みちのくの山野草

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当時森荘已池は脚気衝心で重篤だった

2019-02-01 10:00:00 | 濡れ衣を着せられた高瀬露
《『宮澤賢治と高瀬露』(上田哲・鈴木守共著、友藍書房)の表紙》

 さて、森荘已池が「一九二七年の秋」と書くわけにはいかなかった理由は、森自身の病状が当時かなり思わしくなかったことが世間に知られていたことにもあったからに違いないと私は直感した。そこでそのことを以下に検証してみたい。具体的には、「一九二七年」すなわち昭和2年の新聞報道等によれば以下のとおりだ。

 そもそも、森はその頃、生出仁と共に「岩手詩人協会」を設立し、機関誌『貌』を創刊するなどの活躍をしていたから、その存在がかなり世に知られていたと思われる。そこで、当時の『岩手日報』を少し調べてみる(なお、以下の〝文字の赤色着色〟は筆者による)。
♦昭和2年4月7日付『岩手日報』
 「盛岡から木兎舎まで」 石川鶺鴒
 岩手富士を拝して、遠く霞んでゐる暮色の中に、その時私の頭にやはり郷土の誇りを思ひ浮かべられた。啄木の事も、原敬の事も、それから子供らしく姫神山の事も。
 その時の四人は黙つて橋上の暮色に包まれて居たと思ふ。
 その時の一人森君は今、宿痾の爲、その京都の樣な盛岡に臥つてゐる。昨春上京以來詩作は日本詩にもちよいちよい發表して居たが、殊にも今年は『文藝時代』にもなんとかある筈だつたとの事であるが病氣には勝てなくて、意企半ばに歸鄕されたのはなんと言つても、われわれの損失であつた。…(筆者略)…病氣の全快の一日も早からんことを切に祈つてゐる。
♦昭和2年5月19日付『岩手日報』
 「弘道君と初對面の事ども」 織田秀雄
 二人の間には、あらゆる話が持ち上がる。
 仙臺の事、メーデーの事、同人雜誌が長つゞきしない事、中央の歌人達の事、白秋さんの座談のうまいこと、酒をのむこと、牧水がどうの、或いは急に岩手にもどつて病で歸鄕してる森君の事、幹次さんの事
♦昭和2年6月5日付『岩手日報』
 「『牧草』讀後感」 下山清
 森さんが病氣のため歸省したこと脚氣衝心を起こしてあやうく死に瀕し、盛岡病院に入院したことは私もよく知つてゐる
♦昭和2年6月16日付『岩手日報』
 「郷愁雑筆」 上田智紗都
 五月の末ぽつかりと花巻に歸つてきたら、やはりはなれがたいふるさとだつた。…(筆者略)… 
 いつも考へてゐながら森佐一には一度も音信せない、やむ君に對してとても心苦しい
(終)

 したがってこれらの一連の報道からは、森は病気のために帰郷し、重病だったので病臥していたことが当時(「一九二七年」すなわち昭和2年頃)かなり世に知られたということになろう。しかも森は、「岩手詩人協会」を設立して同人誌「貌」を発行していたということだから交遊関係も広く、「一九二七年」頃の森は長期療養中だったことは詩友の間では特によく知られていたことがこれで確実だろう。
 しかも、森からはさんざん世話になったあの下山清が「森さんが病氣のため歸省したこと脚氣衝心を起こしてあやうく死に瀕し、盛岡病院に入院した」と言っているのだから、これは事実であったであろうと判断できる<*1>。
 また、
 脚気衝心:脚気に伴う急性の心臓障害。呼吸促迫を来たし、多くは苦悶して死に至る。(『広辞苑 第二版』より)
ということだから、
 当時の森荘已池はかなり重篤であった。
と言えよう。どうやら、直感は当たっていた。

<*1> 平成26年2月16日付『岩手日報』の連載「文學の國いわて」(道又力氏著)によれば、
 東京外国語学校へ入学した森荘已池は、トルストイも愛用した民族衣装ルバシカにおかっぱ頭という最先端のスタイルで、東京の街を闊歩していた。…(投稿者略)…ところが気ままなボヘミアン暮らしがたったのか、心臓脚気と結核性肋膜炎を患ってしまう。仕方なく学校を中退して、盛岡で長い療養生活に入る。
ということだから、なおさらにである。

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