8日付『岩手日報』に載った森の「農民劇指導原理」に関しては、その一ヶ月前の8月8日には山形の新庄から松田甚次郎がわざわざ下根子桜を訪ねて来て、初めて上演する農民劇について、賢治からは「色々とおさとしを受け、その題も『水涸れ』と命名して頂き、最高潮の処には篝火を加へて」もらったということがよく知られているから、もし森が「一九二七年の秋の日、私は下根子を訪ねた」とすれば、そのような話が森と賢治との間に交わされていた可能性が頗る高いはずだが、そのことはこの寄稿では全く触れられていない。
 さらには、10月13日、14日付『岩手日報』では、森は農民詩人・坂本遼の詩集『たんぽぽ』を激賞していることがわかる。そして、その批評の最後に賢治の名が出てきているが、もし森が「一九二七年の秋の日、私は下根子を訪ねた」とすれば、少なくとも二人の間でそのことに関して何らかのことを話題にしていたはずだ。とりわけ、当時の賢治は「農民詩」といってもいいような詩を沢山詠んでいた頃だからである。ところが「友へ送る―彼の詩集に就いて―(上)」でも「同(下)」でもそのことに関しては全く触れられていない。
 しかも、8月28日付『岩手日報』に載っている齋藤弘道の「「くぬぎ」第三號瞥見」にはその最後に「佐々木喜善氏、宮澤賢治氏は健在なりや」という記述があるから、当時『岩手日報』にはしっかりと目を通していたと判断できる森はこの記事を見逃すはずもなく、もし森が「一九二七年の秋の日」に下根子を訪ねたということであれば、日頃より賢治を敬愛していた森は、「いや賢治は健在なり」というようなことを一連の寄稿において必ずや触れていたはずだが、それがない。
 以上、もし森が病身を押して「一九二七年の秋の日」に下根子桜を訪ねたのであったということであれば、その時のことを森が他の寄稿と同様に『岩手日報』に寄せない訳はないと思われるが、そのような投稿は一つも見つからないし、一連の寄稿の中でさえもそのことに一言も言及していない。
 したがって、当時の『岩手日報』のこれらの記事から判断しても、この頃の森はまだまだ重篤であったがため、多少の外出はすることができてもそれはせいぜい盛岡近辺だけであり、そこからわざわざ花巻までやって来てしかも下根子桜で一泊できるようなところまでは回復していなかったようだ。
 やはり、森が「一九二七年の秋の日」に「下根子を訪ねたのであった」ということはまずあり得なかったのだ。言い換えれば、件の「下根子桜訪問」自体が虚構であったことのかなりの程度の裏付けが当時の『岩手日報』の新聞記事によっても取れた。

 よって、次の
    〈仮説〉森荘已池が「一九二七年の秋の日」に下根子を訪ねたとは言えない。
が改めて検証できたとも言える。おのずから、森荘已池の件の「下根子桜訪問」自体が虚構であったということを、当時の新聞報道によっても裏付けられたということになる。
 当然、次のことも伝聞や想像を駆使したフィクションであったとならざるを得ない。
 二階に音がした。しきりにガラス窓を開けている賢治を見た。彼は私に氣がつくと、ニコニコツと笑つた。…(投稿者略)…
「いま、とちゆうで会つたでしよう?」
といきなりきいた。
「ハア――」
と私が答え、あとは何もいわなかつた。少しの沈默があつた――。
「おんな臭くて、いかんですよ。」
 彼はそういうと、すつぱいように笑つた。彼女が残して行つた。(ママ)烈しい感情と香料と体臭とを北上川から吹き上げる風が吹き拂つて行つた。そして彼はやつと落ちついたらしかつた。
              <『宮澤賢治と三人の女性』(森荘已池著、人文書房)75p~>

 畢竟、森荘已池は昭和2年の秋の日に下根子桜を訪れたこともなかったし、ましてその際に露とすれちがったことも共になかった、ということになる。

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